元の発言 [ 日本の稲作の起源 ] お名前 [ くみ ] 日付 [ 7月9日(火)21時32分12秒 ]
くみさん、今晩は、たかとりです。まとめレスで失礼します。
1,渡来ルートについて
稲作を主とする渡来系弥生人の故地はやはり江南ですね。
日本列島への渡来ルートはいろいろ考えられますね。択一的ではなく、すべてのルートを辿ってやって来たと思います。
しかし、最初の渡来系弥生人は、今のところ、朝鮮半島経由ルートとしていいのではないでしょうか。将来、変わってくる可能性は大いにあると思いますが・・。
北九州と朝鮮半島南部の稲作遺跡の前後関係によって決まるのですが、弥生遺跡の実年代比定が最近変わってきていますね。
直接ルートもあったと思います。
北部九州の墓制には、土壙墓、甕棺墓、支石墓等の違いがあります。
詳しくは解りませんが、被葬者集団には、渡来時期、故地、ルートの違いがあるのかも知れませんね。
元は呉越の民としましても、百越という言葉があるくらいですから、いろんな部族がいたと思います。渡来弥生人も一種類ではなさそうですね。
2,米について
米が主食であったか否かの問題は「主食」の定義次第で変わってきますでしょう。
弥生時代以後、西日本の人口が増大しますが、彼らを養った食糧は、一つを選ぶとすると、やはり米ではないでしょうか。
尤も、収奪ということがありますから、米を食べられない人も少なからずいたとは思いますが・・。
また、米は貨幣の役割をも果たしていたのではないでしょうか。
この貨幣は、結局は、非農民の腹の中に収まってしまうのですが・・。
青銅器などは米で購入したと思いますよ。
日本史・日本文化を考えるのに「米に重点を置き過ぎ」というご意見には賛同します。
「米なし正月」や「イモ正月」の風習が各地にあるようです。
山民系、畑作系文化も無視してはいけないと思います。
谷川健三氏は金属民を重視しておられますね。
日本史を通じての食生活にはまるで不案内です。
なぜ豚を飼わなくなったかという理由もよく解りません。朝鮮半島や琉球列島より日本列島は豊かですから、豚を飼えない筈がない。獣肉に禁忌があったとも思えないし・・。
木の実など、調理法によっては旨そうだと思いがちですがそうでもないようですね。種類にもよるでしょうが・・。
紀伊半島の山地では江戸時代までトチの実を食べたそうです。紀州潘の役人の記録が残っているのですが「人類の食するものに非ず」とあります。
当時の武士は粗食でしょう。よほど不味かったようですね。
しかし、やはり、主食は米ですね。たとえ三割だったとしても。
そして、日本文化の根幹は稲作ですね。
水田など、経済性を度外視しても維持しなければならないと思います。
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