元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 11月10日(日)13時25分27秒 ]
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>> >> 手ぶらで帰る事はないでしょう。そもそも朝見は中国の優れた文物が欲しいから行ったのではないでしょうか?
>> 交易の許可を貰う,などの目的もあるでしょう。
それも否定しませんが行ったついでに何か持ち帰るでしょう。普通は。
>> >> ここがすごく重要なポイントだと思うのですが? 倭は漢の時(AD57)に朝見以来幾度となく楽浪郡や帯方郡は訪れているはずです。
>> 倭奴国とされているので九州でしょう。
>> >> 少なくとも唐子・鍵遺跡の時代は楽浪郡や帯方郡に行っていないですね。
>> >> 纏向の時代は鏡はともかく楽浪土器はない。
>> 九州--吉備を拠点として,大和に出向いたのかもしれませんね。
と言う事は東遷論になるのでしょうか?
>> >> 馬などは4世紀末くらいになってようやく馬を運べるくらいの大きさの船が作られたのではないでしょうか?
>> >> 海運技術が進んだのでしょう。
>> 船については漢の時代から想定したほうがよさそうです。 > 越人がらみ
湾内、内海ならともかく馬を立たせたまま船で運ぶのは至難の技ですね。
>> >> 以前の投稿については知りませんが、少なくとも朝鮮語を常用している人間にしか判らない遊びで
>> >> すから、借用でないとすると日本書紀は朝鮮人が書いた事になるのでしょうか?
>> 常用かどうか分かりませんが,
>> 岩波版の注によると,書紀の編者の中に,朝鮮語の分かる人がいたであろう,
>> という程度の推理です。古事記には認められないそうです。
朝鮮語が少し判る程度で朝鮮人にしか判らないお遊びを国史書に入れるでしょうか?
むしろ朝鮮の伝承を借用して日本語に翻訳したと考える方が理解しやすいでしょ?
>> 元となる死体化生神話は東南アジアふうのものとのことです。
その話は聞いた事があります。
ですから南朝鮮も日本も倭族=越族だった可能性は高いのでは?
中国南部(雲南、インドかも)から渡来し、半島と列島に別れて住むようになった。
同族なので半島と列島は親しく頻繁に往来していた。
半島ではBC10世紀くらいから青銅器が使用されており、半島の倭人と列島の倭人の交流の中で列島にも青銅器がもたらされる。これが弥生時代である。
そこへ夫余か高句麗から畿内の方に戦争に敗れた兵士がやってきて元大和国を築く。
これが古墳時代の幕開け。
死体化生神話は高句麗などの騎馬民族にはなかったので倭系南韓人の間に残っていた伝承を借用した。
>> 渡来人と倭人が言葉のやりとりをするうちに,
>> 自ずと,そういう言葉遊びが流行ったものか,
>> と推理してみるのも面白いです。
>> といっても,お寒いゴロ合わせみたいだけど。
>> ちなみに,
>> 森博達著『日本書紀の謎を解く』(岩波新書)の第218頁によると,
>> 述作者の一人と推定される山田史御方が,
>> 学問僧として留学した国は新羅だそうです。
>> >> 日本製だとした場合、ニギハヤヒの時代の剣の産地は具体的に何所だったのでしょう?
>> >> 高温を発生させなければ鉄の加工は出来ませんが何時頃のことでしょう?
>> >> 3世紀くらいではまだ日本は鉄の加工は叩いて 伸ばす、折り曲げる程度じゃなかったかと。
>> ちょうど,そこら辺りの技術革新にまつわる伝承に読めます。
>> 韓国製の刀剣の輸入,模倣,創造へ至る画期があったのでしょう。
比較的低温で製鉄の出来るタタラなどが5世紀くらいで、刀もその頃には作られたかもしれませんね。
中国の史書に東夷の記述の抜けている4世紀の間に何か大きな画期が起きたのかもしれません。
邪馬台国の滅亡、新大和国の発生など。
>> その辺りに,物部氏に関する歴史浪漫があるとかで,
>> いくつか説があるんじゃないすか。
>> 産地としては,遠賀川上流とか,あるいは吉備の上流地帯も妖しい。
四国にも4世紀末かもしれない製鉄跡地があるとか?
>> 赤いと言えば,銅剣についても想起されますが,
>> やはり鉄じゃないかと。河の鉄錆色とかの。
>> >> 雲南あたりから揚子江を下って上海から海を渡って来た同族の可能性は否定しません。
>> >> 越人と倭人は同じだという意見もあるようです。
>> >> 東夷伝にも南韓は倭人と共通する事が多いような書き方がされていますから。
>>
>> 長江ということで,河姆渡遺跡,それ以前が注目されており,
>> 稲作の起源について,下馬評的に意見が分かれているようです。
>> >> ただそれ(出戻り)は4世紀末くらいの事で3世紀に畿内に下戸遺伝子をもたらしたのは高句麗であると。
>> さあ?
>> 要するに,ツングース系ということでしょうか。モンゴル系でしょうか。
>> 両者の混血でしょうか。貊族でしょうか。ワイ族でしょうか。
>> 黄河文明の流入にまつわる動きという視点を採り入れると,
>> 意外に面白いかもしれません。なんて。§^。^§
黄河は稲作がないし、ちょっと。
>>
>> >> 要するに降臨は一度だけではないのだと思います。順序は前後しますが北朝鮮、韓国で出雲で畿内で何度もあった。
>> はい。
>> >> アイヌ語は語彙に似たものがあってもネパール語ほどの共通性はないそうです。
>> >> 文法も違うようだし。
>> >> 縄文人の後裔であったかどうかもまだはっきりしない訳でしょう?
>>
>> アイヌ語の話ではなくて,アイヌ神話ふうの構造のことです。その構造が一致
>> するかどうか,という課題です。
アイヌ神話はよく判らないので・・・・・。
>> 縄文時代の解明という課題については,次の記事を参考にして下さい。
>> (C) The Yomiuri Shimbun Osaka/galleryサイバー古代
>> 奈良・橿原市 橿原遺跡
>> 縄文期解明に有効な糸口と再評価
>> http://osaka.yomiuri.co.jp/kodai/news/hozon1/021106.htm
なにか邪馬台国に関する情報がありますか?
>> >> 赫居世ですか。降臨神話はいずれにしろ別の国からやってきてその国を支配するようになった事を示しているのでしょう。
>>
>> いろいろな場合・属性が考えられます。
>> 倭人・瓠公というのは,瓢箪を持っていたことになっていますが,
>> 免田式土器のなかに,瓢箪型のものがあり,当然のことながら,
>> 瓠公の瓢箪とは実は土器であり船旅用の水瓶ではないか,
>> という見方があります。
栓がついていたんですか?
>> 免田式と言えば,黄金の鏡で知られまして,これを元に,
>> 呉,免田,福岡,岐阜に関連が出てくるのだったかな?
>> 新羅を含めてもよいのかな?
>> オヤジッチさんの専門ですネ。読んでいたら助けて下さい。m(_ _)m
>> 日本列島を拠点または中継地として,
>> 半島へ「降臨」した倭人一派があったものかどうか,
>> 丹後地方の倭人とは関連があるのかどうか,
>> 新羅王子なのに和名である天日槍命伝承と血統上,関わるのかどうか,
>> 神功皇后の先祖とされる点や,皇統伝承との距離はどうか。
>> などなど。
うーん。憶測合戦という感じですねえ。
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