元の発言 [ Re: (承前)Re: 馬が出た ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 10月16日(水)09時33分45秒 ]
>> 8世紀以降は文献がありますから、調べれば何かわかるかな。
そのようですね。
8世紀というと,次のサイトにも,興味深い情報・話題満載です。
けっこう牛がのしてきているようです。
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岡山県畜産史 第1編 第1章 第3節
http://okayama.lin.go.jp/history/1-1-3.htm
1 役利用
(1)中世までの役利用
古代において,奈良朝時代の貴族の車は,主に馬が曵き,平安朝時代になる
と,牛車がきわめて盛んになった。天平年代(729−45)諸国から貢進されて左
右馬寮に管理されていた牛は,駄用,農耕用,儀式用と,さまざまな用途に用
いられた。耕耘の場合,牛馬1頭の耕耘可能面積は2町で,牛1頭に2人がか
りで,1人が犁をとり,他の1人が牛を御していた。
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>> 明治期以降は、荷駄用の鞍に子供を乗せてなどと言うことも有ったようです。
なるほど。
江戸時代ともなると産業の力というのは,
やっぱりすごいという感じ。
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岡山県畜産史 第1編 第1章 第1節
http://okayama.lin.go.jp/history/1-1-1.htm
5 牛馬の所有形態
古代において,牛馬はおもに国家や貴族の所有に属していた。富裕な農民や
地方の豪族が牛馬を所有するようになったのは,8世紀の中期ごろからである
。
17世紀中期,備前国においては,農民が自弁で購入した牛馬(「自分牛」,
「自分馬」)が,80%を超え,「預牛」,「預馬」が14%,「貸し銀」,「遣
(つかわ)し銀(ぎん)」などによって藩から便宜を供与されたものが4%と
なっていた。
6 牛小作
江戸時代後期になると,中国山地の鉄山師が,鉄の運搬用として,また,商
品経済の発達に伴う商品として牛を多く所有し,これを牛小作に出した。備中
国阿賀郡井原村(現新見市)の庄屋安藤家では,文政,天保のころ(1818−43
)約1,000頭の牛を所有し,近在を初め美作,伯耆,遠くは讃岐にまで厩先をも
っていた。
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「岡山県畜産史」の目次は,
おかやま畜産ひろば
http://okayama.lin.go.jp/index.htm
から,「まとめたよ」-->「岡山畜産便り」-->「岡山県畜産史」と辿ります。
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