淀調 ラクロとマリー・アントワネットの関係は・・ 

はい、今日はラクロですね。純情な人ほど好きな悪女の話。
「危険な関係」、3度映画化されて、ロイヤル・シェイクスピアの十八番で、でも200年前に
本が出たときは、もう大騒ぎだったのね。初版は数日で売り切れ、たちまち重版で、若い娘はみな
この本を持って鍵のかかる部屋にこもる、いわれたのね。内容が内容だけに表紙には著者名なし、
MONSIEUR Cー DE L− とイニシャルだけにして出版したのね。マリー・アントワネットも
こっそり持ってたのね。表紙を取り替えて、題名も著者も何もわからんようにして持ってたのが
あとで発見されたのね。 これを聞いたとき、ああかわいそうやなあ思いましたね。もちろん、
彼女は当時騒がれたベストセラーを読みたかっただけかもしらん。好奇心で手に入れて読み捨てた
だけかもしれない。しかし、あのプチ・トリアノンや彼女が嫁いでから巻き込まれた首飾り事件
などを思い浮かべるとき、やっぱりフランス宮廷とハプスブルグ家の格の違い、歴史の違いを感じ
て哀れをもよおすね。彼女は終生、フランス宮廷というものになじめなかった。母親の下で大事に
されて育って、複雑な宮廷政治を理解できず、するつもりもなく、人が良くて口当たりのいい言葉
にすぐ騙される。田舎の旧家のお嬢ちゃんなの、マリー・アントワネット。それをフランスの貴族は
馬鹿にするの、オーストリア女、いうのは田舎もの、いうことなのよ。此の頃羽振りがいいけど、
3百年前は、という頭がフランスの貴族たちにはある。
そう、ハプスブルグ家、15世紀前半までは格が低かったの。持ってるものは神聖ローマ皇帝いう名
称だけで金なし、文化なし。ここのマクシミリアンがブルゴーニュ公国、つまりフランス王家の親戚
筋にあたる公爵家の跡取娘マリーの花婿候補にあがったとき、貴族たちは皆反対したのね。あんな
田舎の貧乏人、結婚式もこちらが金を貸してやらないと支度が出来ない、そんな相手は嫌だ言うて。
そのときに側近の貴婦人のひとりがこう言うたの、ブルゴーニュ公国は男の世継ぎがいない、

そしてフランスの蜘蛛男言われたずるがしこい国王ルイ12世が狙ってる。公国にとっての急務は世継ぎ
を作ること、それには若い男が1番。種馬なんだから貧乏だっていいでしょう、と。
それがハプスグルグ家の隆盛の始まり。ブルゴーニュ公国といえばフランスに規模は劣っても

文化・経済は超一流。その国の婿になり、王子も生まれ、それが美男公フィリップでスペインの王女
と結婚して皆の良く知るハプスブルグ家になるわけね。マクシミリアンはだから懸命になって祖国
にブルゴーニュ宮廷の文化を移植したの。テーブルマナー、聖歌隊(のちの少年合唱団に繋がる)、
貴族のランク付けまで。でも、宮廷政治は移植できない、人間が違う、歴史が違う。
ブルゴーニュ公国と同様、フランス宮廷は国王対貴族の長い闘争の歴史があって、その中で培われ
た本能が生き残ってる。それに比べればウィーンはのどかな田舎。そこから嫁いだ世間知らずの王女
様がどうなるか。案の定、王妃様は宮廷の裏で何が起こってるか分からない。誰が教えてくれるわけ
でもない、恋愛ひとつとっても裏に複雑な利害関係が絡んでいるが、よそ者にそれを分かれと言う
方が無理。それを単純化して描いて見せたラクロの「危険な関係」はマリー・アントワネットにと
っては格好の教科書に見えたのね。そういう連想が働くくらい、フランス宮廷は魑魅魍魎の世界でした。
はい、もう時間きましたね。続きは次回、ごきげんよう。(5月18日(木)21時02分46秒)

