元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 10月31日(木)23時42分22秒 ]
>> >> いえ、下戸遺伝子が沢山来たのは一度目(ニギハヤヒ?)ではないか。
>> >> 二度目の伽耶は北九州勢も含めた倭韓連合であろうと思っています。
>> >> それが神武の家臣大久米の黥面の記述に繋がっているのではないかと。
>> >> 従って二度目は下戸遺伝子を韓国より濃くするほどではなかったと思っています。
>> はぁ?
>> あくまで邪馬台国大論争ということにしたいので,
>> まー,どこから説明したらよいか迷いますが,
>> とりあえずは,例えば,
>> ニギハヤヒという名から伊都国の官・爾支を連想する向きもあります。
>> この線での組み立てから構想している研究者もいるはずです。
>> 神武とか何とか,あとは訳が分かりません。
舌足らずで申しわけありません。
私は神武は実在せず業績は応神天皇(神功皇后)の畿内攻略の投影であろうと思っています。
五世紀初めくらいでしょうか。
応神天皇(神功皇后)が畿内を攻略するにあたって九州勢を引き連れて行った。
その中に阿曇族とか久米族が入っていたのだろうと言うことです。
ニギハヤヒ?の3世紀には九州は介さず(韓国も抜きに)、直接、あるいは出雲を介して畿内に入った。
>> >> 私の説、倭韓連合とは矛盾しません。(^^)
>> なんで?
>> 神功皇后,太子(応神),武内宿禰以降,
>> 皇統や臣は倭人でいいわけですね?
どうでしょう。伽耶あたりは倭系の人が多く住んでいたでしょうが、4世紀くらいから高句麗が幾度となく南下し、伽耶の鉄を
めぐって争っていたでしょう。
高句麗に押されて百済、新羅などの人々が一緒に九州まで来た可能性があり、これが九州にいた倭人と共に畿内まで攻め込んだ。
主体が百済だった可能性が強いと思います。
>> >> 私は武烈天皇は実在の天皇ではないと考えています。
>> >> 新羅の武烈王をこき下ろす為の創作では無いか?
>> さすがに雄略以降ですから,おいそれとは否定できないでしょう。
>> 新羅の武烈王をこきおろす,とは?
新羅、唐連合に敗れた大和王朝側がせめての腹いせに新羅の金春秋と同じ贈り名を架空の天皇につけて、極悪非道ぶりを書き連ねて
溜飲を下げたのであろうと思うのですが。
>> >> あるいは継体天皇の王位継承を正当化するために悪行を重ねた天皇として書かれたと考えます。
>> >> 大酒を喰らう人間を下戸が軽蔑していた事を表しているのではないでしょうか。
>> それを言うなら,断絶やむなしの正当化ですね。
>> また,後の崇仏派や天武天皇を正当化するための伏線としてではないですか。
>> ま,この辺り,日本書紀の構造に関連して深遠なので,
>> うかつなことは書きません。
>> 政を放擲して,日夜常に女と酒を食らっていれば,
>> 下戸ならずとも信用しないでしょう。
>> しばしば宴を開き酒をたしなむ風はあったわけですから,
>> 下戸のほうが居づらい,ということも考えられます。
>> >> 熊襲猛を酔い潰させて騙し討ちなども下戸の発想でしょうか。
>> 日本武尊の話ですか。
>> あれは日本武尊が美少女に化けて,
>> 熊襲の宴会に潜入したという点がミソじゃないすか。
>> 酒をすすめているようにも読めますが,
>> 要するに,熊襲は熊襲なりに酒盛りを行っていたのでしょう。
>> 視点を変えれば,熊襲族は半島系かもしれないし。
熊襲族は半島系という根拠みたいな物はあるのでしょうか?
隼人は入墨があったらしいですが熊襲はどうだったんでしょう。入墨があれば倭人でしょうが。
>> まぁ,下戸を悪酔いさせる,というのは学生コンペにつきもので,
>> 問題になったりします。なんてこともあります。
>> >> 意味は通じても「振る」では面白くないし「布都」との関連が薄くなります。
>> 面白いですよ。瑞宝の内容とともに呪術の所作を研究して下さい。
>> 牛頭さんの場合,例の説を前提としているので,
>> 結論ばかりが先に来ているんです。
>> >> 人を切るとき「フツ」と音がするなんてあまりに??
>> 「切れ味」の言霊化と言いますか。
>> 韓鋤剣は朝鮮式直刀ではありましょうが,ともあれ,
>> 真剣の達人に伝わる伝承によると,胴体真っ二つとのことです。
>> 記紀では,つまり,大蛇を真っ二つに斬る伝えです。
>> まぁ,「フツ」が「フタツ/フ」と関連するかどうか。
>> あるいは,「打つ」という語と関連するかどうか,現在,研究中です。
>> ま,「ぶったぎる」という言葉も下品ではあるが存在するので。
>> >> 物部の太刀の柄の「赤い布」ですから位相は一致しているのでは?
>> >> 首露王を包んだ「赤い布」と太刀(物部の象徴)を飾った「赤い布」ですから。
>> >> すくなくとも「流れてきた布が切れずに留まった」というのよりはマシでしょう。
>> そもそも赤い色というのは中国式の可能性があります。
たいした根拠にはなりませんが元寇の映画やモンゴル軍の戦争を扱った映画であちらの兵隊が赤を基調とした装飾をしていました。
赤い色はモンゴル式の可能性もありますね。
「モンゴル」と「赤」で検索しました。
モンゴルの首都ウランバートルは「赤い英雄」とか。
ウランは「赤」ですね。「フル」と「ウラ」って近い。
モンゴル−(高句麗)−韓国−日本(布留)と「赤」で繋がった?
「フル」が蒙古語と言うのもあながち無理ではないようなきがします。
ニギハヤヒは「赤い剣士」だったのでしょうか?
>> 首露王神話にも神仙思想の影響が見られるとの説があります。
>> この神話全体の作りを細部にわたって検討して下さい。
>> 日本における神仙思想の影響というと,唐子・鍵遺蹟で,
>> 紀元前後の鳴石「禹余糧(うよりょう)」が発見されています。
唐子・鍵遺蹟の住人は本当に神仙思想を理解していたのでしょうか?
「禹余糧」と言っても国産(和名で岩壷、壷石、袋石、樽石、鈴石)ですし、奈良でも産出するらしいじゃないですか。
神仙思想に関係なく珍しい物として珍重していたかもしれません。
勾玉も入っていたと言うことで多少の宗教的価値観もあったかもしれませんが、音がでる事で玩具として使っていたとか、
中に子どもが入いるような様子で中国に関係なく妊婦や母親を表し呪術的な意味を見出していたかもしれません。
和名の由来に「一穴をあけて、酒を入れおくに甚だよし、よつて樽石の名あり」、「小なる物は、桃栗のごとく小石をたくはふ、
よつて鈴石といふ」では神仙思想は見出せません。
>> >> なるほどもう少し検索してみましょう。
>> 「鉄」「剣」が鍵でしょうな。
>> 金首露(スゥエロ)王の名に,鉄の意を含むそうです。
伽耶は古代鉄の供給地でしたからね。
>> >> 蒙古語説のHPにはメールで質問したんですが返事がきません。
>> HPの皆さんについては知りませんが,
>> 世の中は広いもので,聞くところ,
>> つまり,ニギハヤヒ教団みたいなのがあるらしいです。
そうなんですか。
ここのところはもう少し研究して見ます。
でも私の勘違いから始まったこのスレもちょっと一服さんのお陰でかなり勉強になりました。
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