元の発言 [ Re: (承前)Re: 馬が出た ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 10月12日(土)23時04分20秒 ]
>>
>> >> さて気まぐれで乗ったかどうかまでは判りませんが。
>> >> 一般農民が常態として乗っていたとは思いません。
>>
>> この視点は分かります。
>> が,社会のようすなどの微妙な観点については,
>> また調べなおしてみます。
4、5世期の社会の状況は、文献がないのでなかなか判らないかもしれません。
考古学的な発見で、どこまでせまれるかというところでしょうか。
>>
>> >> それならそんな神話なり伝説があっても良いように思います。
>>
>> ちょっと調べてみましょう。
「どこそこの貧しい百姓が馬に乗って通りがかったところ...」なんて話ありましたっけ。
>> >> そもそも馬が貴重品であり、その飼育もそれほど広がっていなかった時代に、その飼育を担当する人物はどんな立場にあったと思いますか。
>> まず,だいぶ以前ながら紹介した「最近の発掘から見た東日本 」のサイトに,
>> 長野県の大室古墳群に関連する記事があるので,参照してください。
>> 特に興味深いところを引用してみます。このうち,
>> 「新しい技術を駆使して生産に従事した」という辺り,
>> 牛馬耕について検討しても良さそうですかね。
6世期には確実で、4世期のものが見付かっているということ、農耕具が残りにくいことを考えると、牛馬耕はあってもよいと思います。
4世期中頃から馬は支配階級へ普及していますし、それを自らの所有地の生産力向上に向けるとしても不自然ではないでしょうね。
ただ所有していたのは、実際にはほとんど耕作しないような人々と思いますが。
>> 「馬を媒介とする重層的な支配構造」という辺り,
>> ここが興味深いですね。
馬の飼育も、4、5世期には特殊技能なんじゃないかと想像します。
重層的な支配構造というのは、馬の生産と供給の支配による、社会支配を考えての事と思います。
案外早い時期から、乗馬に対する社会てき規制は存在したかもしれません。
>> 以上の2点が,まずは議論の基礎となりますか。
>> 会津(相津)と言えば,高志とともに崇神記に出てきます。
以下のサイトの内容はそれほど意外性のあるものではありません。
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>> 最近の発掘から見た東日本
>> http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012.html
その他発言: