元の発言 [ Re: 松本説はトンデモです ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 7月26日(金)10時31分46秒 ]
>>あとは、所謂倭臭漢文と呼ばれるものが、朝鮮臭漢文で説明できるのかとか(文法が同じですから問題ないようにも思いますが)、
当時の漢文の倭習(臭)といわれるものが、朝鮮漢文にも見られることはつとに朝鮮語学者の河野六郎氏や藤本幸夫氏が指摘しています。特に、藤本氏は稲荷山古墳鉄剣銘の漢文の朝鮮習についても論じています。
また、大野透氏は日本史書と朝鮮史書の日本・朝鮮固有名詞(人名・地名)表記に用いられている借音漢字(引用を除く)の5割〜7割が一致するとしています。
>>膨大な木簡は誰が書いていたのかとか・・・
(木簡などは甲乙の区別があるのでしょうか)
木簡にももちろん甲乙の区別はありますが、最近八世紀後半〜九世紀に地方で書かれた荷札などの中に、従来の万葉仮名の常識から外れる用字法の木簡が見つかり、国語学者達に首をひねらせています。例えば「赤」の字を「ア」と読んだりするのですが、これは借音仮名でも借訓仮名でもなく、そのような用例は記紀万葉などにはありません。
要は、八世紀後半には律令制の施行に伴って帰化人書記官が地方に行き渡り、「読み書き教室」を開いて文盲の日本人達にも文字を教えたのでしょうが、出来の悪い生徒がいいかげんな覚え方をしてこういう用字をしたのでしょう。(^ヘ^)
>>例えば、古と巨の音を学んだ倭人が、私が游惟さんに教えてもらったように、ネコネコ、タコタコと音の違いを指摘され、書き分けるように指導されたとしたらどうなるのでしょう。
オ段音には甲乙の差が大きいものと小さいものがあり、私のみるところ「オコヨロノソトホモポ」の順、即ち、声門音→奥舌音→前舌音→両唇音、と子音の調音点が前に移るほど甲乙の差が小さくなっていきます。私が円唇・非円唇の/O/の違いを自覚させる実験に「ネコネコ」「タコタコ」と「コ」を用いているのもその理由です。これを「ネポネポ」「タポタポ」あるいは「ネモネモ」「タモタモ」に変えると殆ど差が出ないはずです。これは母音の問題ではなく両唇子音m、b、pは子音をはするときに円唇化を必要とし、その為に非円唇の乙類が生じにくいからで、故に「ホ」(上代の「ポ」)には甲乙の書き分けはなく、「モ」の書き分けも明確ではありません。
それに対し、だだをこねて「ねえ、行こうよ、旅行いこうよ〜」などという時の「コ」と、重々しく「播州赤穂」などというときの「コ」は明らかに違い、日本人でも注意すればその違いはわかります。故に、オ段甲乙の書き分けは殆ど奈良時代後半で消滅しますが、「コ」の書き分けだけは平安時代前期まで残りました。
すると「コ」よりも調音点が奥にある「オ」に甲乙の書き分けがないのは何故か?ということになりますが、これは書き分けがなかったのではなく「ヲ」「オ」の書き分けとして現代まで残っているのです。つまり「ヲ」は「オ」の甲類であり、よく見れば上代の「ヲ」の用法は他の甲類音の用法と一致しています。例えば「サヲ」「ウヲ」(甲類音はア・ウ段音に後続する場合に現れる)、「尾」「緒」「男」など単音節名詞は全て「ヲ」(単音節名詞は殆どが甲類である)など。現代語で「ヲ」で書かれるのは助詞の「ヲ」だけですが、「りんごを食べたい」と言ってみれば「を」はちゃんと円唇化するでしょう?(日本語教育の分野では助詞の「ヲ」は円唇化する、というのは定説です)
>>これが全く聞き分け不可能な異音であれば別ですが、通常は全く聞き分けてはいないが、聞き分けられる人間から注意深く指導を受けたらどうなるでしょう。
例えば私の場合、英語のlとrはほとんど聞き分け不可能でしたが、幾度も繰り返し指導を受けるうちに、さすがにある程度は分かるようになってきました。
現代人の私は、”こ”と言う字で記号化された日本語の音素を理解しているので、書き分けようなどどは思いませんが、全く自分の言葉を文字化する手段を他に知らず、言葉に対して神秘的なものとして、恐れを抱いていたとすれば、書き分けようとするかもしれません。
朝鮮帰化人から指導を受けた日本人も書き分けようと努力したでしょうが、聞き分ける耳を持たない人間は正確には書き分けられません。それが8世紀後半の異例の多い借音仮名でしょう。(母語として朝鮮語を話せる二代目(早期の三代目)から日本語しか話せない三代目・四代目への移行期・過渡期)
もちろん人間には個体差があり、語学に天才的な才能を持つ日本人の中には正確に聞き分け書き分けが出来た者もいたかもしれません。しかし、英語のrとlの聞き分け・書き分けとは異なり、オ段甲乙は意味弁別には何の機能もしておらず(機能しているのは母音の違いではなくアクセントの違い)、そのことは日本人自身が一番よくわかっているのであって、書き分ける必要を感じなかったでしょう。
現代日本語のラ行子音は英語で言えばrだとされていますが、実際にはlの発音もされています。例えば「立教大学」の「リ」はの子音は明らかに「l」ですが、誰もそんな書き分けはしない。(ラルレロをは舌を反らせ、硬口蓋あるいは軟口蓋に舌先が接触するが、リは舌が延びて歯茎あるいは門歯の裏に接触する。)
書き分けたって意味がないからです。
「じゃあ、日朝バイリンガルの帰化人二世達ならオ段甲乙を書き分けたって意味がないことは知っていたはずだ」という反論があるでしょうが、彼らは漢字を朝鮮語の発音記号として覚えていたのであって、日本語の発音記号としてではありません。我々がカタカナを日本語の発音記号として使っているのと同じです。
逆に、朝鮮語には有声音・無声音(日本語でいう清音・濁音)の区別はなく、朝鮮人達はその聞き分けも書き分けもできません。だから韓国人達は日本語を学ぶ時に「きんさん」「ぎんさん」の区別に非常に苦しみます。しかし、日本人が朝鮮語を聞けば、韓国人達も清音・濁音を条件異音として明確に使い分けています。
例えば「キムチ」の「キ」は[ki]であって清音ですが、「オイギムチ(胡瓜キムチ)」「ムルギムチ(水キムチ」など、前に母音・有声子音が接続するときは、明確に[gi]と発音しています。(日本語の連濁現象と同じ)そして、私は朝鮮語ではこの「キ」と「ギ」の区別が意味弁別に何の機能もしていないことを知っていますが、カタカナで書くときは「ギ」と聞こえるものを「キ」と書くわけには行かず、やはり「オイギムチ」「ムルギムチ」と書きます。そうしないと、何も知らないで「オイキムチ」を音読する人は私が聞いたのと別の発音をしてしまうことになります。
一方、韓国の地名「全州」と「清州」は朝鮮語では別の発音であることを私は知っていますが、カタカナでは共に「チョンジュ」としか書けません。私の耳には両方とも「チョンジュ」としか聞こえないし、仮に聞き分けられたとしても、書き分ける文字がないのです。
万葉仮名の「清濁混用」もしばしば問題になりますが、朝鮮語では日本風の清音・濁音で漢字音を区別していないため、バイリンガルの二世達は日本語の清濁音の区別はわかっていても、書き分けようがなかったということでしょう。
>>借音字にはかなり半島の影響があるそうですね。
吏読、郷札、口訣と万葉仮名や片仮名との関わりも言われていますね。
現代朝鮮語では漢字に「訓読み」はありませんが(例外として数詞「一」「二」「三」・・を「ハナ」「トゥール」「セー」と固有語で読むことはある)、三国時代には訓読みもあり、借訓仮名もありました。
万葉集には訓読法や借訓仮名を用いて記述されたものもたくさんありますが、そういうやり方は朝鮮でのやり方を日本人が真似たものであり、それらの歌の中には日本人自身が用字したものもあったでしょう。おそらく貴族達はふと歌が浮かんだ時は簡便な訓読法などを用いて記録しておき、あとで帰化人秘書に借音仮名を用いて清書させたのでしょう。
>>日本語のオの甲乙が否定されると、中期朝鮮語で明快な母音調和をもつ半島の言語との差異がはっきりしてきます。
この「母音調和」という現象を、神が定めた神秘的法則であるかのように思っている人が多いようですが、発音の便から生じる実に単純な現象であり、言語系統とは何の関係もありません。
先に関西人の「ウ」は円唇であるから、その後に続く「オ」も順行同化して円唇化すると述べましたが、逆に東京人の「ウ」は非円唇であるため、後続する「オ」も円唇化しません。仮に円唇の「ウ」と非円唇の「オ」をつなげて発音してみれば非常に発音しにくいことがわかります(その逆はそうでもない)。「母音調和」なんてこれだけの現象に過ぎません。
朝鮮固有語に於いて円唇・非円唇の「オ」が同一語幹内に共存することがないことその他を以て「母音調和」と言われるのですが、こんなものは朝鮮人だって発音しにくいのであって、「発音しにくい母音の組み合わせの単語は発達しない」というのが「母音調和」の正体です。(ただ、朝鮮語には漢語が多数入り、漢語では発音しにくい母音の組み合わせも出来てしまう)
母音を細分化する言語においては、それがA・B群母音の共起制限という形で起こって「母音調和」と呼ばれ、日本語のような母音数の少ない言語においては「条件異音」としてそれが起こるだけのことであり、開音節言語(子音と母音の組み合わせを一音節とする言語)なら、詳しく調べれば必ずそういう現象は起こっているはずです。
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