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自宅や齋藤助産院で出産されたお母さん(お父さん)たちの記念写真と感想の声です。 |
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前のお産が病院で”産まされた”もので、切ない思いだったので、次の子は自然なお産がしたいなーと思っていました。こちらで検診を受ける度に、お産に対する前向きな話に、お産が楽しみでワクワクしていました。”主人と一緒に”との思いは実現できなかったけれど、先生と新開さんがとても気持ちよく誘導して下さったおかげで、びっくりするほど気持ちよくお産することが出来て、とっても満足です。前のお産は何だったんだろうと、上の子に申し訳ないくらいです。この子はここで生まれることが出来て本当に幸せものだなーと思います。おっぱいの相談にものってもらえ、ご飯も心がこもって美味しくて、いたれりつくせりで過ごさせてもらいました。この世のお産がみんな、こんな幸せに満ちたものになればいいのになーと思います。本当にありがとうございました。 (助産院 2005年8月) |
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今回、二人目の出産は念願かなって齋藤さんのところで出産することが出来ました。一人目のときも、齋藤さんのところで是非と思っていたのですが、42週を過ぎてしまったので、湘南鎌倉病院で出産することになってしまいました。....で、今回は正期産のうちに出産しよう、もし病院で出産したとしても、齋藤さんのところに戻って来よう、というふうに、かたく思っていました。 実際は予定日の1日前から破水が始まって、おしるしがあって、そのまま陣痛が来ました。予定日になって、かなり間隔が狭くなって来たので、齋藤さんのところへ行って、その後は痛くなるとマッサージをしてもらっていました。基本的に四つん這いでいることがとても楽だったんですが、かなり痛みが下にさがってきた頃に、齋藤さんに「ちょっとトイレに行ってごらん」という風に言われました。「ん?トイレかー」と思って、痛いし動くの嫌だなーと思いながら行ってみたんですが、これがなかなか快適で、陣痛が来ないときは背中に寄りかかってみたり、陣痛が来ると前かがみになってみたりで、これがかなり良かったです。....で、そろそろベッドに戻りましょうと吉本さんに言われて、戻ってくると、だいぶ頭が見えるかな見えないかなくらいまで来ていて、今回産む前に必ず赤ちゃんを見るかもしくは触ってみたいと思っていて、今回は触ることが出来ました。赤ちゃんの頭を触ると、「あともう少しなんだ」というのが分かって、少し冷静になれたんじゃないかなと思います。その日は助産婦さんたちも皆さんが来てくれて、みんなで「ハーッ、ハーッ、ハーッ!」の大合唱が始まって、そのうち頭が出て、体が出て、元気な男の子が生まれました。 入院中もちょこちょこ様子を見に来てくれたりして、「こんなに楽な入院生活でいいんだろうか」というくらい本当に快適でした。幸せな子育てのスタートが切れたんじゃないかなと思います。齋藤さん、助産院の皆さん、それからパパ、それから二歳になるお姉ちゃん、本当にみんなどうもありがとう。 (助産院 2005年8月) |
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(ママ)8月10日、齋藤さんと同じ誕生日に、無事男の子を出産することができました。最終的に徳州会での吸引分娩となってしまいましたが、陣痛の間、ずっと腰をさすってくださった齋藤さんや新開さん、本当にありがとうございました。いろいろお部屋を替えてみたり、体勢を変えてみたり、本当に辛抱強く陣痛を待ってくれましたが、大きな陣痛が来ることなく、赤ちゃんはそこまで見えているのに、私の体力の限界もあって、病院での出産となりましたが、病院の分娩室でも、新開さん、齋藤さんがずっと私の体をおさえて、励まして、さすってくれて、パパも横にいて励ましてくれて、ちょっと恐かったけど、終わってしまえばウソのように、忘れてはいませんが、吸引分娩も悪くないと思いました.....そんなわけ無いか!?でも元気な赤ちゃんで、赤ちゃんの顔を見たら、今まで辛かったり、痛かったりしたことが、ウソのように消えて無くなってしまったのは本当です。本当に励ましてくださったおかげだと思ってます。....