齋藤助産院

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電話:0467-54-8841

住所:神奈川県茅ヶ崎市

    芹沢1409-9

  メールアドレス:

umu-umu@cg.netlaputa.ne.jp
ゲストルーム(2003年9月頃)

自宅や齋藤助産院で出産されたお母さん(お父さん)たちの記念写真と感想の声です。

 ここの助産院を選んだ理由は、自分の腰というか、脚の付け根というか、ずっと調子が悪くて、痛くて、分娩台の仰向けの状態が、たぶん一番辛いだろうと思ったのと、会陰切開をしたくない、浣腸したくない・・・と、いろいろありました。あと、上の子が、とてもお母さんべったりの子で、ちょっと出かけるにも「いっしょに行くー」とくっついて来る子なので、万が一、夜どうしてもダメな時には、ここに泊まらしてくれるようお願いしようかなと思って、こちらを選びました。

 陣痛は、上の子の時は微弱陣痛というか、前駆陣痛が長くて、丸二日間かかったのですが、今回は夜中の3時頃に痛くなって、朝9時半に生まれたということで、自分では短かったんだけど、その分すごく痛くて、「こっ、これがお産の痛さなのかー!」という感じでした。「波が来る」とかいうのがすごく良く分かって、「ひらけー!開いてー!」と言われているのが最初は全然分からなくて、前の会陰切開した時には麻酔したから分からなかったんだな、広げていかなくちゃいけないんだ、力ずくではないんだ、ということがすごく良く分かって、その経験はとても良かったと思います。赤ちゃんを迎えた時は、本当は主人と子どもにも見せたかったこともあるんですが、主人は自分がオロオロしていたし、息子は変なお母さんになっているから見せたくなかったので、出てきてから、臍の緒だけは切ってもらいました。その時はまだ興奮していて、臍の緒とか胎盤とか見せてもらったときは、普通では見れないものを見れたということで、すごく嬉しかった気がします。

 その後は、齋藤助産院の子ども達のにぎやかさと、逆に、日曜日のシーンとした静けさ・・・・静かなんだけど、さびしいわけでなく・・・・にぎやかなんだけど、イヤではなく・・・・何かとてもフシギな、フシギな5日間で、明日からの(自宅に戻ってからの)時間との戦いが恐ろしいです。ごはんもすごく美味しいし、今までの食生活を考えると、この5日間でせっかくきれいになったのに、またよごれた食生活になっちゃうかと思うと、おっぱいにも影響がありそうで怖いです。退院してからはどうなるんでしょうかネ?上の子とのやりとりが、とても面白くなると思うのでがんばりまーす!皆さん、本当にありがとうございました。

(助産院 2003年9月)

 家から近くて、家庭的なお産をしたかったので、ここの産院を選びました。陣痛は、私は腰がすごく痛くて、もう、腰ばっかりさすってもらっていました。赤ちゃんを迎えた時は、かわいいと言うより、「やっと出た!」という感じでした。でも、すごく嬉しいです。その後の生活は、本当に家庭的でとても良かったです。退院してからは、赤ちゃんと一緒に、自分も、お母さんとして成長していきたいと思います。

(助産院 2003年9月)

助産院での6日間は、時間は赤ちゃん中心なのに、ゆったり、ゆったりと流れていて、寝顔を見ながら添い寝をし、至福の時を過ごすことができました。本当にありがとうございました。

 3人目にして、やっと念願の助産院での出産を経験することができました。最初は消極的だった夫も、仕事途中、大急ぎで帰宅して、お産に立ち会い、お兄ちゃん達二人も見守る中、大きな澪(みお)ちゃんが誕生しました。破水とともに始まった陣痛は、あっという間に分きざみになって、姿勢を考える余裕もなくて、怒濤のように痛みが押し寄せてきて、子供達もかまってやれなかったんですけれども、井本助産婦さんがずっと子供達にかまってくれて、また、生まれるまでずっと腰をさすってくれて、生まれてすぐお腹に乗せてもらったときは、家族みんなで迎えることができて、ホッとしました。

(助産院 2003年9月)

 私のお産は、9月9日4時半の破水から始まりました。9月10日の夜中の12時半ぐらいから陣痛が始まって、3時過ぎには5分間隔になったので、助産院の方に向いました。4時半に助産院に着いて、それから8時間叫びまくり、12時10分くらいに、優斗(まさと)が生まれました。最初に生まれた時は、「やっと出てきた」という感じで、痛さからの解放と、あと、指もちゃんとあって、手もちゃんとあって、泣かなかったのが心配だったのですが、無事に生まれてきました。

