元の発言 [ Re: おいおい ] お名前 [ 大山 柳 ] 日付 [ 7月23日(火)00時22分03秒 ]
>> それは、「高くあるべき冢を棺が辛うじてはいる程度の大きさにしろ」という修辞だよ。
三国時代、あるいは晋の時代に冢が大きかったと言う証拠は?
孫引きですので文章全体がわかりませんが「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」という文章から受ける印象は墳は山のように大きく、
冢はそれよりははるかに小さいです。
冢がもし大きい時代があったとしても時代が変って三国時代、あるいは晋の時代は小さかったのではないでしょうか?
同時代の首露王の墓や張撫夷の墓と比較すべきなのではないでしょうか?
尚且つ韓国人の住む所は「形如冢」のような家です。
前に紹介した韓国の竪穴住居は屋根の上に何か載ってますね。「冢」の上に点をつけると家の字にそっくりになります。
「冢」と「家」は何か関係がありそうな気が。(^ ^;
直径160m、全長280mもある大きな墓を竪穴住居のに似ているというでしょうか?
竪穴住居は径5,6m。
これと160mのものを単純に比較して「形如冢」で済ませる物でしょうか?
王の墓はともかく豪族程度の墓は径5,6mだったのではないでしょうか。
そして形は円です。
その他発言: