元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 10月29日(火)21時42分46秒 ]
>> >> 好太王の碑文でしたら4世紀末ですよね。
>> いえ,三国史記(新羅本紀など)の件です。
>> 勿論,年次・内容について的確かどうか,といった課題はありますが。
伝承では首露王はAD42年に生まれた事になっています。すると死亡は100年前後。
現実には首露王の墓は3世紀後半ですから150〜200年くらいの時差がある事になります。
三国史記も同じくらいの差を見れば好太王の碑文と整合が取れるのではないでしょうか?
>> >> 好きと強いは違うのではないですか?
>> というか,公家は酒盛りが好きみたいな逸話,こういうものです。
>> ともあれ,和風というのは,米と魚介と酒が基本と言われています。
米は殆んど貴族に取られてしまい庶民の口に入る事は無かったと思います。
米で作る酒も庶民には高根の花だったでしょうね。
庶民も密かに雑穀酒を作って飲んでいたかも知れません。
酒の強い人を「うわばみ」と言うのも暗示的です。
蛇を信仰する倭人達が酒に強く、天孫族は弱い人が多い事を示している可能性があるのでは?
>> >> 遺伝子の話ですか?「フル」と「ソウル」の話ですか?
>> 後者です。
それは残念。でももう少し付き合ってください。
>> 下戸遺伝子の件については,仮説であり,実証するには検証が必要,
>> とのサイトもありました。
>> どのみち,記紀に記録のある渡来人の波から見て,
>> 地域的に妥当な分布という程度のことでしょう。
>> 比率としては中国人に近いですね。
中国も北魏、金、元、清など度々北方民族の支配を受けました。
データが北京付近で取られたものでは遺伝子が濃く出るでしょうね。
>> また,中国大陸における件というと,時代的に,黄河文明とか,
>> 日本への渡来とか,いろいろ連想してしまいます。
>> また,北回り縄文人が南下しているとか,あれこれの最近の説,
>> こうしたことを総合的に検討してみたいです。
>> >> >> なんでしたら,縄文を想定する必要もあるので,
>> >> >> アイヌ神話からも調べてみて下さい。
アイヌ神話で検索したら
http://gontadesu.infoseek.livedoor.com/roman/sinpi.htmを見つけました。
ほかにご存知でしたら教えて下さい。
アイヌと「フル」で検索したら
「フル」はアイヌ語で「丘」を意味するとか。
石上神宮のある地形を考えると関連を考えても妥当性はあるかもしれません。
「フツ」はアイヌ語で縁の事(日本語でも同じ)。
山から突き出した半島のような地形を切り出して丘のようにしたとか言う話のあることから初めは山の縁であったと考えられ、
「フル」になる前、「フツ」が「縁」と言うのも確かに妥当性はあります。
しかし、
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/8_J.html
[韓語でフツは、火、赫(かがやく)く物の意味があった。]
[「赤」といえば、紛れもない物部の皇軍だった。彼らの太刀の柄(つか)には赤い丹塗り(にぬり)を施し、刀尻には赤い布を裁って飾っていた。そこで、物部の宝剣は、「赤」というアイヌ語、「フレ」が語根であるとも考えられる。子音のr音は、t音に日本語化されるので、フレはフツにもフルにもなるのである。]
と言うのもありました。
これが真実ならば首露王伝承とも関連する可能性もあります。
「首露王は赤い布に包まれた金の箱に入って久亀峰に降臨した。」
「クジフル」は言い古されていますから置いとくとして
「フツ」「火」=赤い。「金」=輝く。「フル」=「赤」、そして「降臨」など。
「布留御霊、布都御霊」は首露王伝説の投影ではないかと言う気がして来ました。
>> 記紀神話の深層のみならず,卑弥呼問題や弥生にも関わります。
>> アイヌ神話の場合,霊魂観とか死後の生活観を持つとのことです。
>> 神秘学的に検討するならば,やや素朴な面はあるものの,
>> しっかりした伝承に基づく世界観,という見立てになることでしょう。
>> また,アイヌ民族の葬送儀礼として死者の持ち物を破壊する,家屋を焼却する,
>> という関連の説は,この大議論でも,ちらっとみた記憶があります。
そう言う事が石上神宮とどのように結びつくのでしょう?
その他発言: