元の発言 [ 魏誌韓伝の国名 ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 7月17日(水)19時04分08秒 ]
>> ところが魏誌韓伝の国名は、これが音訳文字とすると、藍奚卑離、臨素半、樂奴など、これに反するものがあります。
>> 確か中期朝鮮語でも語頭にrは立たなかったと思いますが、これについて何か情報お持ちの方いらっしゃいますか。
音韻的な中期朝鮮語との違いは他にもあって、森博達氏は日本の古代1の倭人伝の地名と人名のなかで、韓伝の地名には次清音字回避の傾向があるとされています。
これは倭人伝の特徴と同じで、当時の三韓の言語には有気音がなかった可能性が高いとされています。
しかし中期朝鮮語にも現代語にも、激音と呼ばれる有気音があります。
これは訓民正音でも中国音での次清にあたるとされる音で、これが無かったとしたら後代の朝鮮語との明らかな差と思われます。
ところが一方で馬韓の国名に良く出てくる、卑離は地名比定などから考えて(下記)、百済の夫里でると思われ、これは新羅地名の火、中期朝鮮語のpOr(原)と関係がありそうだとされています。
(日本語のpara(原)と同根かもしれませんが)
韓伝には馬韓と弁韓、辰韓の言語が異なるとされていますが、字種を広韻などで調べて分類してみると、それほどの差は無いように見えます。
これを倭人伝中の音訳文字と比較してみるとその差がはっきりします。
もっとも明らかな差はあって、馬韓には前述の卑離国など離で終わる国が十カ国もあるのに(内卑離国七カ国)、弁辰にはありません。
馬韓で七カ国ある廬で終わる国が弁辰にはなく、代わりに盧で終わる国が二カ国あります。
弁辰で三カ国ある彌凍で終わる国が馬韓には無く、馬韓には四カ国ある臣で始まる国が弁辰にはありません。
ただし馬韓で三カ国以上ある、古で始まる国、不で始まる国、狗で始まる国は弁辰にもあり、弁辰で三カ国以上ある路で終わる国は馬韓にもあります。
一方で倭人条中の国名と比較すると、韓に多い不で始まる国、狗で始まる国があり、倭人条中に極めて多い奴で終わる国が弁辰に一カ国ありますが、三韓の場合と比べるとやはり偶発的な類似の印象が強いです。
はてさてこの時代の東夷の言語はどうなっていたのでしょう。
国名の地名比定
牟盧卑離は全羅北道高敞(毛良夫里)
如来卑離は全羅南道和順郡綾州(爾陵夫里)
その他発言: