牛が出た   チャチャです。」

投稿者[ 馬頭鬼 ] 発言日時 [10月16日(水)23時13分42秒]

元の発言 [ Re: (承前)Re: 馬が出た ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 10月16日(水)21時26分31秒 ]

>> (1)中世までの役利用
>>  古代において,奈良朝時代の貴族の車は,主に馬が曵き,平安朝時代になる
>> と,牛車がきわめて盛んになった。天平年代(729−45)諸国から貢進されて左
>> 右馬寮に管理されていた牛は,駄用,農耕用,儀式用と,さまざまな用途に用
>> いられた。耕耘の場合,牛馬1頭の耕耘可能面積は2町で,牛1頭に2人がか
>> りで,1人が犁をとり,他の1人が牛を御していた。
>> −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


>> 5 牛馬の所有形態

>>  古代において,牛馬はおもに国家や貴族の所有に属していた。富裕な農民や
>> 地方の豪族が牛馬を所有するようになったのは,8世紀の中期ごろからである
>> 。
>>  17世紀中期,備前国においては,農民が自弁で購入した牛馬(「自分牛」,
>> 「自分馬」)が,80%を超え,「預牛」,「預馬」が14%,「貸し銀」,「遣
>> (つかわ)し銀(ぎん)」などによって藩から便宜を供与されたものが4%と
>> なっていた。

>> 6 牛小作

>>  江戸時代後期になると,中国山地の鉄山師が,鉄の運搬用として,また,商
>> 品経済の発達に伴う商品として牛を多く所有し,これを牛小作に出した。備中
>> 国阿賀郡井原村(現新見市)の庄屋安藤家では,文政,天保のころ(1818−43
>> )約1,000頭の牛を所有し,近在を初め美作,伯耆,遠くは讃岐にまで厩先をも
>> っていた。
>> −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

中国の戦国時代なんかにも、馬ではなく牛に乗るということが掛かれていす。

近代、零式艦上戦闘機を運ぶのにも牛車が使われています。
振動などを考えると牛舎になるようですが、実際うえの例意外でも精密品の運搬に牛車が使われたと聞きます。

貴族の牛車はいつゴろ伝わったのでしょう?
そして、平安当時、牛車は貴族しか乗れないことになっており、馬はそうではなかった。

では、何をもって、時代の規則の設定基準と考えてるのですか?

馬に乗る騎馬、そして使役様とのみ規定していますが、牛もです。

忘れてることがあるのでは?
牛も馬も食用家畜として最初は飼われていたと考えられます。
というより、人間が馬や牛羊や山羊などの群れに付いて移動生活を始めたのが、遊牧の始まりという説もあります。

では、使役様や他より、まず食用として導入されたと考えないのは何故でしょう?

それなら、結構特別な、技術が必要とも思えません。
そして慣れてきた初めて訓練などの方法をきいてできるようになったと考えることはできませんか?

さらに、食用であれば、当然農民の所有であってもおかしくないのです。



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