元の発言 [ Re: サイトを紹介 ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 9月10日(火)06時18分07秒 ]
>> いろいろと面白い話があって示唆に富むのですが,
なるほど、PDFは読みにくいので読み落としました。
ただし、目からウロコみたいな話がなくてあまり突っ込み所がない。
>>祇園の最初の神様は,スサノヲではなかろうが,五十猛の神という存在には示唆する一面がある。(第11頁)
スサノオは圧倒的に有力になり、他の神さまを吸収していき、吸収された神さまは忘れられてしまうと言うのは私もその通りだと思います。
ただ私はここに強制力が働いたと思っています。
各氏族の氏神様(恵比寿)の上位に天孫系の神さまを置いた。
>> 魏の使節は,長い道のりを,黄河から全部,船で日本に来たのであろう。(第4頁)
この説はいただけません。8世紀の話と3世紀を同列に論じている。
>> 日本海は,冬であっても,実は安全な海である。(第13頁)
決して安全ではないと思いますが。
来る時は海流に乗って、帰りに4,5月に南風が吹くのを待って帰る都合があったんでしょう。
新羅が邪魔で沿岸航路を取れなかった為でしょうから。
>> 欽明・敏達の頃,高句麗の使節が来たが,越前・敦賀辺りから,
>> 琵琶湖・木津川を船で下って,相楽の客館に着いたのであろう。(第14頁)
これは私の三世紀に高句麗の敗残兵が畿内に入った時に通ったであろう推定ルートとだいたい同じです。
高句麗(帯方ではない)と畿内が半島南部、九州を介さず往来したことになります。
もっとも畿内から高句麗に出かけた事はないと思いますが。
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