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淀調 英仏男雨夜の品定め 

 はい、こんにちは。淀調でございます。
 雨ですね。雨と言えば豪雨の中を震えながらガレージに向かって歩く男、帰っていく男の姿が
 思い浮かびますね。なんだ、お前、震えてるじゃないか、何も言うな、OKだOKだ言われて、まあ、
 どんなにかうれしかったでしょうねえ。あの背中に回した手、食い込んでいく指、これだ、これだ
 言う感じ出てましたねえ。それが拒否されるんですねえ。ええ!なんやお前!なんて言うんでなしに
 いや、どうも、なんて言われてね。公開中だからこれ以上喋れないのが辛いですねえ。あれはしかし
 丸首シャツ着ててもフランケンシュタインでした。主人公は若さを求めてハッピーな、しかし念願
 のご馳走を目の前にしてすとんと父親に戻ることの出来るまっとうなまっとうなアメリカの男だっ
 たんですねえ。だからサロメのヨカナーンにはならないんですねえ。グレイト言うてる顔だったでしょ。
 アメリカではモンスターは居場所がないんですねえ。だから銃にいくんですね。単細胞ですね。
 それから言うとフランスの男はまっとうじゃないですね。どんな男もぐずぐずになりますね。特に
 美男はそうですね。最初ジャガイモみたいな男ほど女に負けずに艱難辛苦を乗り越えてだんだんいい男に
 なりますね。フランスの醜男の伝統いうやつで美男は辛い、美しさを女に吸い取られたらあと
 は何にも残らないでゴミ箱行きですね。だからフランス男の理想は美男がぐずぐずになるか、ブ男が
 這い上がるかですね。もともと女に尽くして尽くして足の指舐めてポン!と蹴られるのに憧れてる
 んですね。ホントは真のフランス男は怖いんです、しかしその怖さはあんまり文学にならない。ノ
 ートルダムのせむし男が頭良くて皆を思うままに操っても美しくはないわね、あまりにミもフタも
  なさ過ぎて。だから代わりに女を立てる。そのほうが絵になるからね。「東男と京女」言うけれども
 その女を育てた京男が一番のワル、言うたら分かって貰えるかも知らん。

 
それに比べれば英国男はカサ高い。うわべは羊のように従順に見えてその実爪の先まで傲岸不遜。
あんなに女を馬鹿にしてる国はないわね。それに女がなびく不思議、男が惚れる道理がある。フル・
モンティいう映画あったでしょう、失業中の男がスッポンポンのしろうとショーやって、別れた奥
さんが見に来る。養育費も払えない駄目男で、でも金払って見に来るのね。馬鹿にしてるんじゃない
の、どん底で開き直った姿が見たいのね。それが理想の英国男なの。女に騙されても、落ちぶれても
いいの、そこでどう開き直るかが見ものなのね。だから英国には悪女がいない。マクベス夫人だって
良心の呵責に耐えかねて死ぬでしょう、でも亭主は戦って華々しく戦死する。リア王だって男の一代
記、若さ、地位、金、全部剥ぎ取られてさあどうしますか、いう劇やね。長女、次女、どちらも最後は
男に騙されて死んじゃう。


