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![]() 自宅や齋藤助産院で出産されたお母さん(お父さん)たちの記念写真と感想の声です。 |
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(パパ)うん、そうだったよね。で、実際は? (ママ)実際は、診察の時とかも、体操を教えてもらったり、やっぱり病院とは違ってすごくリラックスできて居心地良かったから、絶対ここで産もうと思ったから、GBSの反応が出ちゃったけど、マ、大丈夫だろうということで、ここで産むことにしました。お産の当日の3月1日は、けっこうな雨が降っていました。朝、おしるしがあって、パパには連絡をとっていたんだけど、自分の中では前のお産が予定日より13日も遅れたから、今度も遅れるだろうぐらいに思っていて、お昼ぐらいまでは洗濯とか何かをしたりして動いていました。そしたら何かだんだん間隔が短くなって、腰が重かっただけなのが、だんだん腰が痛い感じになってきて、あっという間にもう夕方の4時くらいには10分間隔になっていました。あわてて助産院に電話して、すぐ来るように言われて、パパに連絡して、一番混んでる時間に、もともと40分くらいかかる所が、1時間もかかって......。 (パパ)車の中で、苦しんでるからどうしようかと思ったよ。 (ママ)上の子も連れてこようと思ってたんだけど、そんなこんなで子供を実家に慌ただしく預けて、結局ここに着いたのが夕方の6時になった。 (パパ)着いてから、あっという間だったね。 (ママ)着いてから1時間半くらいで生まれてしまって、もうちょっと早めに来れば良かったかなと後悔しつつ...(笑) (パパ)陣痛が来てからはどうだった? (ママ)陣痛は来てからはとにかくすごく痛くて、まわりで呼吸の仕方とか、”逃して”とか言ってたんだけど、それができなくて。痛いの我慢できなかったから、ドンドンいきんじゃったせいで、それで切れちゃったのかな〜。切れずに産めるかなと思ってたんだけどネ。 (パパ)パパも一緒に生んだ気分だったよ。 (ママ)パパが一緒で、パパに寄り掛かりつつ、パパに前にいてもらって、四つん這いのような格好でね。助産婦さんも、その日は何人もいらしたから、すごく心強い感じで産めて、訳も分からないまま、私は大声で進んじゃったけど、その時の感じはパパの方がもしかしたら覚えているかも知れないね。 (パパ)パパは比較的に冷静だったから、ひたすら陣痛の間隔を計ってて、助産婦さんのマネをして、「力を抜いて」とか一緒にヨコで言ってました。 (ママ)赤ちゃんが出てくるのも、自分は見れなかったから、感覚で出てきたと思ったんだけど、出たんだろうか、出てないんだろうか、自分では分からなくて、でもその時は出てなくて、何かはさまっているような感じが強くて....あー、あの時は本当に痛かったな〜。 (パパ)あ〜、(お兄ちゃんが)行っちゃった。「ひだまりの民」を持って行っちゃった。 (ママ)生まれた時はホントにすごく嬉しかった!パパが臍の緒を切ったんだよね。 (パパ)ウン、切らしてもらって。その時”生まれた!”という実感がすごいしたよ。その後、お熱が出ちゃったからね。結局、きみ(赤ちゃん)はここに一日しか居なかったんだよね。 (ママ)3月1日の夜7時半ころ生まれて、その日の晩は預かってもらってママはゆっくり休んで、2日の朝から来たんだけど、パパとかお見舞いに来たときはずっと寝てて、その夜はまだおっぱいが出てないせいか全然寝なくてね。 (パパ)本当はここで、みんなと一緒に退院したかったけどね。 (ママ)2日の夜、全然寝なくて、ママは寝不足になって「あ〜、これがずっと続くのか」と思っていたら、次の3日の日の朝、1日の夜も38度あると言われたけど、お風呂に入れてくれるという時に、また38度くらいあって、齋藤さんも皆も心配してくれて、平塚の市民病院につれていってくれて、そしたらとりあえず検査するだけで1週間、入院になってしまって...。寝不足にはならなくなったけど、すぐ離れることになってちょっと寂しかったね。...でも心配だからね、そういう時は行かなくちゃね。 (パパ)その間、ママは齋藤さんちの居候みたいにね。 (ママ)ママはおっぱいのマッサージをしてもらいながら、のんびり過ごしていました。お兄ちゃんは赤ちゃんが来てどう思った?嬉しい?楽しい? (お兄ちゃん)ウン!楽しい! (パパ)そうか、良かった、良かった。こうして無事、退院の報告をしに来れたから、また皆で1ヵ月健診にも楽しみに来たいと思います。 (ママ)私は赤ちゃんが居なかったから、のんびり過ごさせてもらった時に、齋藤さんの料理にすっかり感動してしまって、家でもああいう料理を作れるようになりたいね、教えてもらいたいねと思いました。バランスがとれている感じでネ。齋藤さんの他にも金子さんとか、吉本さんとか、皆さんにもお世話になって、本当にありがとうございました。三人目もし産むとしたら、お願いしたいと思います。お世話になりました。 (助産院 2006年3月) |
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(助産院 2006年3月) |
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(助産院 2006年3月) |
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お産の最中は辛くて、もうヤダッて思ったけど、生んだ後は、感動で気持ちがいっぱいでした^ロ^ 二人目も、ここで生みたいデス!!つぎは姫星南(きらな)も付き添ってくれるといいな! (助産院 2006年3月) |
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(助産院 2006年3月) |
