Re:卑弥呼と天照大神

投稿者[ キムイルボン ] 発言日時 [8月30日(金)18時30分51秒]

元の発言 [ Re:卑弥呼と天照大神 ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 8月29日(木)21時20分07秒 ]

とはいえ、順当に考えてみると、魏志倭人伝の時代近畿には後の前方後円墳の走りはあるようではあるが突出した古墳の集中はなく、全国的に弥生墳丘が均一的に分布していたようであり、後漢鏡、魏鏡などの銅鏡時代の開始以前の各地の様相をシンクロ的に描くと近畿のこうした銅鏡、古墳の静的な相から、動的な相に激変するとき、シンクロ的に九州の相の変化がどうであったかということは重要なことでしょう。畿内説とは急膨張する箸墓等の前方後円墳、纒向への人口集中ということを魏志倭人伝の卑弥呼の塚、狗奴国との戦闘と同一視することであろうと思います。九州説とはこれをこのように同一視せず、九州地方においてシンクロ的に同様のことがあったとすることではないでしょうか。もしこうした九州説が正しいとすると大量の鏡が畿内の古墳用に送られていることは女王は象徴的存在であり、男王とは何千里も離れ、共立ということで弥生の常識で言えば同国とはいえない関係になり、このへんから大和は狗奴国じゃーないかということになるのでしょうか。



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