1991年
中学生を卒業
まるで卒業の実感は無い
学校での生活も家での生活も感情を生のままで表現する事は無かった
母親に心配を掛ける真似はしたくなかったから
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1982年
母親は幼い私に訊いた事がある
ねぇ、家を出る事になったらおかぁさんに着いてきてくれる?
それをきいたら涙が溢れてきて仕方なかった
それが悲しいという感情なのか、何なのか未だに解らないが、兎に角涙が溢れた
母にとって家の中は悪楽な環境だった
当時の家族構成は7人
父、母、姉、祖父、祖母、叔父、私
母は疎外されていた
簡単に言って嫁姑問題だ
祖母は体面を気にする人だった
子供の私の目から見ても家の本職だった自営業の利益だけで喰う事は叶わない状況
母は外に働きに出る事を提案するも祖母が猛反対していた
それでも、背に腹は代えられず働きに出ると其れがまた疎外感に拍車を掛けた
父は黙っていた
いつ頃からはハッキリしないが、黙って色々な資格取得の勉強を重ねて外に働く準備をしていた
祖母も母も私には優しかった
母はそれでも祖母を粗略には扱わなかった
祖母は私に優しくしても母には優しくしなかった
祖母をハッキリと敵として認識するも、私には「いい子」で居る以上の手段は何もとれなかった
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1993年
姉が商業学校を卒業し、就職をした
私も同じ商業学校に進んでいた
姉が就職を期に友人の家に移る事になっていた
その傍ら、私と母を一気にその家から脱出させる算段だった
算段は上手くいった
姉と母と私は姉の友人であるカオリ嬢の家で同居する形になった
その家は一軒屋で、間取りも広い綺麗な家だった
カオリ嬢と私は姉の手引きで幼い頃より何度か会っていた
その気さくさが心地よく、三人とも開放感を得ていた共同生活だった
私はアルバイトに走り回り、夜は朱美と調査、喧嘩、酒
朱美の手引きで知り合う人間はことごとく信用していた
そんな中、一人の中国人を情報屋として接触を持つ様になる
名を李という
この男の日本渡航に随伴してきたのが朱美という図式であり、朱美にとって恩人だった
朱美にとっての恩人ならば無論、私にとっても大儀有る存在に違いない
李さんは色々と暗躍を誘う情報をくれた
どこで女が犯されている
いつ、麻薬取引が行われる
誰が、ヤクザと癒着している警視か
一片の金銭関係は無く、ただ目的だけのために保たれた関係
お互いの目的のためにお互いを利用しあう共生関係だった
長期にわたる強姦
要するにSEX目当ての強請
同じ男性として最低線の存在をぶん殴り、蹴りを入れ、懺悔と後悔をたっぷり与える
女は驚喜し、救い手に恋をする
私はあっさりと女を信じた
確かにその女は恋をしていた
しかし、その恋は私という存在にではなく、救い手への恋
女は私が他の女の救い手となる事を厭がった
SEXが激しい分、付き合いは短かった
朱美は何も言わなかった
ただ雅美さんを飼い殺しにしていた奴を見つけた、とだけ私に伝えた
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to be continued
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