その唯我独尊英国男を全身でしょってるコリン・ファースがフランス駄目男の典型ヴァルモン
なんて、いくら鬼才フォアマン監督と言えども無理も無理。男の映画にしたい、いうのはわかる。
しかし、これはヴィスコンティの「夏の嵐」の中尉でしたか、あの女たらしをマーロン・ブランド
が演るようなもの。美男で傲岸不遜で開き直ってる、いうのはフランス男を演るには三重苦やね。
コリン・ファースはそういう役者、ヴァルモンでオペラ座のボックス入るでしょう、アネット・ベ
ニングが修道院出たての娘を紹介するでしょう、そのときのコリンの顔、見ましたか。白い歯を見せ
てまあ、女を値踏みしながら愛想笑いをする凄い顔、なんやジャガイモ娘やなあ、こんなん夫人が
よく一緒にいるね、これでも磨けば光るのかね、まあ、お手並み拝見やなあいう感じ。この若さで
この冷徹、シュトロハイムのカラムジン伯爵だって出来るこれがコリン・ファースの本性。しかし
フォアマンは使い切れなかった。「アマデウス」で行こうとしたフォアマン、俳優を見る眼が甘すぎ
たね。男の映画にするんなら何もラクロをひっくり返そうとしなくても良かった。こうしたい、言う
意図はよくわかる。しかし「危険な関係」はフランスの真髄、女に操られてそれを歓ぶ男の話、何
でも持っていて最後はぐずぐずになって終わる。だから英国の舞台、最後はヴァルモンの死骸が舞
台袖にころがってて、メルトイユ夫人は平然と「さあ、トランプを続けましょうよ」言うでしょう。
一度は可愛がった男を殺すのが女にとっての最高の愉しみ、でもコリンではカサ高すぎて駄目ですね。
それにあの頃はエセックス卿演れるほど練れてなかったしねえ。
さあ、もう時間きましたね。それでは来週、ごきげんよう。(5月20日(土)19時23分20秒)

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淀調 企む女・探る観客 

はい、淀調でございます.YOKOさん、書き込みどうもありがとうございました。
Julian Miychellの原作では a respected joke になってますね。そして respected
はイタリックで書かれてるんですね.respected 言うたら distinguishedとか eminentの
ニュアンス、ハー言うて仰ぎ見る感じですね.これが尊敬のかけらもない jokeいう言葉に
ついてるんですね。学校中の笑いもの、あまりにも馬鹿馬鹿しくて皆から嘲り笑われる存在、
しかし底の底までは笑いきれない.それは彼がどこまでも自分の信念を曲げないからですね.
ジャドはそこに自分のraison d'etre、存在価値を賭けてるんですね.英国人の誇りは自分で
自分を笑いものにする能力を持つことで、それに全力を傾けますね.それが文学になるんですね.
さはさりながらジャドの冷静沈着なこの態度、これは彼が生身の誰にも本気で恋してないからです
ね.「資本論」は北極星のように動きませんからジャドは立派に死ねるんですね.基本的に英国
男は恋に狂わず他のことに狂いますね.嵐が丘のヒースクリフは恋で死にますが、一生キャシーを
慕って心変わりもしない.作者の理想の男ですが、フランス人ならそんなの恋じゃないよと言うか
も知れん.自他の心変わりに翻弄されボロボロになるのがフランス男の恋、昨今は違いますが昔の
フランス映画はそんなんばっかり、女に捨てられるか無理心中かいずれにしてもたくらむ女がフラ
ンス映画の十八番になってました。

「危険な関係」には3人の女が出てくるのね.悪女と貞女と馬鹿な女と.原作では貞女が死に、悪女
は罰を受け、馬鹿な女は前非を悔いて修道女になる。今ではこんな女はいない、とラクロの但し書
きが付いてますが、まあ、善くても悪くてもどこかに女の愚かさがないと魅力無いですね.この
3人の取り合わせ、特に馬鹿な女、あの世間知らずのセシルがどんどん変わっていくところがひとつ
の見せ場で、これをどう見せるか.セシルは女の本性見せてますからね.夜眠い、いうのでお客の前
であくびしてた娘が、ダンスニーに手紙貰って次第に大胆になっていく.水心あれば魚心でヴァル
モンに許した後は3人とも欲しい.その中にダンスニ−が残ってるのが不思議なくらいの変わりよ
う、これが顔にも態度にも出てきて観客に分からんといかん。分かりやすい、という点ではやはり
フリアーズ版を押しますね.ユマ・サーマンの顔、少し賢そうでいて肝心なところが大抜け、メル
トゥイユ夫人に馬鹿な娘だ、いつでもどこでも好きな男と好きなだけ寝れるのよ、いわれてからの
表情を見てごらん、眠ってた本性が目を覚まして、もう体裁をつくろわなくなるのね。これだから、
いう半分呆れ顔のメルトィユ夫人、そこへ何も知らない母親がまあ、いつも娘に良い影響を与えて
くださってと御礼を言う皮肉、舞台と同じ脚本、これがまた原作のポイントを非常に上手く拾って
る。豪華なセットにアップを上手く入れてるから雰囲気が出てますね.だから原作を読んでいない
人もよく分かる.読んだ人よりよく分かるかも知らん.そこがフリアーズ版の強味であって、また
弱いところ.

例えばグレン・クローズ、いかにもの悪女で「危険な情事」のあとのイメージそのままで、
この人が何を言っても誰も驚かない.マルコビッチの台詞に的確に反応して、表情を見れば彼女の
感情が観客によく分かる作り.貫禄もあってまあ、少々上品さには欠けますが、フォアマン監督の
アネット・ベニングよりは遥かに貴族.アネットは小間使いです、いうても誰も疑わない.表情も
ON/OFFで、あの指を舐めるシーンねえ、小娘がケンタッキー・フライドチキン食べた後じゃ
無いんだから、もう少し舐め方ってものがあると思うのね.フォアマン版については次回にいたし
ますが、グレン・クルーズ、愛してるから子爵の入れ込み方が許せないんだわねえ、と観客が納得
してしまう。ヴァルモンが死ねば大声で泣くし、まあ、女だわねえ、と。これはねえ、いかにもア
ングロ・サクソンらしい、原作を分析して台詞と表情で見せてこれです、と。ついでに観客が
おさまるようにオペラ座での見せしめも入れたりして.脚本がいいからDVD買いましたが、今見た
ら退屈.どうしてか。ラクロは算数じゃない、こうだからこうなって、とは必ずしも言えない.
何を考えてるのか、口ではこう言ってるけど、本心はどうなのか、そういう危うさが全部無くなって
る.見てる側が探って探っていく楽しみが消えちゃってるのね.フリアーズはとてもいい、けれど
その完成度が仇になることもある.
というところでもう時間きましたね.次回はいるいるサンお気に入りのフランス版いたしましょう
ね。それでは皆様、ごきげんよう。(6月2日(金)14時35分46秒)

