Harold Budd,Brian Eno with Daniel Lanois
the Pearl
(Editions EG,1982)
§
ピアノの音高とユニゾン(同音)でなされるイーノのエフェクトは、
アタックは確かにピアノに聞こえるものの減衰の過程でゆらぎ、や
がてピアノとは遠い音へと変貌していく。メロディを与えられた主
体としての楽器とは別の何かへとピアノを溶かしていくこの手法が、
ピアニストの出す響きの形それ自体と一体となって、2枚のディス
クを生み出したこのバッドとイーノのコラボレーション以外では体
験できない音のミクスチュアが生まれる結果となった。多くの素材
を混合させ濃密なアンビエンスを発生させるのではなく、素材の部
分的な変容が、イーノによるアンビエント手法の本質のひとつをな
していることが見て取れる。
§
発音されたピアノを追いかけるようなサウンド・トリートメントは、
ロジャー・イーノ『ヴォイシス』で聴かれるものと同質で、この残
響は流星痕のように尾を引き、耳に残る。第1曲「レイト・オクトー
バー」はハロルド・バッドによるピアノのシングルトーンで繰り返
し弾かれる高音が際立つトラックで、刷毛で描くのにも似た帯状の
響きの連なりが流れてゆく。かすかな上空の鳥の鳴き声から始まり、
終始遠くの風のうねりに包まれる。具象と抽象の最も微妙な位置に
ある風景である。タイトルをもとに映像的に捉えるなら、まさに冬
も近い、澄んだ10月の屋外の印象を描いた音楽である。イーノに
よるアンビエントにはほとんど見られないケースだが、この曲は標
題音楽的な聴き方もできるだろう。きわめて美しい。
§
ハロルド・バッドとのコラボレーションでの前作『プラトー・オヴ・
ミラー』以上に、バッドのピアノが抽象的でより間隙の多い点描の
領域へと向かっているために、イーノによるトリートメントは大き
な存在を示している。ダークでありながらもどこか底光りするドロー
ンに支えられ、静謐さとは裏腹な密度の高さを持っている。沈黙は
ほとんど訪れないが、ほとんど常に聴覚の背後へと引き下がりそう
なこの柔らかさの秘密がどこにあるのか、未だにつきとめることが
できない。
§
寡黙で抽象的なピアノは情感を持たない。イーノも、それを盛り立
てることをしない。それでも聴き手はこの空間の深さの記憶を聴く
度に強めていくだろう。あるディスクを再生することが音楽外の記
憶を呼び起こすこともあれば、その順序が逆になることもある。聴
き手自身の持つ記憶に最も似つかわしい音楽を探すのである。もう
暑くはなくなった季節の空気の印象として、例えば私はこのディス
クの響きをいつも思い出す。このようなプライヴェートな領域への
寛容さは、音量と音色だけでは言い尽くせないアンビエントの控え
めさというものなのだろうか。
ラヴソングが個人の記憶をフラッシュバックさせるなら、このディ
スクはあらかじめ蓄積された個人のあらゆる印象に後から染み込ん
でいく。アンビエントが「白紙の音楽」とよばれる理由の、音楽的
にも最良の一例がここにある。
このディスクはハロルド・バッドのページでも文章を変えて紹介しています。
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