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あまり進んでいなかったんですけど、 助産婦さんたちが、いろいろ声を掛けてくれて 陣痛のときも、腰をさすってくれて とても楽になりました。 入院中も快適にすごせました。 (助産院 2006年3月) |
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(たくみ兄ちゃん)すべり台です。 (ママ)遊んで来たの? (たくみ兄ちゃん)ウン! (ママ)そして、遠足が終わったら、赤ちゃんに会いに来てくれました。赤ちゃんを最初に見て、どうでしたか? (たくみ兄ちゃん)かわいかった! (ママ)フフッ。赤ちゃんには元気で素直でやさしくって、明るい子になって欲しいと思います。 (たくみ兄ちゃん)アノネ、赤ちゃんは今日でなく、ちがう日に生まれました。 (ママ)たくみ兄ちゃんはこれから赤ちゃんと仲良くしてくれますか? (たくみ兄ちゃん)ウン! (ママ)どんなことしてあげるの? (たくみ兄ちゃん)おもちゃ遊ぶの教えてあげる。 (ママ)よろしくネ。たくみの時は、50時間もかかった、すごい難産で、大変だったけれども、赤ちゃんの時は、助産婦さんたちの助けのおかげで、本当にいいお産をすることができました。パパとママは、たくみお兄ちゃんという宝物をもらって、さらにもうひとつの宝物の赤ちゃんをもらうことができて、とても嬉しいです。これからもよろしくネ。 (助産院 2006年3月) |
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(ママ)ゆうたが2才です。生まれた子は女の子でみはると言います。齋藤助産院を選んだのは私なんですけれども、選んだ理由は、会陰切開とか一人目のときはしたんですけど、そういうことはしたくなくて、自然なお産で産みたいというのと、自宅はリラックスできるので、できれば自宅で産みたいと思って、助産院を探して、こちらを見つけることができました。結果としては、とても幸せなお産が出来たと思っているので、とても感謝しております。お産自体は、出産予定日を4日過ぎても生まれなくて、家族みんなで、まだかな?まだかなとずっと待っている時間が長くて、少し疲れぎみでした。そんな時に、予定日を3日過ぎたころの検診で、齋藤さんに「どうすれば生まれますかね」と聞いたら、妊婦体操とスクワットを教えてくれました。「そんなことをやっていいのかな?」と思ったのですが、スクワットをその夜から100回やって、次の日に「やっぱり生まれないね」と思って、翌日の夜にも、もう100回やって、めでたく翌朝産むことができました。一人目のゆうたの時も、2時間50分と、分娩が早かったので、二人目も早いことが予想されていたので、齋藤さんと井本さんはすっとんで来てくださいました。本当に間に合って良かったです。結局、1時間10分という超スピード安産で産むことができました。 (パパ)父の方の感想は、4日たっても生まれず、最初は2週間くらい早く生まれるだろうと予想して、会社の方にも「そういう時は仕事しませんよ」と言いながら、2週間以上生まれなかったのでハラハラしてました。だいたい、晩に生まれるだろうと思っていて、夜ねるのも浅くて、1〜2時間おきに目がさめるという生活に、いいかげん疲れた頃になって生まれてきました。ある晩、寝ていたら、母親の息が荒いんで、起こしたら、陣痛だということで生まれてきました。私からすると、陣痛はもっと痛いもので、寝てる場合ではないんでないの?と思ったんですが、実は陣痛はその前から始まっていたようで、起きてから1時間10分ということで、ホントあっという間に生まれてくれて、そういう意味では感謝ですね、これは。ゆうたは赤ちゃんが生まれたとき、憶えてる? (ゆうたくん)ニコニコしてた。 (ママ)ニコニコして生まれて来たんだ!ゆうたは面白いこと言ってたね。赤ちゃんが出てきたとき、その後もうひとつ赤ちゃんが出て来る?と聞いてたね。赤ちゃんがまだいるなんて言ってたね、面白いね。もうひとつ出て来たら大変だよね。で、赤ちゃんはどんな感じで出て来た? (ゆうたくん)にょろにょろ、ドーンと出て来た! (パパ)本当にいろいろありがとうございました。おかげさまで今の所スクスク育っていまして、家族一同感謝しております。 (ママ)安産でしたが、産んだあともとても一人で産めるとは思いません。齋藤さんと井本さんがいらしたので、無事に生む事ができました。ありがとうございました。 (自宅 2006年3月) |
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(自宅 2006年3月) |
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(病院 2006年3月) |
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病院はけっこうスパルタ的な感じで、産後つらかったのですけれど、今、子どもが元気でいてくれるので、万が一のことを考えて帝王切開にしたんですが、その万が一にならなかっただけ、良かったのかなと思っています。ただ、一回帝王切開すると、助産院で出産できないということで、もう、楽しみにしていた出産ができないと思うと残念ですけど、でも、ここの皆さんと知り合って関われたことは、すごく幸せに思っています。ありがとうございました。 (赤ちゃん)アーン!アーン! (ママ)わたしの名前は?! (赤ちゃん)アーン、アーオ、アーオ、アオ!(碧) (病院 2006年3月) |
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2006年2月 |
2006年4月 |