元の発言 [ Re: サイトを紹介 ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 9月11日(水)17時50分24秒 ]
>> 五十猛伝承について調べることは,オススメですネ。
勉強してみます。
>> >> 帯方郡を出発して韓国を歴訪しながら倭国を訪れたという魏志の記述を改訂するわけですか?
>> >> 倭は帯方郡の支配下にあったのですから倭に行く為には帯方郡に寄らずにいく事も考えられないし、沿岸航路で有っても韓国を経た訳です。
>> >> 直接と言うのはありえない事です。
>> 史書から,
>> 魏都洛陽(京都)− 帯方郡(半島拠点) − 倭
>> という経路を想定しているはずで,まさに帯方郡を重視した解説ですが。
直接と言う言葉で途中寄航する事無くと受け取ってしまいました。
甲板のない船では寝泊りできませんから寄航し上陸して睡眠をとったでしょう。
その港のある国に挨拶もなく上陸する事は考えられませんからやはり直接と言う言葉は適当でないように思います。
>> ここは大きな課題であり,交易経路に二大別あるとする説にも関わるかもしれず,
>> 既に諸説見ましたが,もう少し考古学の成果を見ることにします。
そうですね。
半島と交流していたのは邪馬台国一国だけではなく30ヶ国が交流していた筈でその中には独自ルートを持っていた国もあったかも。
私は畿内は30ヶ国に含まれないと思っていますが。
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