1941年
日本の真珠湾爆撃は大成功の旨が報道された
当時の日本は天皇を中心とした神の国であり、臣民として各国を従えるべく参戦したのである
あくまでも正義の為に参戦した
同盟国の独逸も華々しい戦果を上げていた
日本は中国大陸に進出し、その勢力を拡大していった
絶頂だった
当時書かれていた祖父の日記にはこうある
「日本は、戦争に負けるだろう」

祖父........私の血筋は高名な社の分家であった
当然のように祖父にも霊能が在り、それは予知能力の形で顕れていたと聞く

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1944年
私の母が産まれた
戦争が始まって3年後の出来事だった
その4ヶ月後、祖父に徴兵令状が届く
出兵
祖父は産まれて間もない女の赤子を抱き上げてしっかりと、顔を見つめたという
実に、32歳の男盛りであった

帰れない事を知りながら、祖父は出兵した
祖父の抱き上げた赤子が後に私を産む事になる

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1946年
終戦から半年
祖母の元に見知らぬ男が現れる
男は敬礼し、手短に用件を言った
ご主人の遺髪をお届けに参りました
屋内に男を招き入れ、その最後を聞く事にした

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1944年
祖父は通信班に従属していた
人を殺す事の無い部署が慰めになったかどうか、私には解らない
通信班は部隊後方に位置し、当然陸軍が攻め入った後をついて進軍する形になる
故に、日本の部隊が殺した夥しい敵国民の死体で出来た山を見せつけられる事になる

その死体の山を、丁寧に取り崩し、一つ一つに黙祷を捧げ、葬った
初めは呆気にとられた仲間も次第にその作業を手伝う様になる
生き残りの村人に心から謝罪した
上官に知られれば軍法会議モノだ
祖父は、同じ日本人として出兵し、そして同じ日本人として弔鐘を鳴らし続ける為に出兵したのかも知れない

この頃に祖父はマラリアに感染した

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1944年12月24日
戦場の朱は美しかった
美しい夕焼けに照らされた死体の海
流れ出る血のまだ温かいものも、冷たいものも、同じ空の朱
日本人でも中国人でも、同じ空の朱

通信班は逐次情報の最前線に居る事が出来た
そして予見した状態を確認する事が出来た
だからこそ、死体を見続けてこう思う

何故、日本はまだ勝てると思っているのだろうか

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1945年 1月19日
マラリアによる高熱で死亡
名誉の戦死とされた
この際には、祖父の周りにいた誰もが哀しんでくれたという

そして丁寧な埋葬をしてくれたという
遺髪だけでも帰ってこれる人間は少なかった

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1976年
私が産まれ、そして将来に朱い髪の男と出会う事になる
何故、心の奥底に美しい朱の記憶が在るのかは私だけが知っている

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1989年

私は流れ出る血の暖かさに触れ、生きる力と儚さを秘めた色を知る

人は皆、夕日を見つめて帰る家はどこかと黙る
人は皆、夕日を見つめて愛おしき人を想い、天を仰ぎ涙を堪える
人は皆、夕暮れが嫌い
切なさを堪えきれず行き場のない涙を流す事になるから
情熱は暁に産まれ 夕映えの中、すぐに燃えて消えてしまう

早く、誰か、側に来て

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to be continued

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