元の発言 [ Re: 倭人伝の誤字率 ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月9日(火)08時19分33秒 ]
>> 少し見てみたのですが、ある文献とは異なるということを書いていますね。
>> 三国志側が全部間違っているとしてもいいわけですか?
#100%とは言えませんけれど、別の文献と単に違っているというだけじゃなくて、記述が文法的におかしいとか、明らかに一字抜けているとか多いとか、中国人の常識と照らし合わせて間違っているとか、そういうことです。
>> あれ?0と思われているのですか・・・?
#校記の中に倭人伝の部分は全くないということです。それと、「その割合だと、2000文字の倭人伝に何ヶ所の誤字・脱字があると推測され、50文字の国名に何ヶ所の誤字・脱字があると推測されますか?」という推測には、意味がないと考えているということです。
>> 70万字にも及ぶ「三国志」を写すのですから、結構な労力ですよね。
>> そこで「誤字・脱字」が起こるという話ではなかったですか?
>> 似たような文字とか文字が読みにくいとか、そういう理由で誤字となる
>> というのではなかったでしょうか。
#そういうことも理由の一つでしょうが、逆に言えば「洛陽」なんてまず間違えない単語ですよね? 聞き慣れている・書き慣れている単語ほど間違いにくく、そうではないよく知らない単語ほど間違えやすいのは明白なことと思います。
>> う〜ん、専門家が本当にそう思ってるかな。
#古田氏以外にそうなことを言っている専門家はいないと思いますが。
>> 「邪馬壱国」だった可能性として次のようなものがあります。<中略>そういう可能性も十分あるのに、99:1ですか・・・。
#それ以前に「邪馬壹」じゃ日本語にならないということで十分だと思います。他の国の言葉で読めるかどうかまでは知りませんけれど。
>> 質問なんですが、12世紀の三国志は原本から何回くらいの転記を経ていると思われていますか? 私はせいぜい1〜5回の範囲だと思ってるのですが。
#1回と言うのは、「12世紀まで陳寿直筆の木簡が現存していて、それには裴松之の書いた注釈の紙が貼り付られていた」ってことですか?
古田氏の論文にも書いてありますが、呉志第8に「臣松之見諸書本」の記述があり、裴松之の時代に既に、少なくても2本より多い写本があったことが伺えます。2回以下ということは絶対なく、5回以下というのもどうかと思います。誤字脱字があれだけ多いのですから、相当回数書き写されていると考えた方が自然ではないでしょうか。
>> 倭人伝以外の部分でいいかげんな態度が見られればそう思ってもいいでしょう。
#ですから、裴松之の「そんなわけないじゃん」という注がたくさん・・・
>> 中国の文章ですからもちろん誇張はありますが、順番でないものを順番にあると誤解されるような記述が本当に多いですか?
#仰ることが論理的におかしいです。多くないとマルセの言う『三国志は「魏使が実際に行って確認したわけではなく、・・・陳寿ほか誰かが、21國の順を地理的なものと誤解した可能性がある。」くらいには、いいかげんなもの』という理屈が成り立たない理由がありますか?
>> 「陳寿の文章は質朴で簡潔である」というのが一般的な評価だと思います。
#この場合は、特に関係ない話[もしくは、簡潔にするあまり意味がやや取り難くなってしまった部位もある]だと思います。
>> 倭人伝中の固有名詞の日本語らしさ、例えば次清音の回避などは信頼に足る資料だということを示していると思います。
#これらの文字を選んだのは、おそらく、魏使の梯儁や張政ら、もしくはその同行者などの帶方郡の役人でしょう。編者の陳寿や陳寿が引き写した史書の著者が関与した可能性はほとんどありません。
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