Re: 布留(畿内は倭人の国ではない)

投稿者[ ちょっと一服 ] 発言日時 [10月30日(水)23時51分27秒]

元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ 牛頭 ] 日付 [ 10月30日(水)19時19分32秒 ]


>> 三国史記も同じくらいの差を見れば好太王の碑文と整合が取れるのではないでしょうか?


ここでは三国史記の内容に伝わる倭人観を重視しています。

>> 米は殆んど貴族に取られてしまい庶民の口に入る事は無かったと思います。
>> 米で作る酒も庶民には高根の花だったでしょうね。
>> 庶民も密かに雑穀酒を作って飲んでいたかも知れません。
>> 酒の強い人を「うわばみ」と言うのも暗示的です。
>> 蛇を信仰する倭人達が酒に強く、天孫族は弱い人が多い事を示している可能性があるのでは?

別の投稿で牛頭さんが,「私は畿内は3世紀後半と4世紀末〜5世紀初めの2
度に渡って渡来人に侵攻を受けたのではと思っています。一度は新羅地域より
もっと遠く、二度目は伽耶あたりから。」と推理されていますが,

その二度目のは,いわゆる「神功皇后による近畿攻略説」みたいな仮説から,
その線で,渡来系下戸人種の近畿侵入を想定しているわけでしょうか。


ところが,なんというか,記紀ともに伝わる逸話ですが,

神功皇后摂政十三年の記事は,
神功皇后,武内宿禰,太子(応神)が酒宴を開く話になっており,
古事記にいう酒楽(さかくら)の歌というのを詠っています。
大げさに言えば,酒をほめてディオニュソス讃歌ふうな,奔放な印象がします。

また,日本書紀の武烈紀八年の記事の中に,
武烈天皇が,日夜常に宮人と酒に溺れた,という一節があります。

>> 中国も北魏、金、元、清など度々北方民族の支配を受けました。
>> データが北京付近で取られたものでは遺伝子が濃く出るでしょうね。


そういう点も含めて,実証するには細部での検証が必要なのでしょう。


ところで,一口に縄文人と言っても,
次のサイトの縄文時代の土偶の顔なんかは,割と日本人ふうですかね!?

釈迦堂遺跡博物館/縄文の顔 現代の顔
http://www.comlink.ne.jp/~shakado/jyosetu/face.html

>> [韓語でフツは、火、赫(かがやく)く物の意味があった。]
>> [「赤」といえば、紛れもない物部の皇軍だった。彼らの太刀の柄(つか)には赤い丹塗り(にぬり)を施し、刀尻には赤い布を裁って飾っていた。そこで、物部の宝剣は、「赤」というアイヌ語、「フレ」が語根であるとも考えられる。子音のr音は、t音に日本語化されるので、フレはフツにもフルにもなるのである。]
>> と言うのもありました。


その韓語説は,先に紹介した三品説が基本でしょう。
安本説によると,半島の言葉とアイヌ語とは語源的に関連するとかです。

ただし,日本語の「振る」で意味は通じます。

>> これが真実ならば首露王伝承とも関連する可能性もあります。
>> 「首露王は赤い布に包まれた金の箱に入って久亀峰に降臨した。」
>> 「クジフル」は言い古されていますから置いとくとして
>> 「フツ」「火」=赤い。「金」=輝く。「フル」=「赤」、そして「降臨」など。
>> 「布留御霊、布都御霊」は首露王伝説の投影ではないかと言う気がして来ました。

「首露王は赤い布」云々については,位相が異なると考えられるので,
うかつには比較しないほうがいいです。

片や瑞宝と剣のことだから,それも,うかつに一緒にはできません。
が,鉄との関連はあるかもしれないので,剣は想定できるかもしれません。

十握剣は,韓鋤剣とも呼ばれるので,少なくともモノ自体については,
韓国製あるいは韓鍛冶製という線は濃いですから。

モノだけ輸入したかもしれないわけです。

また,神代紀上によると,経津主神は血と関連付けられた石から生まれた,
との一説があるので,血から赤い色を連想はできます。

というわけで,幅広く調べるのはよいことです。

>> そう言う事が石上神宮とどのように結びつくのでしょう?


まず,前提としては,卑弥呼を物部氏と関連付けて推理する説があること,
しかも,物部氏について渡来人説と縄文系説との二つを見かけること,
赤い色と言えば,物産である丹を連想すること,などです。

また,前邪馬台国もしくは邪馬台国の東遷説に関わること,などからです。





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