元の発言 [ Title あ! ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 6月26日(水)20時44分04秒 ]
>> 韓伝を見ていたらまた面白い記事を見つけました。
>> 『東方人名我爲阿』
>> 辰韓人は自分を「あ」と言ったんですね。
>> 日本でも昔自分を「あ」とか「あれ」と言いましたよね。
>> 「あれ」はその後「われ」になった。
>> 古代韓国語と古代日本語の関連も魏志東夷伝は証明していたんですね。
如何も、こんばんわ。
確かに、其の通りですね。
でも其れって、百済語の流れにもなるんでしょうか?
以前、飛鳥時代以前の皇族や豪族達は、百済語がしゃべれた。
または、其の当時の言葉は、現在のイタリア語とスペイン語くらいの差しかなかった、
と言う事を聞いたことがあると書いたときに否定された覚えがあります。
これは如何なのでしょうか?
記録によると、中国の使節と会談する時は、通訳がついた記録があるようですが、
百済の使者と話す時、通訳がついたとの記録は無いと、
ソレが本当なら、百済語がしゃべれた、または、言葉が非常に近くてユックリはなせば、理解できるほどの違いしかなかった。
との結論が導かれろことになるのですが、いかに?
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