元の発言 [ Re: 東王父・西王母では? ] お名前 [ 馬頭鬼 ] 日付 [ 5月12日(日)23時56分39秒 ]
馬頭鬼さん、こんばんは。
>> 江南系ですか?
>> 一応うなずけますが、其れだけでしょうか?
>> 朝鮮半島経由の北方のシャーマニズム影響は?
北方系シャーマニズムも日本に入ってきたとは思います。
太鼓をドンドコ叩くのは北方系シャーマンの雰囲気ですね。
が、卑弥呼に関係しているかどうかは解りません。
北方系は、例えば出雲など別ルート、或いは、異なる時代の流入が考えられないでしょうか。
>> ちと気になる神話を思い出します。
>> 諏訪の枕詞、美鈴刈るです。
>> 諏訪大社に伝わる鈴をさなぎと言うそうです。
>> 関係無いかもしれませんが、気になります。
諏訪大社の鈴は実際は「鉄鐸」ですから、普通の鈴とは系統が異なるのではないでしょうか。
「美鈴刈る」は、万葉集には「水薦苅」「三薦苅」と表記されていますね。
言葉の意味そのものが解りません。
単に薦を刈り取る情景を表した言葉ではないだろう、と疑っています。
と申して、何か案があるわけではないのですが・・。
>> 其れと、江南系には、ちとばかり困った風習があるようです。
>> 人間をいけにえにする、殺人祭儀です。
>> 首狩とも結びついているようですし、一年神主と呼ばれる風習の話が伝わっているようですし。
>> 卑弥呼も、同じような事をやったのでしょうか?
テン国の青銅器に見られる殺人祭儀は衝撃的ですね。
あのような祭儀が弥生時代の日本で行われていたかどうか、何とも言えませんね。
しかし、人柱などは後世、よくあったようですから、弥生時代にも人間を生け贄にする祭儀自体はあったかも知れませんね。
しかし、卑弥呼の鬼道はそれらをやめさせる方向に働いたのではないかと思います。
犠牲祭儀は、どちらかというと村落共同体の祭儀でしょう。
卑弥呼の鬼道は共同体の枠を越えた、より民衆的なものだったような気がします。
卑弥呼の時代以後、首のない埋葬死体はあまり見られないのではないでしょうか。
鬼道が民衆的だったとすると、卑弥呼の殉葬記事が疑問になるのですが、この辺りどうでしょうねぇ? 殉葬記事は事実でしょうか?
諏訪大社の神官密殺には私も興味を持っているのですが、よく解りませんねぇ。
諏訪大社は、江南の弥生系とは異なるような感じですね。
縄文系、或いは北方アジア系でしょうか?
>> 海神の可能性は無いでしょうか?
卑弥呼の鬼道は広く信仰されたようですから、特に海神を祀ったとは考えにくいですね。
海人族などは海神を祀ったのでしょうが。
その他発言: