サウダージの香り
〜Rio de Janeiro〜

PRAIA DE IPANEMA
ボサノヴァが生まれたリオ南部には、セントロに近い方からフラメンゴ海岸、ボタフォーゴ海岸、ウルカ海岸、 ヴェルメーリャ海岸、レーメ海岸、コパカバーナ海岸、イパネマ海岸、レブロン海岸、サン・コンラード海岸...と 長距離にわたって大小の海岸が続いています。
名曲『イパネマの娘』で有名なイパネマビーチはセントロからちょっと離れた所に位置し、 空港からエアコンバスで1時間強ほどかかります。
いわゆる観光地化したといわれるコパカバーナ地区よりもやや落ち着いた雰囲気でした。


(左)魔女の帽子をふたつ並べたような形のPedora dois irmaosはイパネマの象徴
(右)日曜日は道路の半分が歩行者天国となる

海岸は朝は早くからウォーキングや犬と散歩する人々などで賑います。
リオでは犬を飼っている人が本当に多くて、犬用品のお店や獣医さんもよく目にしました。
しかも大型犬も小型犬もよく躾られていて、吠え狂っているのや飼い主を引っぱりまくっているようなのは ぜんぜんいませんでした。犬も毎日海岸を散歩できてストレスがたまらないのかも?
また、スポーツも盛んです。ある1日はマラソン大会が催されていたり、道路にはサイクリング専用のレーンもあり、 浜辺にはサッカーコートやバレーコートもたくさんあって、サッカー王国ブラジルを思い知らされました。
夕方は暗くなるまで誰かしら海には人がいますし、夜は50メートル置きくらいにある売店の近くで ジャズやサンバの演奏があったり、どこかで音楽が聞こえています。
全体的にリオの海岸もハワイのワイキキみたいな感じのリゾート地です。
さすがに海水浴客は日曜がダントツ多いですが、何よりも面白かったのが、海岸の様子が日本によく似ていたこと。 水着を着ているほとんどの人が海で”泳いでいる”んですよね。
私が今まで行った海外のリゾート地ってけっこう焼いてるばっかりで海に入らない人が多かったので 外国人は海でバシャバシャ泳がないんだぁとずっと思っていたのです。 でもここは違いました(ちなみにサルヴァドールも)。 もしかしたら地元の人が多いのかもしれませんけどね。
でも残念ながら海はさほど美しくありません。神奈川県の三浦海岸くらいです。 だからよけいになんだか日本みたいな気分になってしまいました。
遠くから観てると適度に波もあってグリーンできれいなのですが、実際に入ってみるとあれ?なんか浮いてる...という 具合で、まあこれだけ人が入ったら仕方ないかあとも思ったりして。
きれいな海で泳ぎたかったら、もっとずっと南のサン・コンラード海岸まで行かないとだめなようです。 でもイパネマで泳げれば私は満足。


HOTEL
リオには、コパカバーナ地区を中心に星の数ほどホテルがあります。 海に面してなくてもいいならイパネマ地区にも手頃でいいホテルも色々とあるようでしたが、 私はどうしてもイパネマ海岸沿いに泊まりたかったので、『ソル・イパネマ』にずっと宿泊しました。
もともとなぜかイパネマ海岸沿いにはホテルがたった3つしかありません。
ひとつはイパネマビーチのド真ん中に位置する5ツ星、あのジョアン・ジルベルトも宿泊したという 『シーザーパークホテル』。そして私が泊まった『ソル・イパネマ』と、イパネマ海岸の端、 レブロン地区に近い4ツ星ホテル『プライア・イパネマ』。
『シーザーパークホテル』は値段が高いわりには...という噂をよく耳にしたし、 『プライア・イパネマ』はイパネマの端っこすぎて気にいらず、イパネマに行ったことはおろか このホテルに泊まったことすらないのに、「絶対『ソル・イパネマ』!」といい切ったあたり私も頑固です。 でもそれが大正解だったんですよ。
だってここは歩いてボサノヴァゆかりの地を満喫できる最高のロケーションなんですから!


私が宿泊した『ソル・イパネマ』の全体像と泊まった部屋(1泊2人で約140ドル)

『ソル・イパネマ』の客室は15階(全17階建)まで1フロア6室あります。
半分の3室が海側、よって残り3室は海は見えません。
最初、日本から申し込んでいたスタンダードツインの4階の部屋に案内され、喜び勇んでカーテンを開けると、 なんと窓から見えたのは壊している途中の建物たちの狭間。
ショックで「この部屋は海が見えないんですねえ」とボーイに訴えたところフロントと交渉してくれと言われたので、 早速電話をしましたが、到着したのが金曜の夜だったために2日くらいは空き部屋がないということ。
それでもあきらめられず空いたら移動させてもらうように頼み、日曜の朝に海側の6階の部屋に移動しました。
写真の部屋はその6階の部屋です。 それが思っていたよりいい部屋(ご覧の通りのダブルのツイン)になってしまい、 何もこんなにいい部屋でなくてもいいんだけど...嬉しいけどなんだかもったいないなーという感じでした。
海が一望できて日差しがサンサンと降り注ぐ明るい部屋は、夕暮れや真夜中の海をも楽しむことができ、 がんばって部屋替えてもらってよかったーとつくづく思いました。差額は1日20Rで済みました。
これから行かれる方はぜひ海側の部屋を指定してください!どうせ寝るだけだから別にいいなんて言わないで。


