元の発言 [ 倭国の乱と卑弥呼即位の時期 ] お名前 [ 大場嘉門 ] 日付 [ 4月12日(金)18時03分31秒 ]
>> @「其國本亦以男子爲王」は、「女」が王になるという概念のない中国人に対して、卑彌呼を「女王」とした倭国も、本来は中国と同じく男王だったと説明しているにすぎない。この前説明に男王の在位期間など全く必要ない。
>> A「住七八十年」を一人の王の在位期間としてみたら、これはいかにも長すぎる。
>> 80年も在位した高句麗長寿王などは希有な例であろう。
>> B梁書がいうように霊帝の光和中に倭国の乱が起こったとすると、卑彌呼の即位はその数年後くらいのことである。卑彌呼は共立されたときには「年已長大」であり、卑彌呼の死は247年頃である。
>> 仮に卑彌呼の即位を190年前後の頃だとすると、その在位期間は60年近くに及ぶことになり、「年已長大」から60年の在位というのは考えがたい。
>> C魏志の対象読者は、晋の時代の人である。
>> 陳寿も晋朝の読者に対して、今から七八十年前に倭国の乱があったといっているのであろう。
>> 倭国の乱の「歴年」とは数年から10年位であろうから、卑彌呼の即位は漢末魏初から230年の間とするのがいい線なのかもしれない。
[晋朝の読者に対して今から七八十年前]と言うのはどうでしょう?
あくまで魏朝がベースじゃないでしょうか。
宋の時代に書かれた記事と唐の時代に書かれたものでどちらに信憑性が有るでしょう。
「年已長大」というのは魏使が卑弥呼にあった時のことでは?
とすれば在位60年で「年已長大」でも尤もなことといえます。
伊都国が「世有王、皆統屬女王國」ですから、伊都国王は代々卑弥呼に仕えていたのでしょう。
10年や20年では代々とは言わないでしょうから卑弥呼は在位60〜70年でも不思議はないでしょう。
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