Re: 「宋史日本伝」における地名

投稿者[ やまし ] 発言日時 [4月18日(木)07時32分44秒]

元の発言 [ Re: 「宋史日本伝」における地名 ] お名前 [ マルセ ] 日付 [ 4月13日(土)20時52分37秒 ]

>> >> (1)(2)は分離できないのですが、これほどまでに多くの誤りがあるのは何らかの理由を考えざるをえません。それぞれの差異から判断すると、もとの文書の文字が不明瞭、あるいは不正確だった可能性が高そうです。つまり宋史の編纂者の責任にするのはどうだろうかということです。もとの文書が不明瞭であった場合は、どんなに正確を期してもいくらかは誤記が起こり得ます。

>> #宋史には「[大/周]然善隷書」とありますよ。少なくても、皇帝に提出したちょう然の文書がへたな読みにくい字で書かれていたなんてのは、ちょっと考えにくいです。それより、国名を書き写した回数が、[百衲本→開明書店版]間より[ちょう然提出文書→百衲本]間のほうが断然多かったと考えるほうが普通じゃないでしょうか。

>> >> 以上は、宋史での他の文書の転記について調べれば判断できます。

>> #是非調べてみてください。

う〜ん、ちゃんと転記できた個所をひとつだけ見つければいいのかな?
時間があればやってみてもいいけど、意味があるかなあ。問題がずれてしまってるので。
宋史とは違うけど、三国志では紹熙本と紹興本とでそれほど違わないということは、
きちんと転記される場合もあるということでいいですか。
なんか当たり前のことですけど。

>> >> 倭人伝の場合の同時代の同国人(あるいは中国語原音を知る者)による
音訳語とは状況が違うのではないでしょうか。三国志における倭人伝以外での
音訳語の多くが間違いならば、倭人伝の音訳語も間違いが多い可能性は高いでしょうが・・・。

>> #この感覚はちょっと理解できません。宋史の場合より、三国志の場合は、
倭人の話を音訳するという工程が一つ余計に加わるということですよ。三国志のほうがより
多く間違っているというならわかりますが。

同国人なら文字の伝達はスムーズだろうということです。
それにしても、観念的な推論だけで間違いがあったんじゃないか
といっているだけですよね。
三国志の音訳語であきらかに間違った例を出してほしいのですが。

>>
>> >> 「対海国」「一大国」については対応地名「対馬」「石田」があると考えます。

>> #紹興本(1131〜1162年)に「對馬國」、紹煕本(1190〜1194年)に「對海国」とあるのですよ。
「對海國」ができたのは「邪馬壹國」ができたのより新しそうですけれど。

う〜ん、そんな成立年代なんて意味がないと思いますが。
どういう系譜で書写がなされて、どこで校訂を行ったかということが問題でしょう。

>> 「一大國」のほうは、太平御覧(983年)の引用する魏志にもそうあるので、もう少し古そうですが、
壱岐の石田の地名は、古くは「いはた」と読まれていて「いした」ではなかった可能性が高いです。
万葉集にそういう歌があります。
>>  「對海」は「對馬」の、「一大」は「一支」の、それぞれ、日本の地名をよく知らない
人物による後年の誤写と考えたほうがよいでしょう。

石田が「いわた」か「いした」かなんて、
どちらか確実に判断できる問題じゃないでしょう。
そういう場合はどちらの可能性も考えるべきです。
そして「一大」=「い(っ)だ」にどちらも近いといえば近い。
「海」は上古音だとマ行なわけで「対海」=「つ(っ)ま」
は「つしま」に近い。そういう対応地名があっても、誤写ですか・・・。
よほど運がいいんですね。


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