ウン、心強かったです。 (ママ)吸引分娩が終わって、そのまま入院になったら嫌だなと思っていましたけれど、3時間程度の入院で、すぐに助産院に帰って来れたので、気分的には助産院で産んだような気持ちでいます。助産院にいる間は、病院で生まれたために赤ちゃんが胃の中のものを空っぽにされてしまって、最初からお腹が空いている状態で、でも私のおっぱいはまだ出なくて......という時に、伊能さんや吉本さんがおっぱいを分けてくださって、本当にこの子は幸せだなと思いました。そんなことも助産院でなければきっとしてもらえず、ほ乳びんでミルクをあげられ、母乳で育てることを、もしかしたら諦めていたかも知れないと思うと、こちらに帰って来て良かったなと思いました。入院中の5日間、本当にお食事も美味しかったし、初めての育児に集中することができて、家に帰ってもやっていけるという自信がついた気がします。二人目三人目ですが、最初たいへんな分娩をした人も、二人目三人目は助産院で超安産な人もいるよと聞いて、二人目三人目はもちろんこちらでお願いしたいと思っています。本当にいろいろなスタッフの方に支えられて、すてきな時間を過ごせましたし、元気におっぱいを吸う息子を見ていると、本当に....... (パパ)そんな長いの文に出来ないよ、それだけで1ページになるよ。 (ママ)....本当にこちらでお世話になることが出来て、良かったと思います。ありがとうございました。では、パパから一言、お願いします。 (パパ)齋藤さん、新開さんをはじめ、皆さま、多くの方々、どうもありがとうございました。(ママ:きみもなかなか言うネ。)齋藤助産院さんは『母と子のサロン』となっていますが、父のサロンでもあると思っています。本当にお世話になりました。ありがとうございました。 (ママ)以上です。適当に直して下さい。(齋藤パパ:すみません、一字一句そのまま載せました!) (病院 2005年8月) |
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自宅から車で15分のところにある齋藤助産院。一人目の子もここで産み、今回のお産も齋藤助産院の和室で産む以外、イメージできませんでした。 ずっと逆子のままでいて、そのためにやっとお父さんにゆっくりお腹をなでてもらったり、「頭が下ですよ」と話し掛けてもらったりして、ゆっくりお父さんの声を聞くことができました。8月5日(金)17:00頃、湘南鎌倉総合病院で、井上先生と助産師のきくちさんの手で外回転をしてもらいました。5分位で、クルッと上手にまわってくれました。8月15日(月)18:00頃より私が突然38.7度の熱を出しました。次の16日も38.0度から38.7度の間を行ったり来たりしました。15:00ごろトイレへ行くとおしるしがありました。21:00過ぎ、歯みがきする時にいつものように腰をかけたら何故かお尻に違和感あり、その日は立っている方が楽でした。そのあと流しで洗い物をし、立ち仕事をしている間にどんどんお産が進んでいる感覚があり、熱が下がってからお産になるよう、明朝はゴロゴロしていなくちゃダメだ....と思いました。22:30ごろ寝る前に検温すると39.0度ありました。その夜12:00頃、上の子の祥太郎に「お母さん、お母さん」と起こされ、「お母さんはここに居るよー」と声をかけ、二言、三言、祥太郎と話をし、いつものように水を飲ませると祥はパタンとうつぶせになり、再びスヤスヤ寝付きました。その後。12:20頃、12:40頃、1:00頃、1:20頃と軽い腰の痛み程度の陣痛があり、1:20トイレへ行って、「眠ったら朝まで陣痛遠のくだろう」と横になり一眠りしました。次の陣痛で目がさめ、時計を見ると何と1:25。あれ、5分しか経っていないと思っていると、その後1:30、1:35、1:40と波が来て、齋藤さんへ電話し助産院へ行くことにしました。 2:20助産院に到着。10分後くらいからどんどん陣痛の強さが増し、前回のようにうまく力を抜くことが出来ず、困ったなーと思っていました。そのうち「思いっきり声を出すと少しラクかな」と思っているうちに、齋藤さんの「赤ちゃんもうじき生まれるよ。」という声が聞こえました。それから本当に2回くらいの陣痛で頭がはさまったのが分かり、次の陣痛で頭が抜け、体がヌルッと抜けたのが分かりました。でも、すぐには産声きこえてこなくて、私が「泣かないねー」と言い、その後じきに「ホニャ」と聞こえて「泣いた、泣いた」と思っていると、また力強く2.3回泣きました。