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自宅や齋藤助産院で出産されたお母さん(お父さん)たちの記念写真と感想の声です。 |
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私の出産は、出産前日の午前3時半の夢からスタートしました。夢の中で、たくさんの白い動物を連れたお医者さんが、何も書いてないんですが契約書と思われるものを持ってきて、「産みますか?産みませんか?」という質問をされたので、「産みます」と答えると、ハンコをかってに押して、去っていくか行かないかの間に、破水が始まったところからスタートしました。朝になってから、まだ全然陣痛が弱いので、犬と一緒に里山公園に散歩へ行ったり、部屋でのんびり過ごしたりしました。最初は夫がずっと寝たっきりだったので、頼りになるのか心配だったのですが、いざ陣痛が始まると、心強くいろいろ手伝ってくれたので、想像以上に助かりました。出産自体は、皆さんが言うように、想像を絶する痛みと、想像を絶する永さだったので、途中、体力が消耗して、寝てしまったりだったのですが、とても思い出に残るような出産ができて、120パーセント満足した出産が出来たと思います。赤ちゃんは、不思議な夢を見たからでしょうか、不思議な子どもが生まれてきて、生まれたそばから喋りはじめたので、ちょっとびっくりしましたが、今はすっかり元通りになってしまいました。とても大きい子だったので、その後は楽です。また二人目を産みたいと思うのは不思議ですけど、あの痛みを乗り越えて、二人目もここで頑張って産みたいと思います。 (助産院 2004年1月) |
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今回は、2回目のお産だったんですが、とても大変でした。1回目が安産だったので、今回も簡単に生まれるかと思ったのに、全然生まれませんでした。最後の30分は、大絶叫でした。あまり最初が安産なのも良くないかなと思いました。父がいるはずだったのに、父もいなかったし、へその緒も、結局、自分で切るはめになりました。でも、またここでお産できたことは良かったと思っています。間違いが無ければ、3回目は、多分、もう、ありません。 (助産院 2004年1月) |
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齋藤さんのところでお世話になるのは、今回で2度目で、上の息子が、今2歳3ヶ月になります。2回目なので、きっとスポーンと生まれるんじゃないかと期待して、痛いのはすっかり忘れて、楽しみにしていたんですけど........実際はかなり痛くて、時間はここに来てから3時間くらいで生まれたんですけど、「あっ!忘れてた、この痛みを!ダマされたー!」という感じで、2回目だから楽だという感じではなかったですネ。もう、今日退院するんですけど、その痛みをすっかり忘れて、また間隔を空けて、3人目を欲しいなと思っています。 (助産院 2004年1月) |
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この子が生まれるのに、たくさんの人の応援、手助けがあったことを、私達3人はこれからもずっと忘れないし、忘れてはいけないと思います。陣痛の間隔が、狭まったり、遠のいたりで、三日三晩という長いお産になってしまい、齋藤さんはじめとするMidwifeの皆様には、本当に御苦労をおかけしたことと思います。そんな訳なので、妻はこの子を、自分が「産んだ」というよりも、「授かった」という気の方がしてならないのです。こんな感じのお産だったとか、感想を持つのも、はなはだ失礼な気がします。だけど、齋藤さん宅でお産に臨めて、本当に良かったということだけは、心から、身体から、感じています。本当にありがとうございました。いくら感謝しても、したりないくらいです。これからは、家族で力を合わせてがんばります。最後に、食事の内容で気を使っていただき、すみませんでした。夫は、おいしい夕食をかなり当てにしていたみたいです。 (助産院 2004年1月) |
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私は、予定日が12月26日だったのですが、なかなか生まれなくて、「自宅で産めるか〜?」という状態になって、とりあえず病院で検診をしてもらうことになりました。私は、はじめから自宅出産が希望で、どうしても自宅で産みたいと思っていて、必死に、歩いたり、スクワットしたり、全身筋肉痛になるまで、がんばりました。その結果、赤ちゃんに気持ちが伝わったのか、無事に、42週0日で、産むことができました。陣痛は、激しい腰の痛みとか、お腹の痛みが、だんだん強くなるにつれて、何度も助産婦さんに教わって練習したのに、冷静でいられなくなりました。助産婦さんが、早くから来てくださって、本当に嬉しかったです。たぶん、助産婦さんが居てくださらなかったら、精神障害みたいに、何がなんだか分からなくなって、叫び声をあげていたと思います。ちょっと気を抜くと、おかしくなってしまうような状態のなかで、何とか、冷静に、呼吸法を出来たのは、助産婦さんが、ずーっと付いていてくれたおかげです。助産婦さんは、一分一秒でも離れて欲しくないと思って、その間、ずーっとずーっと、腰をさすっててくれました。病院だと、やっぱり、自分や家族で耐えなければいけないところで、ずーっと傍で、さすっててくれたのは、すごく私にとって、心強い支えでした。赤ちゃんが、だんだん下にさがって来て、いよいよ生まれるというときになって、背中や腰の痛みも、かなりピークになっていたんですが、何とか冷静に考えていられたのは、助産婦さんが、的確に、常に、話しかけてくれたからです。必死に頭の中で、「次は何をする」とか、「今、赤ちゃんが降りてきてるんだ」とか想像して、(産むことが)できました。育児に関しては、赤ちゃんが生まれてからの日々は、とても楽しかったです。母乳はすごく大量に出て、赤ちゃんは上手に良く吸ってくれたし、おむつとおっぱい以外、ほとんど泣かなくて、夜も2回ぐらいしか起きなくて、本当に良い子でいてくれたので、新米の母としては、すごく助かりました。そのおかげで、赤ちゃんを毎日毎日見ていると、色んな顔をして、すごく「かわいいなー」と思って、育児をすることができました。これから、どんどん大きくなって行くと思うけど、産むときの痛みとか、お腹にいるときからずーっと一緒に頑張ってくれていた、赤ちゃんのことを、思い出して、一生懸命に育てて行きたいと思います。 (自宅 2004年1月) |
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今回、始めて、妊娠から出産までを経験しました。齋藤助産院の方々には、短期間でたくさんのことを教えていただき、九ヶ月に入っていた私も、安心して臨月を迎えられました。出産はどんな痛みなのか等、いろいろ不安でしたが、井本さん、金子さんのご指導と、主人と、友だちの励ましで、乗り越えることが出来ました。今は、出産して一ヶ月経ちましたが、こちらで出産して本当に良かったと、主人とも話しています。本当にありがとうございました。二人目も、是非お願いしたいと思っています。 (自宅 2004年1月) |
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(ママ)私は、予定日より2日遅い、1月17日の午後3時7分に、出産しました。家族の立ち会い出産で、自宅で出産しました。一番上のお姉ちゃんが、剣道の遠征で居なかったのですが、あとのみんなで頑張りました。齋藤助産院を選んだ理由は、うまく言えば、「私らしい出産」ということで選んだのですが、なかなか決心が、産むまでつかなくて、本当に最後の最後まで、どんなものなのか分からずに、そのまま進むような感じでした。赤ちゃんの名前は彩雪(さゆき)といいます。女の子なんですが、雪の日に生まれたので、彩雪と付けました。突然の雪だったので、齋藤先生が来れるかどうか、本当に心配だったのですが、来れるようになったので、すごく良かったと思っています。本当に自宅出産で良かったと思います。 (パパ)妻と二人で良く話し、子供とも話した結果、自宅出産を選びました。自分が、齋藤先生と、家族みんなで、赤ちゃんを出すところを、自分も良く見て、出て来た瞬間、自分は、助産院の齋藤先生と井本先生で、一生懸命、出したところを、自分もやりました。4人目の赤ちゃんとして、自宅出産を選んだのは、すごく良いことだと思い、一番の思い出となります。 (自宅 2004年1月) |
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(パパ)(録音が)始まっているよ!入っていまーす。 (ママ)念願の自宅出産が出来たので、すごく良かったです。心配していたおっぱいも、問題なくいっているので、一ヶ月経ちましたけど、いろいろと、楽しいなと思うことの方が多いです。もし、三人目もあったら、こちらでお願いしたいと思います。すごい好いお産が出来て、嬉しいです。ありがとうございました。(パパは録音を)入れないの? (パパ)うん、いいよ。 (自宅 2004年1月) |
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2003年12月 |
2004年2月 |