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淀調 ヴァディム版「人間嫌い」 

はい、こんにちは。淀調でございます。
しつこく続く「危険な関係」、前回はフリアーズ版、今回はいるいるサンご贔屓のロジェ・ヴァデ
ィム版、最初見たときは、なんやこれ、思いましたね。白黒でもこれはまた黒が違うのね、粘って重
い濃いい黒。それで台詞がフレンチでしょう、ジャンヌ・モローの表情見ていたいのに字幕見なならん、
これが鬱陶しくて、内容の鬱陶しさとあいまってうう、重い、重い、豪華な衣装も着てない
し、まあ無愛想な現代版、こんなんかなわん、でお仕舞いでした。若かったんですね。
今見たら、とてもいいんですね、これが。当時は林真理子は出てないから誰も「私だけが損をし
ている」とは言うてくれないわけです。ロジェ・ヴァディムはフランス人ですからそこまであけす
けには言わない。言わないけれども彼がつかんでジャンヌ・モローが見せているのはまさにそれ。
しかも林真理子と違ってこの奥さんは夫を憎んで愛してる。そこが始末の悪いところ。
生まれもいい頭もいい顔もいい女、ジュリエットが選って選ってこれなら思うて結婚した男、ジェ
ラール・フィリップ。私は他の女とは違う、夫が浮気しても文句言うような野暮じゃない、夫の浮気
は私の勲章。それに私だってお茶ぐらいはいただくし。そう思って夫のプロデュースしてやってき
て、でも此の頃むなしいの。これはもしかしてババ掴んだんじゃない?私の相手はどうもいまいち
でしかもその相手に若い、いうだけの小娘に見返られて、夫は変わらずへろへろしてる。言うなり
に動く夫もいいけど何だかねえ、都合がいいからホイホイ従う振りしてるんじゃない?
ジャンヌ・モロー、そんな台詞は吐かないけれど、鬱屈した屈折した表情、だんだんだんだん人生に
倦んできた女の憤懣が体から匂ってる。アメリカ人の浮気相手から電話があるのね。もう親戚筋の
セシルと婚約が決まっててジュリエットはお払い箱なの。でもそこは人妻の余裕でまあ、おめでと
う、結婚祝も用意してあるわよと笑って別れてそのあとで。寂しいの?まあ、変な人ねえ、ええ、
主人と一緒よ、あら嘘よひとりよ、その間中、夫のヴァルモンはキスしてドレスのファスナー下げて
ごちゃごちゃごちゃごちゃ。夫に絡まれて弾んでた体が電話切って後ろ向きにベッドに腰掛けた途
端、剥き出しになった背中が退屈だあ言うてる。赤いものが欲しいのジュリエット。世界中で誰よ
りも愛し尊敬する女は君だけだ、僕らは共犯者だ、そう?本当にそう?あなただけが得してるんじ
ゃないの?もちろん、そんなことは言いませんが、彼女の目の下のくま、唇の端、あんまり喋らん
ジャンヌ・モローだからいろいろいろいろ考えますね。そしてジェラール・フィリップ、トゥルベ
ール夫人をスキー場で見かけて目の前でわざと転んで笑うでしょう、大きく開けた口の中、白い歯が
細くて歯の端が揃ってないの。ああ、これは死ぬな、思うのね。浮気三昧の好き勝手してるように
見えて、あの奥さんやったらどこか自分も知らんところで気い使って気い使って疲れてる、だって
奥さんの方だって何もかも打ち明け合う、言いながら用心深く隠してるものがあるもんね。だから
満ち足りて幸福なトゥルベール夫人に救いを求めるの。自分だけ救ってもらう?そうはさせない
わ、夫嫌い、自分嫌い、皆な嫌いなジュリエット、袋小路なのね。
ここで効いてくるのが若くてちょっと馬鹿な親戚筋のセシル。原作とは違ってこのセシルはなかな
かしたたかなの。親に嘘ついてダンスニーの下宿を訪ねるのね。ベッドでスカートまくりあげて、
寝たら親が世間体を気にして一緒にさせてくれるわ、言うの。若さの特権振りかざしてダンスニー
振り回してる。年上の余裕で対してるけど、ジャンヌ・モローにしてみたらその傍若無人ぶりが
たまらないの。ずたずたに引き裂いてやりたい、だからダンスニーに会って、こんな一途な男は
セシルにはもったいない、可愛がってあげるわと。でもこのセシルはめげないのよねえ.ラストで
裁判沙汰になって出て来たところを新聞記者が取り囲む、にっこり笑ってまるで勝利宣言してるみ
たい。ダンスニーにガードされて、母親はこんな娘でも可愛くて、半分顔が焼け爛れたジュリエッ
トを振り返って心が顔に表れてるわ、言うのね。このときのジャンヌ・モロー、さあどうでしょう、
泣きもしない、笑いもしない、動じないの彼女。あんた達なんて相手にしたってしょうがない、いう
感じ、楽しみのために、いうよりは無理心中の色合いが濃い「危険な関係」メルトゥイユ夫人とヴァ
ルモンを夫婦にしたことでいきなりリアルになったこの映画、男と女が二人で暮らすことのしんど
さ、男と女の違いを映し出して見事でした。
さて、なかなか「ヴァルモン」に行けずに申し訳ないです。
来週こそフォアマン監督を肴に「見える悪女・見えない悪女」いたしましょう。
それでは皆様、ごきげんよう。(6月3日(土)11時49分58秒)

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