齋藤助産院

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電話:0467-54-881

住所:神奈川県茅ヶ崎市

    芹沢1409-9

  メールアドレス:

umu-umu@cg.netlaputa.ne.jp
ゲストルーム(2006年3月頃)

自宅や齋藤助産院で出産されたお母さん(お父さん)たちの記念写真と感想の声です。

(ママ)どうして助産院を選んだかというと、前のとき病院で促進剤を使ったり、そういうのがあんまり自分で納得のできないお産だったから、今度は自然に、それと分娩台に乗るというのが一番イヤだったから、助産院で好きな格好で産みたいなと思って、調べ始めてここを見つけて、見学に来たら、すごく良さそうな感じだったので、ここに決めたんだよね。

(パパ)うん、そうだったよね。で、実際は?

(ママ)実際は、診察の時とかも、体操を教えてもらったり、やっぱり病院とは違ってすごくリラックスできて居心地良かったから、絶対ここで産もうと思ったから、GBSの反応が出ちゃったけど、マ、大丈夫だろうということで、ここで産むことにしました。お産の当日の3月1日は、けっこうな雨が降っていました。朝、おしるしがあって、パパには連絡をとっていたんだけど、自分の中では前のお産が予定日より13日も遅れたから、今度も遅れるだろうぐらいに思っていて、お昼ぐらいまでは洗濯とか何かをしたりして動いていました。そしたら何かだんだん間隔が短くなって、腰が重かっただけなのが、だんだん腰が痛い感じになってきて、あっという間にもう夕方の4時くらいには10分間隔になっていました。あわてて助産院に電話して、すぐ来るように言われて、パパに連絡して、一番混んでる時間に、もともと40分くらいかかる所が、1時間もかかって......。

(パパ)車の中で、苦しんでるからどうしようかと思ったよ。

(ママ)上の子も連れてこようと思ってたんだけど、そんなこんなで子供を実家に慌ただしく預けて、結局ここに着いたのが夕方の6時になった。

(パパ)着いてから、あっという間だったね。

(ママ)着いてから1時間半くらいで生まれてしまって、もうちょっと早めに来れば良かったかなと後悔しつつ...(笑)

(パパ)陣痛が来てからはどうだった?

(ママ)陣痛は来てからはとにかくすごく痛くて、まわりで呼吸の仕方とか、”逃して”とか言ってたんだけど、それができなくて。痛いの我慢できなかったから、ドンドンいきんじゃったせいで、それで切れちゃったのかな〜。切れずに産めるかなと思ってたんだけどネ。

(パパ)パパも一緒に生んだ気分だったよ。

(ママ)パパが一緒で、パパに寄り掛かりつつ、パパに前にいてもらって、四つん這いのような格好でね。助産婦さんも、その日は何人もいらしたから、すごく心強い感じで産めて、訳も分からないまま、私は大声で進んじゃったけど、その時の感じはパパの方がもしかしたら覚えているかも知れないね。

(パパ)パパは比較的に冷静だったから、ひたすら陣痛の間隔を計ってて、助産婦さんのマネをして、「力を抜いて」とか一緒にヨコで言ってました。

(ママ)赤ちゃんが出てくるのも、自分は見れなかったから、感覚で出てきたと思ったんだけど、出たんだろうか、出てないんだろうか、自分では分からなくて、でもその時は出てなくて、何かはさまっているような感じが強くて....あー、あの時は本当に痛かったな〜。

(パパ)あ〜、(お兄ちゃんが)行っちゃった。「ひだまりの民」を持って行っちゃった。

(ママ)生まれた時はホントにすごく嬉しかった!パパが臍の緒を切ったんだよね。

(パパ)ウン、切らしてもらって。その時”生まれた!”という実感がすごいしたよ。その後、お熱が出ちゃったからね。結局、きみ(赤ちゃん)はここに一日しか居なかったんだよね。

(ママ)3月1日の夜7時半ころ生まれて、その日の晩は預かってもらってママはゆっくり休んで、2日の朝から来たんだけど、パパとかお見舞いに来たときはずっと寝てて、その夜はまだおっぱいが出てないせいか全然寝なくてね。

(パパ)本当はここで、みんなと一緒に退院したかったけどね。

(ママ)2日の夜、全然寝なくて、ママは寝不足になって「あ〜、これがずっと続くのか」と思っていたら、次の3日の日の朝、1日の夜も38度あると言われたけど、お風呂に入れてくれるという時に、また38度くらいあって、齋藤さんも皆も心配してくれて、平塚の市民病院につれていってくれて、そしたらとりあえず検査するだけで1週間、入院になってしまって...。寝不足にはならなくなったけど、すぐ離れることになってちょっと寂しかったね。...でも心配だからね、そういう時は行かなくちゃね。

(パパ)その間、ママは齋藤さんちの居候みたいにね。

(ママ)ママはおっぱいのマッサージをしてもらいながら、のんびり過ごしていました。お兄ちゃんは赤ちゃんが来てどう思った?嬉しい?楽しい?

(お兄ちゃん)ウン!楽しい!

(パパ)そうか、良かった、良かった。こうして無事、退院の報告をしに来れたから、また皆で1ヵ月健診にも楽しみに来たいと思います。

(ママ)私は赤ちゃんが居なかったから、のんびり過ごさせてもらった時に、齋藤さんの料理にすっかり感動してしまって、家でもああいう料理を作れるようになりたいね、教えてもらいたいねと思いました。バランスがとれている感じでネ。齋藤さんの他にも金子さんとか、吉本さんとか、皆さんにもお世話になって、本当にありがとうございました。三人目もし産むとしたら、お願いしたいと思います。お世話になりました。

(助産院 2006年3月)

 一人目もこちらの齋藤さんでお世話になって、そのときに、出産が病気とかお医者さんがやってくれるものということではなくて、自分の体で産むということを感じることができました。二人目ももしできたら是非、齋藤さんにと思っていて、今回もまたこちらで出産することが出来て、とても嬉しいです。二人目の出産は、齋藤さんに「丸太がずんどこずんどこ降りてくる感じ」というふうに聞いていたので、丸太というのはちょっと恐かったですけれども、一人目のときよりはズンズンと降りてくる感じを味わえるかな〜と思っていたんですが、残念ながらちょっとそれは味わえずに、ズンズンというよりは、ウーン難しかったです。なかなかお腹の痛みがとれずに、痛みを後ろの方で感じるというのが大変でした。でも齋藤さんの力もお借りして、無事に元気に出て来てくれて、本当に良かったです。一人目の時の出産のお助け場所は、トイレだったんですけれども、今回はお風呂でした。お風呂に入ったときに、すごく気持ち良くて、実は私は温泉がすごく好きなんですが、箱根の温泉よりも気持ち良いお風呂に感じました。お風呂に入ったときに、赤ちゃんが今どのへんに居るかとか、今どの部分を通ってきているかとか、そういうことがお風呂の中にいるときに少し、お腹が痛いながらも、その中でも感じることができたように思います。その後も、するッというわけには行かなかったですけれども、赤ちゃんがやっと産道に入ってきてくれて、ズンズンと降りてきてくれるという感じを、お風呂の延長で分かったような気がします。それは、一度目のお産のときには感じられなかったことだったので、とても良かったと思います。また家族が一人増えて賑やかになりますけれども、家族みんな、こんどは4人で頑張って行きたいと思います。新しい家族をここの齋藤さんで迎えられたことを、とても嬉しく思います。齋藤さん、いつもながら美味しい食事をありがとうございました。ごちそうさまでした。万が一、三人目ということがあるようでしたら、また是非こちらでお願いしたいと思います。みなさんどうもありがとうございました。

(助産院 2006年3月)

(二人目の小浜さんです。退院後、乳腺炎でちょっと弱っています。)

(助産院 2006年3月)

 もともと、病院ぎらいで、助産院で産みたいと思ってたら、友だちに齋藤助産院を紹介してもらって、産むことにしました。まだ若いし、妊娠中も結構歩いていたので、安産だろうと思っていたら、33時間もかかって、難産でした*0*

 お産の最中は辛くて、もうヤダッて思ったけど、生んだ後は、感動で気持ちがいっぱいでした^ロ^

 二人目も、ここで生みたいデス!!つぎは姫星南(きらな)も付き添ってくれるといいな!

(助産院 2006年3月)

 鈴木です。みなさんお世話になりました。今回は2度目のお産だったんですが、前回病院で分娩台で産んだのとはまったく違うお産で、すごい快適に、もちろん痛いは痛かったんですけれども、”何だかイヤだな”と思うこともなく、気持ち良くお産をすることが出来ました。一番びっくりしたのは、いきむタイミングとか教えてもらわなくても、自分でいきむことができるんだな、何か本能で産むことができるんだなということを感じたのが、一番びっくりした点ですね。それともうひとつ、産まれて、赤ちゃんが出て来て、最後に胎盤も全部出て来た後に、宿便が出た後のようなスッキリ感があったことにおどろきました。前は会陰を切開してしまったので、出た感じが何となく分かるぐらいで、このスッキリ感というのが全然なかったんですが、今回、本当に宿便が出たあとのようなこのスッキリ感で、痛かったんですけれども、もう一人産んでもいいかなと、ほんの一瞬ですが思ってしまいました。あとは、子どもが、上のお兄ちゃんと一緒にお産を経験できたことが良かったかなと思います。ただ、しばらくの間「赤ちゃんはママのお尻から出てきたんだよ」といろんな人にふれ回りそうで、それがちょっと心配なんですが、それもまたいいかなと思います。どうやって出て来たのか分からないまま、お腹の大きなママから凹んだママに変わって赤ちゃんが居るというよりは、この過程をみんなで楽しんだというか共有できたというのが、すごくいい経験だったと思います。次回あるか分かりませんが、また、三度目のお産があったらよろしくお願いします。どうもありがとうございました。

(助産院 2006年3月)

  助産院に来たときは、陣痛が

  あまり進んでいなかったんですけど、

  助産婦さんたちが、いろいろ声を掛けてくれて

  陣痛のときも、腰をさすってくれて

  とても楽になりました。

  入院中も快適にすごせました。

(助産院 2006年3月)

(ママ)赤ちゃんが生まれるときは、たくみお兄ちゃんは、年中さんのお別れ遠足で、途中までママを応援してくれたけど、遠足に行ってしまいました。そして、寒川のばあちゃんと、円蔵のばあちゃんと、パパとおじいちゃんが見てくれてる中で、赤ちゃんは無事に生まれました。お兄ちゃんは遠足でなにで遊んできたんですか?

(たくみ兄ちゃん)すべり台です。

(ママ)遊んで来たの?

(たくみ兄ちゃん)ウン!

(ママ)そして、遠足が終わったら、赤ちゃんに会いに来てくれました。赤ちゃんを最初に見て、どうでしたか?

(たくみ兄ちゃん)かわいかった!

(ママ)フフッ。赤ちゃんには元気で素直でやさしくって、明るい子になって欲しいと思います。

(たくみ兄ちゃん)アノネ、赤ちゃんは今日でなく、ちがう日に生まれました。

(ママ)たくみ兄ちゃんはこれから赤ちゃんと仲良くしてくれますか?

(たくみ兄ちゃん)ウン!

(ママ)どんなことしてあげるの?

(たくみ兄ちゃん)おもちゃ遊ぶの教えてあげる。

(ママ)よろしくネ。たくみの時は、50時間もかかった、すごい難産で、大変だったけれども、赤ちゃんの時は、助産婦さんたちの助けのおかげで、本当にいいお産をすることができました。パパとママは、たくみお兄ちゃんという宝物をもらって、さらにもうひとつの宝物の赤ちゃんをもらうことができて、とても嬉しいです。これからもよろしくネ。

(助産院 2006年3月)

(パパ)かじむらはること夫のひでのりと息子のゆうたの3人です。

(ママ)ゆうたが2才です。生まれた子は女の子でみはると言います。齋藤助産院を選んだのは私なんですけれども、選んだ理由は、会陰切開とか一人目のときはしたんですけど、そういうことはしたくなくて、自然なお産で産みたいというのと、自宅はリラックスできるので、できれば自宅で産みたいと思って、助産院を探して、こちらを見つけることができました。結果としては、とても幸せなお産が出来たと思っているので、とても感謝しております。お産自体は、出産予定日を4日過ぎても生まれなくて、家族みんなで、まだかな?まだかなとずっと待っている時間が長くて、少し疲れぎみでした。そんな時に、予定日を3日過ぎたころの検診で、齋藤さんに「どうすれば生まれますかね」と聞いたら、妊婦体操とスクワットを教えてくれました。「そんなことをやっていいのかな?」と思ったのですが、スクワットをその夜から100回やって、次の日に「やっぱり生まれないね」と思って、翌日の夜にも、もう100回やって、めでたく翌朝産むことができました。一人目のゆうたの時も、2時間50分と、分娩が早かったので、二人目も早いことが予想されていたので、齋藤さんと井本さんはすっとんで来てくださいました。本当に間に合って良かったです。結局、1時間10分という超スピード安産で産むことができました。

(パパ)父の方の感想は、4日たっても生まれず、最初は2週間くらい早く生まれるだろうと予想して、会社の方にも「そういう時は仕事しませんよ」と言いながら、2週間以上生まれなかったのでハラハラしてました。だいたい、晩に生まれるだろうと思っていて、夜ねるのも浅くて、1〜2時間おきに目がさめるという生活に、いいかげん疲れた頃になって生まれてきました。ある晩、寝ていたら、母親の息が荒いんで、起こしたら、陣痛だということで生まれてきました。私からすると、陣痛はもっと痛いもので、寝てる場合ではないんでないの?と思ったんですが、実は陣痛はその前から始まっていたようで、起きてから1時間10分ということで、ホントあっという間に生まれてくれて、そういう意味では感謝ですね、これは。ゆうたは赤ちゃんが生まれたとき、憶えてる?

(ゆうたくん)ニコニコしてた。

(ママ)ニコニコして生まれて来たんだ!ゆうたは面白いこと言ってたね。赤ちゃんが出てきたとき、その後もうひとつ赤ちゃんが出て来る?と聞いてたね。赤ちゃんがまだいるなんて言ってたね、面白いね。もうひとつ出て来たら大変だよね。で、赤ちゃんはどんな感じで出て来た?

