「宋史日本伝」における地名

投稿者[ やまし ] 発言日時 [4月11日(木)23時18分51秒]

元の発言 [ 倭人伝の誤字率 ] お名前 [ マルセ ] 日付 [ 4月7日(日)18時14分53秒 ]

2001年12月のマルセさんの投稿文から引用させていただきます。

>> 例えば、「宋史日本伝」を見ますと、日本の66カ国と3島が
>> 記されていて、そのうち、下総が脱落、
>> 近江→通江、飛騨→飛弾、若狭→狭、但馬→徂馬、隠岐→隠伎、
>> 播磨→播麼、美作→美竹、紀伊→伊紀、
>> 阿波→河波、讃岐→讃耆、壱岐→壱技と誤記されていす。つまり、
>> 国名島名の17%(12/69)
>> に間違いがあります。ただし、「飛弾」、「隠技」、「播麼」、
>> 「讃耆」、「壱技」は元の音に近いので、
>> これらは表記の揺れの範疇というか、まあ無害な誤写と捉えられ
>> なくものないので、これを除くと、
>> 誤記・誤刻の比率は、10%(7/69)ということになります。

文書に差異がある場合、なぜそのような差異があるのか、
だれに責任があったのかを調査するべきでしょう。
まず文字から分かるように、これらは音訳による
国名ではなくて日本の文書からの転記です。
文書は、ち海蕕カイ犬拭峅ηa綉@廖嵜Πm瓠廚亮緬椶任靴腓Δ@」

まず、地名に用いられる漢字が統一されていたわけではないので、
以下は別に問題ないですよね。
(「陸−六」「岐−耆」が誤記ということはまず有り得ないでしょう。)

正解 百納本 開明書店版
北陸 北陸 北六
隠岐 隠伎 隠伎
讃岐 讃耆 讃耆
壱岐 壱伎 壱伎

正解との差異は次の3つの理由が主に考えられます。
(1)正解ともとの文書との差異。
(2)百納本における転記ミス。
(3)開明書店版における転記ミス。

近江 通江 通江
丹後 丹彼 丹彼
但馬 徂馬 徂馬
若狭 若狭 狭
播磨 播麼 播麼
山陽 小陽 小陽
美作 美竹 美竹
紀伊 伊紀 伊紀
阿波 河波 河波

(1)(2)(152字中7字)
「近−通」「後−彼」「但−徂」「磨−麼」「作−竹」
「阿−河」「紀伊−伊紀」
(3)(152字中1字)
「若狭−狭」

(1)(2)は分離できないのですが、これほどまでに
多くの誤りがあるのは何らかの理由を考えざるをえません。
それぞれの差異から判断すると、もとの文書の文字が不明瞭、
あるいは不正確だった可能性が高そうです。
つまり宋史の編纂者の責任にするのはどうだろうかということです。
もとの文書が不明瞭であった場合は、どんなに正確を期しても
いくらかは誤記が起こり得ます。
以上は、宋史での他の文書の転記について調べれば判断できます。

倭人伝の場合の同時代の同国人(あるいは中国語原音を知る者)
による音訳語とは状況が違うのではないでしょうか。
三国志における倭人伝以外での音訳語の多くが間違いならば、
倭人伝の音訳語も間違いが多い可能性は高いでしょうが・・・。

>> また、宋史は約650年前ですが、三国志は1700年以上も前の本ですから、
>> 書写された回数を考慮すると、
>> 三国志の誤字・誤刻の比率は、少なく見ても宋史程度の10%くらい、
>> 多く見ると宋史の3倍の30%程度
>> あると考えても間違いとは言えないでしょう。
>> となれば、魏志倭人伝の30カ国の中で、誤写・誤刻は、3〜10個
>> 含まれている可能性は相当高いと
>> 思われます(このくらいありそうなのは、「對馬国・對海国」、
>> 「一大国」あたりの表記からも
>> 十分言えそうです)。

その年数の数え方は、あまり意味がないと思います。
原本から現在残った最も信頼できる史料に至るまで、
どのような人々によって何回書写がなされたか、
というのなら分かりますが。
私には正史である三国志70万字を書写する人々が、
いい加減な態度であったとは思えません。
「対海国」「一大国」については対応地名「対馬」「石田」
があると考えます。


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