1989年
雅美さんは一人の餓鬼に声を掛けた
ガキンチョは、ふらふらと彷徨っていたところだった
長身、黒ずくめに朱い髪をたらした朱美が車いすを押していた
遠目には椅子に座っている深窓の令嬢と、侍従長という風情だった
真っ白な雅美さんと、朱美の風体が木漏れ日に映えて、映画のワンシーンのようだった
ガキンチョは、親鳥と勘違いした雛のように雅美さんに惚れた
一発

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それから二月
ガキンチョは路上でぼこぼこにされていた
まだ雅美さんの血が付いたアスファルトに転がる
立ったら殴られる
立たなきゃ蹴りが入る
朱美も私も涙こぼしながらぼこぼこに殴り、殴られた
最後に、手を取って引き起こしてくれた
そしてその夜、私は初めて酒を飲んだ

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1995年
朱美はブラジルに居た
日本を離れ、中国からブラジルへ移民していた
世界中何処へ行っても華僑の最大級バックアップが付いて廻ったのが幸いだった
強い復讐の念が満たされた後、どれほどの空虚が訪れるかは私には解らない
根元たる麻薬王の存在を忘れたわけではないが、それ以上に朱美を動かしたのは無力の民だった
ブラジルは対政府ゲリラが横行し、其れに街の自警団が反発していた
政府は何もしてくれない
ゲリラは無差別にテロを行い、自警団はいつしかただのチンピラに成り下がった
民衆はテロリストの人質であり、自警団の大義名分でしかなかった
最悪な事に、テロリストと自警団の双方に同一の男が絡んで武器を回していた
その男は政府の人間だった
人が死ぬ事が特別ではない街だった

その爆破テロも日常だった

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1996年
ブラジル
某、兵器流出源の男が死体になった

それから数日後の日本
李さんと、初めて見る顔と、私の三人が店の奥でテーブルを囲んでいた
お互いに初対面なのに、この男は私の顔を見るなりぼろぼろと泣き出した
李さんが告げた
朱美が死んだ、と
感覚として知っていた事実
まさか、の事実

爆破テロは数個の爆弾が炸裂したらしい
朱美は、渦中の建物でちょっと困ったな、という顔をしたらしい
そして男にナイフと伝言を託してちょっと離れた場所にいた女の子に向かって走ったそうだ

建物が半壊し、でかい天井のコンクリートの下から朱美と女の子の死体が出てきた
朱美は女の子をしっかりと抱きしめた状態で背中からコンクリートの塊を受けた

最後の最後まで、格好良すぎる男だ
衝動的に、後先考えないで庇った馬鹿な正義感じゃない
それなら困った顔なんかしないよ 伝言なんかしないよ
いずれ助からな少女を見捨てられず一緒に死んだ
それは朱美の生き方そのものを象徴した最後
そして私からは勝ち逃げ、だ

伝言は簡素だった
「このナイフ、弟に渡してやってくれ
 で、ま しっかりやれってさ 伝えてくれや」

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1999年
私はぼこぼこにされていた男に手を差し伸べた
男を「鏡羅」と呼ぶ事にした

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to be continued

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