最初は自分が疲れていて、だっことかができなかったのですが、おっぱいをあげた時にちゃんと飲めるし、ミルクもちゃんと出たので、良かったと思います。それからの日々は、夜泣きが大変かなとか思っていたんですが、けっこう、そんなに泣かなくて、ミルクもちゃんと飲むし、その時の表情が、ころころ、ころころ変わって、泣いたらイヤかなとか、怒っちゃうかなとか、イライラするかなとか思っていたんですが、意外に、ひとつひとつの仕種が可愛くて、怒る気はありませんでした。これからは、大変だと思いますけど、ちゃんと育てて行きたいと思います。パパからの一言は、ここには今いないんですが、たぶん、「パパより長生きをしてほしい」ということだと思います。以上です。

(助産院 2003年9月)

 今回は何もかもが始めての経験で、痛さとか辛さも、あの永さも、本当に生まれて初めてで、もう、これは絶対に、生まれて子どもが頭を出すというのが信じられないという感じで、絶望してしまったのですが、そのおかげで、始めて、他人に完全に頼り切るという経験もできた気がして、齋藤さんと井本さんと主人に頼り切って、何とか精神的には乗り越えることができました。身体の方はどうだったかというと、頭の方は冷静に絶望しているのに、身体は、もう、動物になり切ってしまっていて、かってに立ったり、座ったり、唸ったり、呻いたりしていて、人間はおもしろい、矛盾した生物なんだと思いました。

でも動物なんだと思って、安心したような、あきれたというような、今思うと楽しい経験でした。赤ちゃんを自分の胸に抱いた瞬間に、辛かったこととか、みんな忘れてしまうものなのだなということが分かって、本当にかわいくて、今、幸せです。自分で子どもを産んで、始めて、今まで子どもを産んだ人みんなを、尊敬したいような気持ちが湧いてきました。そういう意味で、お産って、ちょっと秘密クラブっぽいなと思って・・・・入ってみなければ分からない世界なんですネ。齋藤さん、井本さん、金子さん、他の助産院のスタッフの皆さんのお世話になって、無事に子どもを産むことができ、産後も乗り切ることができました。すごくご飯が美味しくて、齋藤さん、浅井さん、ありがとうございました。主人の心を永遠に掴んでしまったみたいで、ちょっと心配なのですが、それは又、自分で考え、頑張りたいと思います。幸せなお産をありがとうございました。私は、もう実家がないので、何か、この一週間は「実家ってこんなふうなのかな」と思って、幸せに感じられた楽しい一週間でした。

(パパより)待ってました。会えました。齋藤助産院さんにはずうずうしくも、頻繁に出入りして、ご飯も美味しく食べさせていただきました。次回は一緒に入院します(ママに促されての弁)。ありがとうございます。

(助産院 2003年9月)

 「助産院で自然出産したい」というのが希望で、いくつかのガイドブックを見ました。緊急時の提携病院として、アクティブバースを実施していて、自然な出産を目指している湘南鎌倉病院が書いてあったことと、住所は茅ヶ崎でも自宅から車で15分の所にあるということが分かり、齋藤助産院を選びました。大満足のお産ができて幸せです。お産については、赤ちゃんは自分でちゃんと生まれてくる力がある、とずっと信じていました。陣痛は赤ちゃんが産まれてくるために必要なこと、私が赤ちゃんに上手に協力してあげれば、赤ちゃんはちゃんと元気に産まれてくると思っていました。

 10月10日の満月の前後に産まれてくると思っていたのですが、38週の6日目、9月27日(土)朝6時半、少々の破水からお産が始まりました。とても天気の良い日でした。助産院で心音を確認してもらうと、赤ちゃんは元気とのこと。その日は、家で大掃除の続きなどをやって、それまでと変わらずに過ごしました。次の9月28日(日)昼頃から、時々生理痛のような痛みを感じました。2時過ぎには齋藤さんが電話をくれました。夕方、眠気が来て、5時から1時間程一眠り、6時過ぎに夕食。その後、痛みが少々強めになってきて、9時ころには10分間隔のこともありました。陣痛の時、眠たくてぐずっている赤ちゃんをだっこして、揺らしてあやす時のように、立って身体を揺らしていると、身体の力を抜いて陣痛を乗り越えることができるんだと発見しました。「低い声を出すといい」と聞いていたので、夫にも聞き苦しくないし、自分も気が紛れるしと、低い声で歌を歌って、陣痛の波をやりすごしました。赤ちゃんが出てきたいと思っているのに、出口が開かなかったら可哀想だと思って、「リラックス、リラックス」と心がけました。もしかしたら今夜駆けつけることになるかも、と思って、10時20分に齋藤さんへ状況報告の電話をしました。陣痛の波をやりすごしながら、入院前にやるべきこと、やりたいことを、一つずつ終らせていきました。

 いよいよ1時頃、齋藤さんへ「今から準備して行きたいと思います。タクシーで行きます。」と電話しました。1時半、齋藤助産院に到着。ダイニングでウロウロした後、トイレへ行って、和室に入り、時計を見ると2時でした。布団の横に立って、今までと同じように、腰をゆらしたり、回したりしていたのですが、だんだん疲れてきたので、思いきって布団の上へ、そのうちに、「椅子を使ってみたら?」と齋藤さんが提案してくれました。座布団で高さ調節をして、上にのせてくれた水色のクッションが気持ちいい........。だんだん強くなってくる波、でも「きっと、これくらいの痛みではまだまだなんだろう」と思って耐えていました。井本さんへ電話をしてくれた時、ああもうすぐ産まれそうというところまで来たのかなーと思いました。井本さんが「おはようございます」と到着しました。しばらくして、どれくらい時間がたったんだろうと思い、「今何時?」と聞くと「4時」とのこと。「ああ、2時間経ったんだ」と思いました。そしてまた、暫くすると、「もうすぐだよ」と言ってくれましたが、39歳だから時間がかかるだろうし、とても、もうすぐなんて思えなくて、「まだまだだと思うよ」と答えました。「赤ちゃん、髪の毛ふさふさだよ。」「自分でさわれるよ。」とも言ってくれましたが、とても手を動かす余裕などありませんでした。最後の方は辛くてエンエン泣いていました。でも信じられないことに、頭が出て、肩が出て......そしてホンギャーホンギャーと元気な産声が聞こえてきました。感動の瞬間でした。生まれたてのびしょびしょの赤ちゃんに対面して、「おはよう!」と挨拶しました。「上手に生まれてきたね」「良くがんばったね」「ありがとう」と思いました。とにかく元気に産まれてきてくれたことが嬉しくて、「ありがとう」と赤ちゃんに感謝の気持ちでいっぱいでした。

 「妊娠できたということは、出産できる。出産すれば、おっぱいが出るのもあたりまえ」という話を聞いて、その通りと思っていましたし、出産に関してはあまり心配していなかったのですが、産まれてきたあと、しょっぱい汁しか出ないおっぱいをしゃぶって、すやすや寝ている、けなげな姿に、2日目の夜はさすがに、「明日もおっぱい出なかったらどうしよう」と不安になりました。でも、心配しすぎると逆に良くないと思い、「大丈夫、祥太郎は強いから、飲まず食わずで4日でも5日でも、おっぱいが出るまで生き抜く力を持っている。」と、赤ちゃんの力を信じて、寝ました。3日目の朝、6時半、自分でおっぱいマッサージをして、滲んだ汁をなめてみたら、昨日までとちがって甘い!!感動の瞬間でした。祥太郎が上手にしゃぶって分泌させた、祥太郎のおっぱいだと今も思っています。祥太郎の人生です。元気に自由に生きていってほしいと思います。

(助産院 2003年9月)

エー、アー、ただいまマイクのテスト中。マリナちゃんです。(お姉ちゃんの)エレナにそっくりです。辰郎(たつろう)の妹です。元気に育ってください。エレナよりジャジャ馬になるかもしれません。以上。(パパ)

前回と同じく、ゆっくり進んで日付がかわってから生まれました。4人の兄姉に見守られて、生まれてすぐ泣きました。出産直後にパパさんが記念に撮ったのが上の写真です。(助産婦:齋藤、井本)

 2度目の自宅での出産でしたけれども、やはり、今度の方が余裕をもって産むことができたような感じで、子ども達に手を握ってもらって、すごく楽しくお産ができました。思いのほか、少々大きい子で、最初はおりこうさんだったのですが、最近よく泣くようになり、でもおっぱいを良く吸ってくれて、大きくなりそうです。(ママ)

(自宅 2003年9月)

2003年8月

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