元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 11月6日(水)23時49分05秒 ]
>> >> 架空の天皇ですから色々な地名を使っています。
>> そうした見立てについては,学者ごとの理屈を離れて一人歩きしがちです。
>> 学者の手法として否定はしませんが,否定を先に立てて論じるのは詭弁です。
このあたりは私もよく判らないので通説に従っています。
>> 安本説では,肯定することで,年代観を構築しています。
代替わり10年説はどうでしょう?
兄弟継承ならばそんなものでしょうが、どうも末子継承だったみたいで親から子へでしたら25〜30年くらいでしょう。
平均すればもっと短い可能性はありますが?
系図を検証した訳ではありませんが末子が大きくなる前に崩御した場合、女性の天皇が間に入る事もある程度だったのではないでしょうか?
>> ずっと以前のこととなると言いずらい雰囲気がある。(ーー;)
>> 下戸遺伝子の件については,細石器文化圏に一致するようですね。
>> 検討済みなのかな?
細石器文化も縄文(ずっと)以前でよくわかりません。後で研究して見ます。
>> 交差から見るべきなら最寄なのは,
>> 黄河文明の流入にまつわる動きでしょうね。
>> >> 単なる伝聞くらいはあったでしょう。まったく閉ざされていた訳ではないですから。
>>
>> いや,活発な交流を想定する方向でしょう。
ではどうして中国、楽浪の産物が畿内の弥生遺跡からみつからないんですか?
>> >> それにしては鉄器の出土が少ないですね。丹後勢は半島に何を持っていったんですか?
>> さあ? 勾玉とか?
>> 半島で採ったり加工した鉄の何割かを,
>> 現地の支配人に徴収されたんじゃないすか。
>> だいたい話がつけば,やらずぶったくり,という線も考えられますね。
畿内、丹後勢がぶったくられていたんですか?
>> >> 陳壽が禹余糧を認めない現実主義者なら倭でそれを産出することを知っていても書かないかもしれません。
>> >> 神仙思想(禹余糧)を信じる人なら書いたでしょう。
>> >> 禹余糧など信じていない、そもそも禹余糧信仰などはなかったか、あっても日本で産出することを知らなかったかのどちらかだと思います。
>> 微妙かな。魏では道教を弾圧した時期もあり,その後は厚遇もしたが,
>> 制御もしたようで,よく分かりません。また調べてみます。
「布留」(神話)の話に戻すと
紀記神話ははっきりと朝鮮の神話の借用であったと言う証拠のあるものもあるみたいですね。
【死んだ保食神(うけもちのかみ)の頭頂部には牛馬が、額の上には粟が、眉の上には蚕が、眼の中には稗が、腹の中には稲が、陰(ほと)には麦と大豆、小豆が生じた。】
というのは日本語で解釈すると訳が判りませんが朝鮮語では「頭」と「馬」、「額」と「粟」、「眉」と「蚕」の音韻が近いことで駄洒落みたいな話としてよく理解できるそうです。
頭(mara)と馬(ma)、 額(cha)と粟(choh)、 目(nun)と稗(nui)、 腹(pai)と稲(pyo)、 陰部(pochi)と小豆(pat)。(孫引き)
のように。
保食神の神話は朝鮮にあった神話の借用ではないでしょうか?
その他の色々な神話も日本で起きた話ではなく朝鮮で起きたことの可能性があると考えてもいいのではないでしょうか?
「布留御霊、布都御霊」は首露王伝説の投影ではないかと言うのがますます現実性を帯びてきました。
大和王朝の権力者達は遠い昔外国から来たと言う記憶があってそれを降臨神話の形で書き記したのではないでしょうか?
天孫族が首露王と血縁があるのか神話だけの借用かどちらかであると思います。
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