元の発言 [ 其人寿考 ] お名前 [ 大場嘉門 ] 日付 [ 4月18日(木)18時33分16秒 ]
>> 日本もつい最近まで「人生わずか五十年」だったし(昭和22年で50.06歳)、弥生の人骨から推定される倭人の平均寿命はせいぜい四五十年ということのようです。
>> 平均寿命四五十年の時代にも、稀に「或百年、或八九十年」まで長生きした人はいたでしょうが、沢山はいなかったでしょう。
#というのは「子供の死亡率が高かったためで、無事大人になれば「或百年、或八九十年」と言うことも考えられる。」説もあります。
またその反面、孔子が「いかだを組んで東のユートピアへ行きたい・・・」とか言ったのに影響を受けてユートピアとして書いた。という説もある。
僕の視点から言わせてもらうと平均寿命まで書いていないので、そういう老人がいてもおかしくない思うで。
時代背景を考えると、魏志の倭人条が「倭国大乱」のあったあとの記述という仮定が必要やけど、戦争で若い男が少なくなって、後に残っているのは老人と女子供だけ・・・と言う状態を見れば、見方によっては「長寿の国」と見えんこともないと思います。
昭和22年言うたらまだまだ戦後の混乱期の話やね。あのころは配給だけでは餓死するような時代で僕は戦後の生まれやから実際に見たわけやないけど、都会では子供が骨と皮だけになってばたばた死んだそうや。
ちょっと説得力が足らんと思うんやけど。
その他発言: