Re: Title居處作草屋土室、形如冢

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [7月22日(月)07時50分31秒]

元の発言 [ Re: Title居處作草屋土室、形如冢 ] お名前 [ EK ] 日付 [ 7月22日(月)00時26分53秒 ]

>> >> つまり「冢」と言う言葉から晋の時代の人々が思い浮かべる形は韓国の竪穴式住居であり、前方後円墳のような形ではない。
>> 「草屋土室」でパッと思い浮かぶのは、よく遺跡公園に復元されているような竪
>> 穴住居ですね。
>> 私は牛頭さんの発言を逆に読みました。
>> 私は、あの復元された竪穴住居が住みやすそうには、思えないのですが、同様の
>> 感想を持つ学者もいるようで、竪穴式も立ち上がり壁を持っていたはずだ、とい
>> う主張を読んだことがあります。しかし草屋土室だとすると、今の復元が正しい
>> のでしょうね、多分。

竪穴式住居は縄文時代から奈良時代まで続いて少しずつ変遷していったようで時代によって多少形を変えたかも知れません。
立ち上がり壁があった事もあるのではないでしょうか。

庶民の住居で床が板で地面から浮かせて作られるようになったのは何時からなんでしょう。
私たち現代人は土の上にござを引いて住まうなど湿度を心配してしまいますがやや高台に住居を作ればさほど問題はなく、大地の温度が
一定である事を考えると夏は涼しく冬は温暖で過ごしやすかったかもしれません。
現代でもレスコハウスという住宅会社が床と地面の間に石を詰めて大地の温度を利用した省エネをうたった住宅を販売しています。

>> >> こう考えると箸墓を卑弥呼の墓に比定するのは無理であろうということになります。
>> そもそも中国人が冢と書いたら冢であって、墳ではありえない、というのは森浩
>> 一が何十年も前に書いています。冢とは小さいものを指すようです。
>> で、「冢でも大きいものもある」といった反論はあったのでしょうか。

何か時代の違う大きな墓を冢と呼んでいる事があるそうで冢は墓全体をさしているのか墓の中の棺を納める部分の呼び名かはっきりしません。
三国志の時代には小さかったと考えてもいいのではないでしょうか。

孫引きですが『蜀志』五の諸葛亮伝に「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」という記述があるそうです。

これが「冢とは小さいものを指す」という拠り所になるのではないでしょうか。

韓国の金官伽耶の首露王の墓は時代は三世紀と言われていますが直径20mくらいの円墳です。
これより大きく径30mくらいだったら「大いに冢を作る」と記されていても不思議はありませんね。



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