1951年
日本人負傷兵一条は中国で暮らしていた
あらゆる情報を入手する事が任務だった
任務というのは、組織の任務である
負傷兵にも生活がある
生活には金が要る
金を得るには仕事が居る
負傷兵にできる仕事は限られている
そういう事だった
だからあっさりと中国のスパイとなった

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1960年
日本では米国の捕虜生活を送ったモノが日本に戻り、スパイとして暗躍していた
それこそ非国民であり、売国奴だった
一条にはソレを非難する事は出来なかった
誰にも生活と命が在る事を知っていたから

一方、日本で闇米の売買を止めるよう取り締まる立場の人間が死亡した
死因は餓死だった
決して、闇米を喰らわなかったからだ
その妻や子供は生き残っていた
闇米を食っていたから
妻子は彼にも闇米を食って欲しいと懇願していた
しかし、彼はその信条に殉じた

一条は思う
誰が、ソレで幸福になっただろうか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1976年
一条は海を渡る
祖国に帰るという想いはなかった
思い出の家、友人、親戚はもうこの世になかった
脳髄にたたき込まれているのは中国での死闘とその後の暗躍だけだった

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1980年
李さんは面会が果たせなかった
黒社会の人間であっても、例外ではない
だから朱美の両親には言づてをすることにした
子供は急性心臓麻痺にて死亡
安らかな死顔であった、と
言づてだから、彼らがどんな顔をしたか知れぬ

裏通りで生きる事に失敗したモノは、就労と食い物が在る生活に甘んじていた方が幸せだ
捕獲という最後の一線を越える失敗したと言う事は、裏通りで生きている能力が無い事を示している
ならば、子供の心配をして出所するよりも長くそこに居た方が良い
塀の中は悪辣な環境かも知れない
しかし、外には塀が無く放し飼いになるだけ
刑務所の塀は脱走を止める檻であり、外敵から身を守るだけの防護壁でもあるのだから

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1985年
朱美は海を渡る
李は海を渡る
一条が待つ海の向こうへ渡る

既に戻る土地は無い

風が頬を撫でる
風よ、龍に届いているか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1989年
私が、彼らの物語に登場する

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1990年
一条老君、死亡
魂は、受け継がれる

私と朱美と李さんの物語は続く

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

to be continued

Back Jump Next