元の発言 [ Re: サイトを紹介 ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 9月11日(水)08時22分17秒 ]
>> 字そのものがぼけて見にくくありませんか?
この文書は,150%で見ると速読には都合がよく,
スムージングの有無に関わらず,
特に見にくいということはありませんが。
300%にして,1行づつ味読する時には,活字の美しさも味わえます。
>> 五十猛神についてはスサノオの息子と言う以上の知識はないので「いたて」と言うことも初めて知りました。
五十猛伝承について調べることは,オススメですネ。
>> 「いたて」が作ったと言うこの刀は5世紀末か6世紀前半の銘が入っているのでスサノオも五十猛もやはり5世紀末か6世紀前半の人物
>> と言うことになる事を意味すると言うことですか?
>> そうだとすれば我が意を得たりと言うことですが。(^ ^)
スサノヲについては不明ですが,その「伊太□」が,そうなら,
そういう推理もあり得ます。
あれこれ,調べたいことが出てくると思います。
>> 帯方郡を出発して韓国を歴訪しながら倭国を訪れたという魏志の記述を改訂するわけですか?
>> 倭は帯方郡の支配下にあったのですから倭に行く為には帯方郡に寄らずにいく事も考えられないし、沿岸航路で有っても韓国を経た訳です。
>> 直接と言うのはありえない事です。
史書から,
魏都洛陽(京都)− 帯方郡(半島拠点) − 倭
という経路を想定しているはずで,まさに帯方郡を重視した解説ですが。
>> 畿内にとってはですね。
直裁には,山陰とかの日本海勢力ではないですか。
ここは大きな課題であり,交易経路に二大別あるとする説にも関わるかもしれず,
既に諸説見ましたが,もう少し考古学の成果を見ることにします。
>> 邪馬台国は韓国―対馬―壱岐―北九州が重要な意味があります。
中国を含むわけです。たぶん,邪馬台国以前から,中国と倭とは往来しており,
ここから,楽浪・帯方郡の持つ重要性が出てくるわけですよね。
# 半島の中継地としての性格とか権益とか治安とか。
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