後産については、自力で胎盤を出してみたいと希望していました。「自分で子宮押してみて」「いきんで出して」と言われ、なかなか次の収縮の波がこなかったこともあり、自力で出すと言っても思ったより難しいのかなーと思いました。そのうち収縮の波がやってきて、いきんでみると「全部出た出た」と新開さんが言ってくれました。無事に後産も済んで何よりでした。無理にひっぱらなかったからかどうか分かりませんが、その後の出血も前回より少なくて良かったです。 出産日と次の日はおっぱい吸う気がほとんどなく、どうなることかと心配しましたが、母の熱も下がった19日(金)から吸いはじめ、だんだん上手に飲めるようになり良かったです。出産日、祥太郎がはじめて面会に来て、部屋に寝ている赤ちゃんを見て「赤ちゃん」と言い、次に「かわいいね」と言いました。家に帰ってからの兄の祥太郎とのかかわりは、どんなふうになっていくのかと今から楽しみです。元気にすくすく大きくなって欲しいです。本当に生まれて来てくれてありがとう。 (助産院 2005年8月) |
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前回は病院で出産しましたが、一人目でお産に対する不安もあり、「産ませてもらっている」という感じでした。ある本で「出産は女性のからだ本来の機能を見直す良いチャンスである」という内容を読んで、二人目は自分と赤ちゃんの自然な力でお産を、と思い、実家に近い齋藤助産院を選びました。8月20日、夫、子ども、母に見守られたお産でした。 なかなか体位が決まらず、強い痛みが来ると。どうしても体がひけてしまったり、声がうまく出せなかったりしましたが、温かいタオルをあてて腰をさすり、励ましてくれたので頑張れました。立ち合いは無理だと言っていた夫も、とても感動してくれたようで嬉しかったです。子どもも最初は私の声に戸惑ったようでしたが、とても良い体験になったと思います。あとから齋藤さんに「臍の緒を巻いていたり、うまく回らなくなったりしたため、無理に強い陣痛が来たり、無理に押し出したりして、危険なお産にならないように、あかちゃんと母体は自然にそうしていたんだね。」と聞いて、とても神秘的だなと思いました。 産後も病院のように時間きっちりの授乳ではなく、和やかな雰囲気の中、美味しい食事、丁寧なおっぱいマッサージ、整体、アロママッサージと、とてもゆったりとした時間を過ごせました。スタッフの方の子ども達の声も、自分に余裕のない時ならうるさく感じるかも知れないけれど、ここでは逆に、「この子も早くみんなと一緒に元気に遊べるといいな」と思いました。これからお産をする人には”こんなお産があるんだよ”と、どんどん話したい気持ちでいっぱいです。これからも上の子も連れて、おっぱいマッサージに来たいと思います。本当にどうもありがとうございました。 (助産院 2005年8月) |
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二人目のお産をこちらでやりましたので、また迷わずにこちらの方にお世話になることにしました。お産の方は明け方に始まったので、家族みんなでこちらに来ることが出来ました。さすが三人目という感じで、1時間たらずの痛みでスンナリと出て来てくれました。上のお兄ちゃんがとても張り切っていて、頭が出てくるところを実況中継してくれたりとか、臍の緒を自分で切ったりとか、とても喜んでいたようです。次男坊はとなりでずーっと昼寝をしてまして、起きたら赤ちゃんが居たという感じで、ちょっと現実がよく分からないような感じでした。パパは慣れた様子で、慣れ過ぎて、ただとなりに座っていただけで、あまり役に立たなかったんですけど.....。みんな三人三様でリラックスムードで、とてもいいお産だったと思います。その後の入院生活も、まるで親戚の家にでも居るみたいな感じでリラックスして過ごすことができて、ご飯も今回もとっても美味しくて、毎回楽しみにしていました。とても素敵な数日間を過ごせたと思います。みなさん本当にお世話になりました。ありがとうございました。 (助産院 2005年8月) |
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今回3人目で、初めて満足するお産ができたと思いました。(パパの声:「もうちょっと近い方がいいと思うよ。」)自宅で出産して、最後までリラックスすることも出来て、齋藤さんと井本さんにも、いろんなことを教えてもらって、3人目の育児だというのに、初めて知ることがいっぱいありました。とっても勉強になりました。自宅で出産したので、本当にリラックスできて、お産そのものも軽かった、安産だったような気がします。満足できるお産が出来て、本当に良かったと思いました。どうもありがとうございました。 (自宅 2005年8月) |
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一人目もこちらでお世話になりましたので、何だかとっても懐かしい感じがしました。今回二人目で、台風の最中(さなか)陣痛が始まり、大雨の中、出迎えていただきました。こちらに着いてわずか30分で出産しました。前回は産まれてくる瞬間を見のがしたけれど、今回は瞬間を見られたので、すごく大満足しています。平日、夜中ということもあって主人は立ち会えませんでしたが、先生方に励まされながら、無事乗り切れたので、良かったと思います。前回、産後の出血が多くて、先生方に心配をかけさせてしまったんですが、今回は妊婦の時から漢方とか勧められて飲んでいたので、産後は順調に回復しました。赤ちゃんが産まれて、始めのうちは母乳の出が悪かったので、夜中はなかなか寝てくれなくて、すごく大変でした。そんな母乳のこととか、いろいろ些細な質問や愚痴を聞いてくれたので、かえってちょっとスッキリしちゃいました。入院中はホームステイ先にいるみたいで、個室でゆっくりできて、すごく良かったです。前回も思ったんですけど、お料理はレシピをいただきたいほど、すごく種類が豊富で、美味しかったです。最後に一言なんですが、いろいろアドバイスをいただきまして、ありがとうございました。また三人目が、もしできたら、こちらでお世話になりたいと思います。本当にどうもありがとうございました。 (助産院 2005年8月) |
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齋藤助産院のみなさん、大変お世話になりました。天野恵子です。出産はあっという間に終わってしまったんですけれども、その後5日間、とてものんびりすることが出来ました。みなさんの本当に温かいお心づかいに心から感謝いたします。こちらで、齋藤先生はじめ、スタッフのみなさんに沢山元気をいただきましたので、お家に帰ってから、また子育てに、家事に、頑張りたいと思います。 みなさんも、お体に気を付けて、楽しくお仕事をして下さい。どうもありがとうございました。 (助産院 2005年8月) |
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(ママ)上の子のお産のときに、なかなか思うように行かなかったのが、今回は助産院さんに出産のときに来ていただいて、自宅でみんなに囲まれて、望み通りの出産をすることが出来ました。.....おわり。 (パパ)ん?(オワリ?) (ママ)ウン、オワリ。 (自宅 2005年8月) |
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今回の出産は「自宅での出産」という方法を選んだんですが、とてもリラックスでき、家族とともに出産を迎えられたのが、とても良かったと思います。助産院の先生方みなさんには、とてもお世話になりました。どうもありがとうございました。 (自宅 2005年8月) |
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(ママ)私が齋藤助産院を選んだのは、陣痛促進剤や会陰切開をはじめ、管理された病院のお産には抵抗があったからです。照明灯の下、分娩台で産むのは恐いし恥ずかしいし、絶対イヤと思っていました。人の生き死には自然にまかせたいと思い、こちらに決めました。当初、私は始めてのお産だから、24時間助産師さんにフォローしてもらえる助産院がいいかなと思っていたのですが、夫は「自宅」と強い決意でいたので、いくらかの不安をかかえながらも自宅出産を希望しました。 (パパ)自分は、子供を産むなら「生活している場所で」と思っていました。とうとうその日が来ました。朝、由美子が破水があって、助産院に連絡したら井本さんが様子を見に来てくれました。しかし出産まではマダマダということで、陣痛を進めるためにいっぱい動いた方が良いと言われて、10時半から新江ノ島水族館へ遊びに行きました。行ってみたら夏休み最後の週で、大勢の人が居ましてろくに見学することも出来ず、”巻貝サンド”を食べて帰りました。その夜、再び井本さんが様子を見に来てくれまして、いろいろ見てもらったんですが、「まだまだ先が長いので夜は二人で過ごして頑張って」と言われました。もちろん何かあった時は連絡下さいと言われたのですが、その日は二人で文字通り出産を迎えるための長い一日を過ごしました。夜は陣痛と戦っていたのですが、すごく痛いらしくて私の方はその痛みは分からないので、ひたすら自分の眠気と戦いながら、痛みを緩和するための腰さすりを一晩中やっていました。それにしても、一生懸命やっているんですが、なかなか時計の針が進まない状況で、長い長い夜を過ごしました。 (パパ)午前3時に齋藤さんから電話があって「もう起きているので心配なら行きますよ」という連絡をいただいて、由美子に確認したら来て欲しいような顔をしましたので、来てもらうことにしました。来ていただいた後は、うまく由美子の痛みを緩和するように誘導してくれたみたいで、少し休んでいました。自分も眠気に勝てず、布団の中でぐっすり寝かせていただきました。朝方には井本さんにも来ていただいて、自分としては「いよいよかな?」と思ったのですが、なかなかその時はすぐには来ず、朝をずーっと過ごしていました。いよいよ9時前くらいから本番となり、波が大きくなって一生懸命由美子は産むように産むようにとやっているのですが、ついイキんでいるみたいで、なかなか産道が開かない状態で、齋藤さんが「立ってみたら?」と言ってくれて、自分が由美子を支える形で立ってやってみたら産道の開きが進んだみたいで、井本さんも齋藤さんも目の色が変わりまして、その後”セミファーラー”という形をとって出産の時を迎えました。頭が出てくるまではスムーズにはいかなかったのですが、頭が出始めてからは、後ろで支えながら、それから一呼吸おいて15分程で生まれました。自分としてはスンナリ生まれたなと思ったのですが、由美子自身は長い15分だったようで、大変だったようです。生まれた瞬間は感動というよりも、「無事に生まれて良かった」という気持ちの方が強かったです。一番感動したのは、二人で夜を過ごしている時に、由美子が一生懸命がんばっている姿を見たときで、この陣痛の痛みを乗り越えていく姿は、自分では痛みが理解できないけれども、ただただ「すごいな!」と思っていました。 (ママ)イザお産になるとそれはもう必死でした。自分は医療者だし、落ち着いて首尾良くかつ楽しみながらという思いはどこかに吹き飛んでしまいました。力が入って不要にいきんでしまうために、なかなか頭が降りてこなくて、でも痛くてどうしようも出来ずという状態でした。最終的には立位になって陣痛を迎えた時に、ようやく赤ちゃんが降りて来ました。その後は15分くらいで生まれたようですが、それがまた超長かったです。産後、のどが痛くなった程に大声をあげていたようでした。とにかく無事に生まれ出てきてくれたことにホッとしました。赤ちゃんが力強い産声をあげた時の感激は忘れられません。これだけの痛みに耐えられたのは、時々確認してもらう児心音がとても力強く、私も早く赤ちゃんに会いたいから「がんばらなくちゃ」と励まされたり、また夫がずっと側に居てくれたこと、そして齋藤さんも井本さんも本当にていねいに手厚く支えてくださったからこそだと思います。お産がなかなか進まない間も、本当に根気良くつきあっていただきました。私や赤ちゃん、それから家族を尊重したリズムで安心感につつまれたお産をさせてもらいました。結果的には自宅出産が私にはとても合っていました。なによりかってを知った場所でくつろいで過ごせましたし、産後も夫や家族が離れることなく居られたし、陣痛をのがす間も遠慮なく唸ったり叫んだり出来ました。今回のお産を思い出す度に幸せな気持ちでいっぱいになります。痛がって叫びまくって、けっして立派なお産ではなかったけれども、できるだけ頑張ったという達成感が残りました。一生の宝物です。娘にも、いずれ語って聞かせて、今回のすばらしい経験を分かち合いたいと思います。検診から産後のフォローまで齋藤助産院のスタッフの皆様には本当によくしていただきました。この場をかりてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。 (自宅 2005年8月) |
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2005年7月 |
2005年9月 |