部屋の窓から見たイパネマ・ビーチ


BOSSA NOVA
ボサノヴァゆかりの地を訪れる旅...まず最初に行ったのが、歩いて2分くらいの所にあるレストラン。

カフェ・レストラン「ヴェローゾ」の常連客の間で評判だった15歳の美少女 エロイーザ・エネイダ・メネーゼス・パエズ・ピントをモデルに、 やはりその店の常連だったジョビンとヴィニシウスが書いた曲が『GAROTA DE IPANEMA(イパネマの娘)』です。
「ヴェローゾ」はその後、名前を「GAROTA DE IPANEMA」と変えてちゃんと健在しています。
また、その向かいにはボサノヴァのライブスポットとして唯一有名な「VINICIUS DE MORAES BAR」。
私が行った時は1週間に3回しかライブをやっていなくて、チャンスのあった1回を観損なってしまったため それが何よりも心残りです。せっかく来たのに!
ちなみにこれらのお店のある通りの名前はVINICIUS DE MORAES通りというんですよ。
そしてVINICIUS通りにクロスするイパネマ海岸沿いの道Vieira Souto通りは、ジョビンが亡くなったあと Antonio Carlos Jobim通りにかわりましたが、Vieira Souto氏の遺族が苦情を申し立てたとかで わずか数ヵ月でもとに戻ってしまったそうです。でもガレオン空港はジョビン空港になるそうですし。


(左)『イパネマの娘』が生まれたレストランその名も「GAROTA DE IPANEMA」
(右)その向かいにある「VINICIUS DE MORAES BAR」1階はレストラン

すっかり塗り直されて綺麗になった「GAROTA DE IPANEMA」には当時の面影はないでしょうが、 店内にはジョビンのオリジナル譜の大きなものが飾られていたり、その譜面をプリントしたお土産用の Tシャツ(10R)があったりでかなりいい気分です。
また、ここで2回食事をしましたが、ひいきめなしでも味は良かったですよ。 ライススープなどはコンソメ味で日本人好み。
フェイジョアーダも今までいろいろ食べた中で一番おしかったです。 生ビールも軽いのを飲みましたが、苦味が少なくて私にはピッタリでした。
シュハスコは本当にビックリするほど大きい30センチくらいあるぶ厚いステーキが出てきてしまって 困ったなと思いましたが、柔らかくておいしかったです。
食事に関しては今回、いつもメイン1皿とサラダなど1人分を頼んで「2人でわけるから」と言って うまくいきました。だって残してはもったいないし、でも絶対食べられないし。
前述のステーキは2人でももちろん食べきれませんでしたが...


(左)「GAROTA DE IPANEMA」のフェイジョアーダは美味!
(右)店内に飾られたジョビンのオリジナル譜Tシャツと
イパネマ海岸沿いの道路がジョビン通りと名を変えた事を報じるグローボ紙の記事

このレストランを通りすぎてVinicius de Moraes通りをさらに海と反対側に進むと、 数年前にオープンしたボサノヴァ専門店「TOCA DO VINICIUS」があります。
リオといえどもボサノヴァのCDや関連商品がどこのレコード店にも置いてある訳ではありません。
むしろぜんぜんないのです。渋谷のタワレコのような所があるなんて私たちは幸せです!
お店の人に「私はボサノヴァが大好きで日本から来たんです」と言うと、「日本の方がたくさん揃ってるわよね」と 言いながら、これも日本製、これも、これも、あれも...と言って笑いました。
日本が一番充実しているとは本当なんだと改めて実感しました。変なものですね。他国の文化なのに...
実際、ジョビンのCDも日本に限らず他国からの輸入品が多くて、ブラジルではあまりCD化は進めていないのだなと思いました。 でも観光客が入れ替わり立ち替わり入って来ていて、店は繁盛していましたよ。
お店の人も感じのいい人達(家族でやっているらしい?)で、ここの奥さんは私のつたないポルトガル語にも忙しい中 つきあってくれました。日本人はほとんどいないからか、2度目に行った時もちゃんと覚えててくれたし。
ジョアンのCDは全部持っているし、ジョビンのも日本で揃うので、何を買おうかなーと迷った末、 今まで見かけたことのないジョビンのピアノソロ譜1冊とエリゼッチのCD(これは日本でも売ってます)を1枚買いました。 ボサのソングブックも4冊全部揃っていましたが、1冊4000円くらいするし重いので日本で買うことにし、 ボサの流れる店内をうろうろしながら、ここに来てやっと「リオへ来たぞー!」という嬉しさに浸ることができました。
...とジョビンのことばかり書きましたが店名の通り、ここはヴィニシウスがメインのお店。 入り口にはヴィニシウスの大きな写真が飾ってあり、詩が印刷されたカードなども販売していましたよ。


