元の発言 [ Re:卑弥呼と天照大神 ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 8月25日(日)06時52分15秒 ]
>> 投稿者[ 馬頭鬼 ] 発言日時 [5月19日(日)09時21分41秒]
>> 元の発言 [ 卑弥呼と天照大神 ] お名前 [ たかとり ] 日付 [ 5月16日(木)01時09分07秒 ]
>> >> >> 倭人伝の卑弥呼記事からは天照の話は出てこないはずなのですが、なんか、ダブらせて考える方が少なありません。
>> >> >> 鬼道をよくする巫女(女王になる前はそうでしょう)と、女神はまるで異なるはずなのですがねぇ。
>> >> 租霊信仰が、色々集合すれば、と言うところでしょうか?
>> >> 租霊たる女王を女神として祭ったのが、いつのまにかと言う奴でしょうが
>> >> 言霊信仰と言う奴も原因ですか、卑弥呼が日巫女そしてと言う事ですが。
>> >> どうも、風土記など多くの伝説が残っていれば、また違うかも?
>> 卑弥呼が,アマテラスに近似した神格に仕えていたことはあり得ても,
>> 神話の天照大神自身ではあり得ない,ということではないですか。
どうも、再度のレスありがとうございます。
平原墓の女王のと言うことになるのでしょうか?
今回また平原墓を見に行きました。
そこで、ドジをこきまして、予定よりバスで、二つですか乗り越したんです。
気がついて、慌てて降りましたら丁度、住吉神社前なんて出来過ぎ見たいです。
こりゃ何の廻り合せなのかと思い、一応、お参りしてみました。
不思議なのは、その神社には由緒の説明がありませんでした。
普通、この位の神社ならと思い探したのですが、見つかりません。
はてな?何でこんなところにと考え込みましたが
・・・・
まあ海が近いのだしと、考えを停止したのですが、気にはなるんですね。ハハハと言ったところです。
それで、二つ度々歩きマシテそこからまた降りる予定の場所を確かめ、まず、資料館へ歩きました。
資料館からの帰りに三雲南の墓の場所から平原墓へ歩いたんですが・・・・
資料館から三雲南の途中に東に向いたような鳥居だけみたいなものがありますね。
ありゃなんじゃと、説明でもと、見に行きましたが?????でした。
そのすぐ近くには、女神を祭っていることだけは、わかっている神社がひとつ???
更に平原墓の柱、さて、妄想爆発しそうなので、これは、ここまで。
>> 確かに,そういう筋での推理のほうが面白いです。
>> 記紀神話の場合,日食というより,
>> 文飾とはいえ,火山鳴動という印象であるし,^_^;
>> 活火山の被害に怯えた記憶の伝承としたら興味深いです。
>> 太古の噴煙というものは,日本列島の広域に及ぶものがあったらしいですから。
星野 宣 先生の『ヤマタイカ』みたいですね。
確かに、喜界カルデラの件もありますし。
阿蘇だって、どれだけの破さいりゅうを出していることか?
隋書の記述にもありますしね。
とすると、桜島、霧島、阿蘇の鎮めということになりますが・・・?
あとは、薩摩硫黄島などの南の島々、でも、やはり、そうだとするんなら、
喜界カルデラの記憶とするのが妥当でしょうね。
でも、そうだとすると卑弥呼の文字は火巫女でしょうしとこう言う考察になりますね。
まったく、古代の発音を知らなければ・・・・
どんどん、変なほうに飛んでいってしまいます
まったく思考に収拾つかなくなりましたので、かってなことを書き連ねるだけにして、
それを、お詫びしながら終わらせていただきます。
どうもすいません。
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