元の発言 [ Re: 倭人伝の誤字率 ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月24日(水)07時48分44秒 ]
やましさん こんばんは 横道に、だいぶ、それてきた感じがします。ぼちぼち終りですか。
>>古い地名の場合は難しいと思います。(例えば、国造本紀の国名)
>>例えば、四国で行きましょう。
>>「讃岐」「伊予」「土佐」「阿波」
>>これらの地名は本当にその由来を確定できていますか?
>>いくつかの候補はあるけれど、その他の可能性も高く、はっきりしていないと思います。
#そうゆう根源的な話なら、そうでしょうね。「やま」を分解して意味を考えようとしても難しいのは理解できます。ただ、「邪馬壹」の場合は、「邪馬の壹」で「山の壹」ということでしょう。壹が「い」「いつ」では和語としておかしいので、「ゆ」「ゆつ」くらいでしょうか。「山の湯」国ですか。
>>一般には、上代語に対応しない古い地名もあると考えられているのではないでしょうか?
#上代の文字資料は限られていて、上代に使われた言葉の全てを私たちは知っているわけではないので、この書き方では不正確と思いますが、仰りたい意味はわかります。
>>「巳百支」→「已百支」・・・「巳」と「已」の使用法。
>>最後は分かりますか?
#宋代のテキストを見ると、どちらも「已百支」は「巳百支」にみえますね。漢字の字体については、よく分かりませんけれど、「巳」と「已」はもともと同じ字だったのですから、後代に写されたテキストとして、どちらを使うのが正解というルールはあるんですか。倭人伝の「他人就歌舞飮酒已葬舉家詣水中澡浴」「名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大」の部分の「已」も「巳」に見えますよ。
>>もし正確を期するなら、その時代に残っている最も信頼性の高いとか古いとかいったものを転記しませんか。3冊以上を見比べることも可能かもしれません。
#たぶん、こうゆうのは現代人の感覚だと思います。
>>それらの写本との異同はどうなのでしょうか?
>>随分違ったものもあるとどこかで見たので、実際にどこが違うのか調べてみたいです。
#吐魯番から出たやつは、孫権伝の黄武元年部分の写真が「日本の古代1」に載っています。次の部分ですが(○、…は読めないところ)、
○○元年春正月陸遜部將軍宋謙等攻…
○○破斬其將三月潘陽言黄龍見蜀軍…
據險地前後五十餘營遜隨其輕重以兵…
拒自正月至閏月大破之臨陳所斬及投…
首數萬人劉○奔走僅以身免初權…
○而誠心不款魏卻遣侍中辛[田比]尚書
桓階往與盟誓并徴任子權辞讓不…
九月魏乃命曹休張遼臧霸出洞口…
○濡須曹真夏侯尚張[合β]徐晃圍…
遣呂範等督五軍以舟軍拒休等諸…
この短い文章の中でも、現行テキストとは、破斬(破之斬)、潘陽([番β]陽)、遜隨其輕重(遜隨輕重)、魏卻遣侍中(魏乃遣侍中)の4か所で異なっています(一番最後の例は、トルファンのほうが正解でしょうね。他ははっきりしません)。
これ以外については、中国に実物を見にいくしかないのでは。
>>知りたいことは、和名抄の読みは本当に「地方での読み方」を確実に伝えているのだろうかということです。
>>同じ温泉郡で「味酒郷」の読み方が諸本によって「むまさけ」と「まさけ」と異なっています。
>>ちなみに地元では「みさけ」と読むらしいです。
>>なぜこのような違いがあるのか。
>>地名が変化したということなのか、それとも地方での読みを調べていないのか。
#この例は時代によって変化しただけだと思います。多分、「むまさけ」→「まさけ」→→→「みさけ」
「无万佐介」と「万佐介」は表記のゆれの範疇かもしれません。
郷名のような小さな地名はともかく、中央集権であった古代であれば、郡名がわからないとはちょっと考えにくいです。郡名などの読み方が現代と違うのは、「江戸時代は、藩がメインで、日常において郡があまり意味をなさなくなった。明治になってから郡が復活した。」という事情も大きく作用しているのだと思います。
>>郡郷名で一音というのは、相当に珍しいです。(紀伊は「き」?)
>>こういう読み方をしなければならない郡名も珍しいです。
#それほど珍しくもないです。上代以前に一音で呼ばれたであろう地名由来の國郡郷名は、以下のとおり。
お−出雲國意宇郡
き−紀伊國、山城國紀伊郡紀伊郷、肥前國基肄郡基肄郷、讃岐國刈田郡紀伊郷
そ−大隅國囎唹郡
ち−豊前國田川郡雉怡郷
つ−備中國都宇郡、近江國浅井郡津宇郷、安芸國沼田郡都宇郷、越後國頸城郡都有郷、備後國沼隈郡津宇郷
て−備中國下道郡弟翳郷
と−備後國奴可郡斗意郷、日向國児湯郡都於郷
の−肥前國杵島郡能伊郷
ひ−肥後國八代郡肥伊郷、筑前國早良郡[田比]伊郷、出雲國大原郡斐伊郷
へ−陸奥國閉伊郡
ほ−参河國寶飯郡
ゆ−周防國玖珂郡由宇郷、伊豫國温泉郡、但馬國二方郡温泉郷、石見國邇摩郡温泉郷、肥後國山鹿郡温泉郷
え(ye)−薩摩國穎娃郡穎娃郷
ゐ−遠江國引佐郡渭伊郷
若干疑問のものも含みますが、28個みつけました。ほかにも、あるかもしれません。郡郷名以外に、漢字2字で一音を表した例として、久宇島、許意島、肥伊里、封有牧なんてのもあります。
>>一方、奈良時代の始めには、「雲仙」につながる「温泉」を「うんせん」と読んでいたとされています。
#地名の話なら、そんなわけないと思いますが? 何という文献に書いてあるのですか。
>>普通の文章で「温泉」を「ゆ」と読むのは当たり前だったかもしれませんが、地名としての「温泉」が本当に「ゆ」だったのか、疑問に思います。
#和名抄を校訂しないのなら、「ゆ」以外にありえないわけで、何を仰っりたいのかわかりません。また、「温泉郡」は藤原宮から「湯評」の木簡も出ているのだから、飛鳥時代から「ゆ」だったのはほとんど間違いないわけですし。
>>いくつかの読みがある場合に、どうやって確定するのですか?
>>当然難しいことになると思いますけど。
#和名抄以外にも各種の文字資料があることや、比定地の現在の読み方などから、若干の例外や多少の音のゆれを除いて、ほとんどの地名は推測可能なようです。郡名くらい大きい地名になると、疑う余地はあまりないと思います。
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