元の発言 [ Re: 倭人伝の誤字率 ] お名前 [ マルセ ] 日付 [ 4月13日(土)20時49分58秒 ]
>> >> う〜ん、専門家が本当にそう思ってるかな。
>> #古田氏以外にそうなことを言っている専門家はいないと思いますが。
論文集IIIの尾崎氏の論文や佐伯氏の文章を見て下さい。
「分がある」のはまあいいですが、99:1というほどに
確実に判断できる問題とは思えません
>> >> 「邪馬壱国」だった可能性として次のようなものがあります。<中略>そういう可能性も十分あるのに、99:1ですか・・・。
>> #それ以前に「邪馬壹」じゃ日本語にならないということで十分だと思います。他の国の言葉で読めるかどうかまでは知りませんけれど。
「邪馬壹」の意味が分からないということだったら、
地名の語源がはっきりしない例なんていくらでもあります。
あと「壹」はヤ行あたりもありえますよ。「yit-yut」の範囲かな?
音訳語を見ていると当時ア行があったかどうか、不安な気もします。
それから、邪馬台国が国々を統一したときに、中国語ふうの国名を付けた
可能性なども考えます。
>> >> 質問なんですが、12世紀の三国志は原本から何回くらいの転記を経ていると思われていますか? 私はせいぜい1〜5回の範囲だと思ってるのですが。
>> #1回と言うのは、「12世紀まで陳寿直筆の木簡が現存していて、それには裴松之の書いた注釈の紙が貼り付られていた」ってことですか?
裴松之の時代から数えてです。
いくつかの写本を比べていたようなので、ここまではある程度信頼しても良いのでは。
>> 古田氏の論文にも書いてありますが、呉志第8に「臣松之見諸書本」の記述があり、裴松之の時代に既に、少なくても2本より多い写本があったことが伺えます。2回以下ということは絶対なく、5回以下というのもどうかと思います。誤字脱字があれだけ多いのですから、相当回数書き写されていると考えた方が自然ではないでしょうか。
う〜ん、では10回くらいですか?
「臣松之見諸書本」はいくつか見比べているということで、
10冊の写本があったら10回というわけではありませんよね。
>> >> 倭人伝以外の部分でいいかげんな態度が見られればそう思ってもいいでしょう。
>> #ですから、裴松之の「そんなわけないじゃん」という注がたくさん・・・
白髪三千丈式の誇張の部分はあると認めますが、国名、人名、地理などの記述に
おいて「まったくの嘘」があるかどうかということです。
以前のマルセさんの投稿ですが、
>> 傑作なのは、建安5年正月のところで、ちくま学芸文庫の「正史三国志I」から引用すると、「臣裴松之は>> 考える。歴史家が言葉を記す場
>> 合、潤色が多いものだ。したがって、先行の書物に述べられていることには事実でないものがある。後の作>> 者がまたかってな考えを起こ
>> してそれを改める。真実を失うという点で、ますます距離があくというものではないか。」裴松之のこんな>> ボヤキが三国志の中に書かれて
>> います。
これは、後世の歴史家が勝手に文章を書き換えているのを批判している部分で、
三国志自体に対する批判ではありません。
私も中国史書の文字を他に異字があるだけで「誤り」として勝手に校訂しているとき、
同じ感想をもちます。
>> >> 中国の文章ですからもちろん誇張はありますが、順番でないものを
順番にあると誤解されるような記述が本当に多いですか?
>> #仰ることが論理的におかしいです。多くないとマルセの言う『三国志は「魏使が実際に行って確認したわけではなく、・・・陳寿ほか誰かが、21國の順を地理的なものと誤解した可能性がある。」くらいには、いいかげんなもの』という理屈が成り立たない理由がありますか?
三国志自体がいい加減だから、倭人伝もいい加減だと主張されているならば、
三国志の中の信頼できない箇所をたくさん挙げるべきです。
魏使にしても陳寿ほか誰かにしても、そのような勝手な誤解をして
三国志に記載した例があるのでしょうか?
一番分かりやすいのは、連続行程ではないのに「又」を使用した例でしょうね。
>> >> 倭人伝中の固有名詞の日本語らしさ、例えば次清音の回避などは信頼に足る資料だということを示していると思います。
>> #これらの文字を選んだのは、おそらく、魏使の梯儁や張政ら、もしくはその同行者などの帶方郡の役人でしょう。編者の陳寿や陳寿が引き写した史書の著者が関与した可能性はほとんどありません。
もちろんそうです。そして、途中の書写によって全体の3割も間違っていたならば、
次清音字が混じっても不思議はないと思います。
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