(左)ボサノヴァ専門店「TOCA DO VINICIUS」の前にて
(右)店内にはCDだけでなく、ビデオ、ソングブックなどもたくさん置いてある


(左)壁にはボサにまつわる人々の写真がズラリ!
(右)ジョビンがかつて住んでいたNascimento da Silva 107番地の家

お店を出てVinicius de Moraes通りをさらに海に背を向けて進むと、Nascimento da Silva通りに出ます。 そこを右折してちょっと歩くと、昔ジョビンが住んでいた家があります。
ここはヴィニシウスが「トムへの手紙」という曲で詩に書いた通りの住所で、ジョアンがボサのバチーダを携えて ジョビンを訪ねた時のあの家です。
現在は空き家のようでしたが、壁にはジョビンの家であったことが書かれた黒いプレートが掲げられていました。
このへんまで来ると海辺の喧騒もすべてすーっと何かに吸い込まれたように静かで、まさに高級住宅地。 色々な鳥の声が響き、とてもいい雰囲気です。私の尊敬するアーティストの見た風景を少しでも感じることができて 感無量でした。
それにリオは車の往来が激しく、どこの国もそうですがもの凄い排気ガスだったので、なんだかホッとしました。
リオに来て2日、私は歩いていたりバスを利用していただけですっかり鼻炎になってしまったくらいです。
バスはエアコンバスでないと冷房設備はなく、窓は開けっ放しでガンガン走るし、アイドリングどころか バス同志でも割り込み放題、圧力かけ放題でブォンブォンブォォ〜ン!!どけどけどけーっって感じなのです。 当然ながら真っ黒い煙をまき散らし、あれにはまいりました。
仕方なく途中からタクシー移動に変更。タクシーは冷房がきいていれば窓は開いていないし、何よりバスを止めようとして 沿道に立っているのがつらいんです。タクシーは流しがたくさん走っているので、すぐつかまります。

バスは凄いですよ。乗るよぉぉぉ〜!!と手を振らないと止まってくれません。
バス停は看板がある所とない所(のが多い)があって、時刻表とか関係なしに走っています。
しょっちゅう来るのですが、乗りたいものかどうかを早く認知しないと乗り損ねてしまうんです。
こんな訳で乗りたいバスがなかなか来ないと沿道でずーっと立ってるはめになり、健康に悪い! どうしてみんなは平気なの?

リオでボサノヴァを聴くというのはなかなか難しいことです。 最近では良いショーはリオよりもむしろサンパウロだとも言われます。
日本から持って行ったガイドブックや音楽誌には色々なライブハウスが載っていたので、 その気になればMPBのショーはけっこう観られそうでした。
ただひとつのネックはどこも開演時間が遅いのです。夜の8時なんていい方で10時、11時からなんていうのもあります。 しかも開演は必ず遅れるので、終わると日付がかわっているってことです。
移動はタクシーで行けば安全なようですが、やっぱりちょっと躊躇しますよね。 4〜5人の団体だとか、ブラジル人の親しい友達がいるとか、自分がポルトガル語がペラペラかとかじゃないと やっぱり夜は怖いです。
また、街にレコード店は確かに多いですが、売り上げ1位はU2だったりして、若者向けの音楽市場はどこも同じですね。 ボサはジャズのコーナーの隣に、ほんの少し置いてあるにとどまっていました。
もちろん中古レコード店などを探せば、掘り出しものはたくさんあるのでしょう。 でも私は”ボサが生まれた街を感じたい”というのが何よりの目的だったので、とにかく昼の街をウロウロしていました。
疲れたらホテルにもすぐ帰れるし、窓からは海も見えるし、昼間は窓を全開にして波の音をききながらお茶を飲んだり お昼寝したり。そして夕方、夕飯を食べにまた出かけるというように比較的のんびり滞在しました。
夜も9時頃までにはホテルに帰るように(それなら徒歩でも、人通りの多い道を通ればまだ大丈夫だった)して。 もともと私は朝型人間なので、寝坊してるのってもったいない気がしちゃうんですよね。
夏は日も長いし、夜じゃなくてもリオは充分満喫できますよ。


**第1部-2 リオ編つづき**

**第2部 サルヴァドール編**

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