1965年
李さん一家はその界隈じゃちょっとした顔だった
もっとも、一家と言うが実際には兄弟二人
狡猾に人心を操る兄と武術一本気の弟
何れも立派な青年だった
ただし、そこは純粋都市であり、法も適用されなければ犯罪という概念もない場所だった
故に、彼ら兄弟は羨望の眼差しを受けていた
ベトナム戦争の幕開けを街頭テレビが報道している
兄とその所属組織には注視すべき事態だった
弟とその世界は関心を寄せなかった
だから弟はいつも通り「外」に出て盗みを働いた
屋台の食い物を盗むのが一番容易い
そして勿論、飯以外は盗まない
盗んだところであの「中」では意味がないから
その日の弟はちょっとしくじった
盗むタイミングを計り損ねてその瞬間を屋台の親父に見られた
親父も思わず殴りつける
失敗したという気にとらわれて避け損なう
道に転がり、逃げる
親父は屋台の方が大事だから追っ手は来ないはずだ
甘かった
余計な正義感を持った若者が追ってきた
短く舌打ちして「中」の路地に逃げる
追って路地に入ってきた男に蹴りを飛ばす
男も武術の心得があるらしく避けられた
路地に積まれたがらくたにつっこむ
木箱が壊れてむき出しになった釘で腕を切る
若者は偉そうに弟を睨み付けて胸ぐらを掴んで立たせた
勝ち誇った顔で警察に突き出すとも言った
しかし弟は無表情のまま若者の腕に釘を突き立てた
手のひらに隠された錆び付いた武器は暗がりで全く見えなかったらしい
男は一変して子供のように泣き出した
弟は、やはり無表情で邪魔者を気絶させて路地に消えていった
動かない若者の腕時計や財布を、どこか暗がりから湧き出たモノドモが漁り始めた
兄は既に組織の一員として働いていた
彼の人脈は更に広くなり、様々な事象を知る事が出来た
そして「外」の仕組みを知り「中」の異様さを知った
この世では大多数の存在こそが正義であり、少数の物は異端だった
そして大多数は群れ集い法を作る事によって異端を弄んだ
当然だが、外の連中と中の連中では金の重みが違う
中にとって大金でも外ではそうでもない
中に対して外から決して少なくない助成金が入る
しかし、それは外では雀の涙程度だ
金を使うのは外に対して
だから助成金は雀の涙程度の意味しか持たなかった
兄はそのシステムをよく知っていた
だから一般市民が中に寄付する事で幸福感を得るのは胸がむかついた
道楽で助けてもらうのか?何様のつもりだろうか
兄に連絡が入る
「外」に建っている組織の建物に弟が来る
弟は手に包帯を巻いていた
兄は弟に訊ねた
その傷に見合う報酬は手に入れたのか、と
弟はあらましを語り、そして若者から何も取らなかったと言った
ただ、二度と油断しないだけの教訓を得たと言った
兄は知っていた
その後若者は「中」の住人に身ぐるみを剥がれているであろう事も
そして弟が自分と同じように「外」の金を憎んでいる事も
同様に兄が「外」で清潔なビルに住み、金を扱う事を憎んでいる事も
弟にとって金を「外」で行き来させない事がプライドという事も
一方で兄の仕事を理解していたから弟は反抗しなかった
そして組織の一員として仕事が有れば仕事をした
弟の仕事は汚れ仕事だった
それを望んでいた様にも見えた
そして仕事が無ければ「中」に棲む事を選んだ
「中」にいなければ「外」への憎悪を保てないからだった
そして「中」から脱した兄を尊敬し、しかし受け入れないで居た
兄弟は「外」の安逸さを憎んでいた
生きる事が当たり前な愚鈍な泥濘が嫌いだった
そして弟も組織への転身をあっさりと遂げる
盗もうがどうしようが、結局同じだという事に気づき、兄が「外」を食らっている事にも気づいた
組織に所属する事で自分も「外」を食らう術を見いだせると思った
そしてそれはその通りだった
兄、16歳
弟、13歳
仄暗い青春の一幕
彼らに少年時代は無かった
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1980年
兄は少年を拾う
「中」を歩いていると、少年がズボンの裾を引いた
無視して歩いたが少年は手を離さないでついてくる
中で上等なスーツを着ていると時折有る事だった
いつまでも付いてくる少年に根負けした形で引き取る
そして武術、数学、語学等あらゆる英才教育を施した
それが自由に出来る程度に、組織の要人となっていた
少年はいわゆる日系三世という奴で、闇子だった
朱い髪 朱い眼
彼に朱美という名を与えた
李さん一家は三人になった
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1985年
弟は「中」と「外」と「組織」の関係をウロボロスに例えた
兄は其れを知恵の輪に例えた
見解と思想の違いは別離を導く
李さんは、龍のウロボロスを知恵の輪に換えるために朱美を連れて日本に渡った
朱美の成長に賭けるしかなかった
兄は拳を鍛えなかった事を悔やんだ
龍と同じ道を、違う足取りで歩いていたのだ
「外」にも強さを求める事は出来るのだろうか
「中」の強さではない、増悪から生じない強さが
憎悪だけが強さならば龍の言うように輪転するだけのウロボロスだ
ドロドロとした血が巡るウロボロスだ
しかし、少しでも綺麗な血を循環させる事が出来るのなら、希望を捨てきる事はない
いつかは「中」と「外」と「組織」を知恵の輪に出来るかも知れない
兄弟にとって大きな賭けだった
朱美は13歳だった
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1989年
私が暗躍を始めたのも13歳だった
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to be continued
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