Re: 其人寿考

投稿者[ 大場嘉門 ] 発言日時 [4月19日(金)12時12分19秒]

元の発言 [ Re: 其人寿考 ] お名前 [ 白石湖南 ] 日付 [ 4月19日(金)07時11分25秒 ]

こんにちは。

>> >> 日本もつい最近まで「人生わずか五十年」だったし(昭和22年で50.06歳)、弥生の人骨から推定される倭人の平均寿命はせいぜい四五十年ということのようです。
>> >> 平均寿命四五十年の時代にも、稀に「或百年、或八九十年」まで長生きした人はいたでしょうが、沢山はいなかったでしょう。

>> #というのは「子供の死亡率が高かったためで、無事大人になれば「或百年、或八九十年」と言うことも考えられる。」説もあります。
>>  僕の視点から言わせてもらうと平均寿命まで書いていないので、そういう老人がいてもおかしくない思うで。

「或百年、或八九十年」という寿考(長生きな老人)がいてもおかしくないのは、ある意味「当たり前」だと思います。
無事大人になればその多くが「或百年、或八九十年」まで長生きできたのかというと、それは「弥生の人骨」からみてあり得ないだろうということです。

>>  時代背景を考えると、魏志の倭人条が「倭国大乱」のあったあとの記述という仮定が必要やけど、戦争で若い男が少なくなって、後に残っているのは老人と女子供だけ・・・と言う状態を見れば、見方によっては「長寿の国」と見えんこともないと思います。

残っている老人の年齢が、当時の中国の老人並なら、どう見方を変えたって「長寿の国」とは見えんでしょう。

>>  昭和22年言うたらまだまだ戦後の混乱期の話やね。あのころは配給だけでは餓死するような時代で僕は戦後の生まれやから実際に見たわけやないけど、都会では子供が骨と皮だけになってばたばた死んだそうや。
>> ちょっと説得力が足らんと思うんやけど。

ちょっと言葉足らずでしたか。
日本人の平均寿命(0歳の平均余命)が50歳に達したのが、戦後の昭和22年(第8回生命表)のことだということです。
ちなみに、第1回生命表(明治24〜31年)は42.8歳、第5回生命表(大正15〜昭和5年)は44.82歳です。
私たちの先祖の倭人の人寿(寿命)を推察する上で、説得力があるかどうかはわかりませんが、、、

>>  またその反面、孔子が「いかだを組んで東のユートピアへ行きたい・・・」とか言ったのに影響を受けてユートピアとして書いた。という説もある。

それに、陳寿は始皇帝が徐福に不老長寿の国を捜させたという故事も知っていた。
呉志孫権伝:「長老傳言、秦始皇帝遣方士徐福、將童女数千人入海、求蓬莱神山及仙薬」





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