(ゆうたくん)にょろにょろ、ドーンと出て来た!

(パパ)本当にいろいろありがとうございました。おかげさまで今の所スクスク育っていまして、家族一同感謝しております。

(ママ)安産でしたが、産んだあともとても一人で産めるとは思いません。齋藤さんと井本さんがいらしたので、無事に生む事ができました。ありがとうございました。

(自宅 2006年3月)

 はじめは、こちらでおっぱいマッサージをお願いしようと思って、見学に来ましたが、見学に来て考えるうちに、出産後一日目から赤ちゃんとずっと一緒にいて、コミュニケーションをとっておっぱいで育てたい...とか、上にお姉ちゃんがいるので、出産一日目から、うちで迎えることで、お姉ちゃんにも早く慣れてもらいたい...という思いで、自宅出産を選びました。実際にお願いしてみたところ、家族のためと思っていたんですが、自分自身にとって、お産がすごく心強いというか、ずっとお二人が付き添ってくれて、腰をさすってくれたり、タオルを使って温めてくださったり...と、非常に痛かったんですが、すごく楽にお産をさせていただいたような、そんな感想を持ちました。一緒に付き添ってくれた私の母は、今年73になるんですけど、自宅出産というと「後始末とかが大変じゃないか」と心配していたんですが、そのへんも、朝3時に出産したにもかかわらず、非常に手際よく後始末をしてくださって、すごく感心しておりました。おかげで、とてもいいお産ができたと思って、幸せに思ってます。ありがとうございました。

(自宅 2006年3月)

 3年前に、二人目を齋藤助産院で出産させていただいた時、「ここで産めて良かった」と思ったので、「三人目もここで」と決めていました。そして、待望の三人目を妊娠し、ウキウキと検診に通っていましたが、34週のとき「赤ちゃんがずいぶん下がっているよ」と言われ、その夜、とつぜん破水してしまいました。あわてて助産院に電話をし、齋藤さんがあちこち病院に連絡をとってくださり、何とか茅ヶ崎徳州会病院で見てもらえることになりました。やはり破水をしており、赤ちゃんも、まだ2000gちょっとなので、そのまま入院ということになりました。まさかこんなに早く出産を迎えるとは思っていなかったので、何の準備もしていず、赤ちゃんもこんなに小さくて大丈夫かなという不安や、「助産院で産めないんだ」という落胆で、かなり動揺していましたが、真夜中なのに齋藤さんが受診に付き添ってくださり、心強かったです。その後も、陣痛が来ないので、促進剤を使用することになりましたが、そのときも電話で齋藤さんにアドバイスをしていただいたりして、とても安心しました。結局、入院5日目に促進剤を使い、あっという間に生まれました。2176gと小さく、呼吸や体温保持のため、保育器に入ったので、おっぱいもしばらくあげられず、搾乳が辛かったです。生まれて11日目に2200gを超えたので、無事に赤ちゃんも退院、2ヶ月を過ぎた今、体重は倍以上になり、おっぱいもたくさん飲めるようになり、とても楽しくすごしています。助産院で産めなかったのは、いまだにやはり残念ですが、私も赤ちゃんも、いま、元気でいられることに感謝しています。サポート病院の大切さも実感しました。出産まで支えてくださった齋藤助産院の皆さま、どうもありがとうございました。

(病院 2006年3月)

 こんにちは。セノウ・フエリコです。はじめの直感から、齋藤さんのところで出産したいと思って、すごくすごく楽しみにしていたんですけれども、28週目くらいから、ずっと赤ちゃんの姿勢が逆子で、どんなことをしても何故か回ってくれず。外回転2回、お灸と針を2回ずつ、あと、十字式という怪しい健康法で治るかなーと思って、それも8回か9回くらい通って....、あと、毎日の体操とか、あと、ゲルマニウム温浴法というのも体があたたまって回転するかなと思って通ったりしたんですけど、どうやっても回らなくて、....最終的に帝王切開になって、湘南鎌倉総合病院での出産になりました。

 病院はけっこうスパルタ的な感じで、産後つらかったのですけれど、今、子どもが元気でいてくれるので、万が一のことを考えて帝王切開にしたんですが、その万が一にならなかっただけ、良かったのかなと思っています。ただ、一回帝王切開すると、助産院で出産できないということで、もう、楽しみにしていた出産ができないと思うと残念ですけど、でも、ここの皆さんと知り合って関われたことは、すごく幸せに思っています。ありがとうございました。

(赤ちゃん)アーン!アーン!

(ママ)わたしの名前は?!

(赤ちゃん)アーン、アーオ、アーオ、アオ!(碧)

(病院 2006年3月)

2006年2月

2006年4月