元の発言 [ Re: 日本の稲作の起源 ] お名前 [ たかとり ] 日付 [ 7月13日(土)23時22分04秒 ]
たかとりさん、こんにちは。
賛同者がいなくてさみしいです。わたしが間違っているからかもしれないのですが。
でも最近読んだ本からは、本に偏りがあるのでしょうが、稲作ルートや水稲について、ますます頑固になりつつあります・・・。
今日、「稲の日本史」佐藤洋一郎 角川選書 平成14年6月30日発行 を一気読みしました。
書いてあること全てが頷けるわけではないですが、大変面白かったです。
>> 1,渡来ルートについて
>> 稲作を主とする渡来系弥生人の故地はやはり江南ですね。
>> 日本列島への渡来ルートはいろいろ考えられますね。択一的ではなく、すべてのルートを辿ってやって来たと思います。
>> しかし、最初の渡来系弥生人は、今のところ、朝鮮半島経由ルートとしていいのではないでしょうか。将来、変わってくる可能性は大いにあると思いますが・・。
>> 北九州と朝鮮半島南部の稲作遺跡の前後関係によって決まるのですが、弥生遺跡の実年代比定が最近変わってきていますね。
>> 直接ルートもあったと思います。
>> 北部九州の墓制には、土壙墓、甕棺墓、支石墓等の違いがあります。
>> 詳しくは解りませんが、被葬者集団には、渡来時期、故地、ルートの違いがあるのかも知れませんね。
>> 元は呉越の民としましても、百越という言葉があるくらいですから、いろんな部族がいたと思います。渡来弥生人も一種類ではなさそうですね。
縄文時代の稲は熱帯ジャポニカ、弥生時代以降は温帯ジャポニカと言われていましたがそれも違うようです。
弥生時代以降も熱帯ジャポニカが混在していた。というより、混在によって早稲種がうまれ、そのことが弥生時代のはじめに稲が北に広まった理由だと聞きます。
そして、熱帯ジャポニカは朝鮮半島にはない。・・・実は最近一粒見つかったそうですが。
http://inoues.net/yamataikoku/study/japonica6.html
http://inoues.net/yamataikoku/study/japonica1.html
http://www.sutv.zaq.ne.jp/asakura_koukou_21kai/science/wan.html?
>> 2,米について
弥生人の骨の分析からは弥生人の主食はコメではなく、縄文人のものときわめて近いそうです。(「稲の日本史」佐藤洋一郎 P115 以下同)
そして、考古学的に出土している弥生時代の水田址は水田遺構が壊れにくい遺物だから出土しているのであって、その土地が継続的に水田として使われていたことを意味するとは限らない。といいます。(P87)
休耕田は田を荒らすというのも、美田にこだわるからであり(P190)、連作障害がでないように水田を維持するのは化学肥料や農薬のない時代には大変な重労働が必要だったとあります(P165)。
また、木製農耕具については、実用ではなく儀礼のための道具だったのではないかとも書いてあります。(P118)
この本に荘園のことが書いてあったので(P158)気が付いたのですが、奈良時代に開墾が奨励されたということは、それまで開墾できる土地が全て開墾されていたわけではないことの証拠にもなると思います。
>> なぜ豚を飼わなくなったかという理由もよく解りません。朝鮮半島や琉球列島より日本列島は豊かですから、豚を飼えない筈がない。獣肉に禁忌があったとも思えないし・・。
知りませんでした。仏教の導入で禁止されたからでしょうか? ウサギを1羽2羽と数えるのは合法的に食べるためだったと聞いたことがありますが、関係あるのでしょうか。
・・・。なんか、反論ばかりしていてすいません。今日はがんばって「貧農史観を見直す」を読もうと思います。
その他発言: