元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ 牛頭 ] 日付 [ 11月1日(金)22時43分15秒 ]
>> 私は神武は実在せず業績は応神天皇(神功皇后)の畿内攻略の投影であろうと思っています。
>> 五世紀初めくらいでしょうか。
それを言うなら,神日本磐余彦尊と武内宿禰とが,強靭な神秘性で共通する,
ということでしょうかね。しかし,そこにこそ伝承の重みを感じますから,
個人的には,実在を前提として推理しています。
>> 応神天皇(神功皇后)が畿内を攻略するにあたって九州勢を引き連れて行った。
>> その中に阿曇族とか久米族が入っていたのだろうと言うことです。
>> ニギハヤヒ?の3世紀には九州は介さず(韓国も抜きに)、直接、あるいは出雲を介して畿内に入った。
神功皇后を助けたのは,北陸の水軍のようです。
>> 高句麗に押されて百済、新羅などの人々が一緒に九州まで来た可能性があり、これが九州にいた倭人と共に畿内まで攻め込んだ。
>> 主体が百済だった可能性が強いと思います。
移住はあったかもしれませんが,
攻め込んだ,というのはムリがあるでしょう。
好太王碑文によると,倭が来りて支配したことになりますから。
>> 新羅、唐連合に敗れた大和王朝側がせめての腹いせに新羅の金春秋と同じ贈り名を架空の天皇につけて、極悪非道ぶりを書き連ねて
>> 溜飲を下げたのであろうと思うのですが。
どちらかと言うと,武烈天皇周辺の百済派や百済系勢力が,
好き勝手をして自滅した,と読めないわけではありません。
>> 熊襲族は半島系という根拠みたいな物はあるのでしょうか?
現状としては,まだ思いつきのようなものなので,内緒にしておきます。
ただし,すでに,いろいろと説としてあることはあります。
牛頭さんの好きそうな議論の場としては,あの「半月城通信」ですかね。
半月城通信No. 49/日本人のルーツ(3)、騎馬民族
http://www.han.org/a/half-moon/hm049.html
この中で,水野説について,
「弥生時代に渡来したツングース騎馬民族集団は南九州に熊襲(クマソ)の
国・狗奴国をたて、北の邪馬台国と攻防戦を繰り返した末に九州統一王朝をた
てた。」
というふうに引用だか解説だかしてあります。
ホントなら下戸遺伝子かも。
他に,呉などの中国系との説もありますよね。
>> ニギハヤヒは「赤い剣士」だったのでしょうか?
金色に輝く弓使いじゃないすか。なんて。§^。^§
>> 唐子・鍵遺蹟の住人は本当に神仙思想を理解していたのでしょうか?
>> 「禹余糧」と言っても国産(和名で岩壷、壷石、袋石、樽石、鈴石)ですし、奈良でも産出するらしいじゃないですか。
神仙思想からの理解があった,とする説がもっぱらです。
galleryサイバー古代/奈良・唐古.鍵遺跡の「鳴石」
http://osaka.yomiuri.co.jp/kodai/news/hozon1/011011.htm
その他発言: