「選択的聴取」という聴き方
包み込む音/拡散・融合する音
アンビエントに関わる、よくあるひとつの問い。
■アンビエント・ミュージックは、ある環境を作って、リスナーを
取り囲むアンビエンス*になる音楽なのか。(下図左)
つまり、膜を張りリスナーを騒音から守る音楽なのだろうか。
*名詞 'ambience'は、ここでは取り囲むもの、
つまり環境それ自体の意味で使っている。
■聴き手が置かれた環境にすでに存在する音をも包含して融合する、
開かれた半透膜の音楽を意味するのか?(下図右)
概念図は下の通り。アンビエント(かもしれない)音楽と、それを
聴く空間、そして環境に存在する音との関係を表わしている。
リスニング・スペースのフレーム
環境音
アンビエント・ミュージック
ここでいつもアンビエントが分からなくなるのだけれど、イーノが
繰り返し説明する言葉が、解答のひとつ、あるいはそのヒントにな
るかもしれない。
選択的聴取
ブライアン・イーノのセクションで何度も触れたことだけれど、
「選択的聴取」がそれである。
○リスナーの、その音楽への興味の度合
○リスナーの集中度
(音楽を聴こうとしているのか、他のことをしているのか)
○リスナーがいる環境に存在する音と、音楽との関係
(音量の力学関係など)
これらのパラメータをあらかじめ考慮して、広範な条件に対応する
音楽を、イーノは目指した。
例えばイーノはアルバム『オン・ランド』で、自然環境音を取り入
れ、そこにエフェクトを加えてそれぞれの曲が固有のサウンドスケー
プ(音環境)を作り出している。しかしこのディスクを、普通そう
であるように音楽以外の音が存在する場所で、音量を絞って流し、
リスナーが特にその音楽に注意を払っていなければ、音楽の中で目
立った音だけが断片的に聞き取られる、という可能性がある。いや、
それが当り前だとさえ言えるだろう。つまり、疑似的な環境を音楽
が用意したとしても、外的環境音のほうが目立つということ。その
場合、アンビエントの意味はどこにあるのだろうか。「聴かれない
アンビエント」、その存在意義は?
アンビエントの王道?
大切なことは、それらリスナーとその環境という変数を踏まえた上
で様々な状況に対応しうる音楽を、という明確なコンセプトのもと
にイーノのアンビエントは制作されてきたということだ。つまり、
「選択的聴取を強制」する(時には無視せよ!)などという矛盾で
はなく、(アンビエントとは聞き流さなければならないのではない)
選択的聴取の「可能性」を示すにとどめるという幅の持たせ方をし
たということが、ポイントになるのだろう
で、そういった音楽を指向するための手法としては、
○ある程度以上の持続時間を持った
○ほぼ均質なトーンの
○刺激的でない
○変化が緩やかで
○全体として柔らかな響きの
そして、
○特定のフォーカス(聴く対象、音像)を持たない不定形の
あるいはまた、
○等しい関係性にある複数のフォーカスを持った
音楽を作るということになるだろうか。つまりこれは、「アンビエ
ント」と現在呼んだ場合の最も一般的イメージに近いものである。
上のような特徴を持たせた響きは、まさにディスクリート* な音楽
であるのだから。
* ブライアン・イーノ『ディスクリート・ミュージック』。
"discreet" とは「控えめな」の意。
それなら何でもアンビエント?
選択的に、ところどころ聴くのはイーノに限らない。どんな音楽で
もそうなることは当然だ。例えばレンジの広い誰のでもいい、交響
曲があったとして、リスナーの環境にはほぼ一定のノイズがあると、
フォルテ以上の部分だけが聞こえてくる。イーノの使った言葉で言
えば「氷山の海面に出ている部分」のような聴きかただ。これは音
楽の展開の一部を聴くことであって、音楽鑑賞としては不完全なも
のに終わってしまう。
一方イーノのアンビエントは、音量とトーンが共にが均質であるた
めに、フォルテの部分だけ聞こえるのではなく、環境音のレベルの
変化にしたがって聞こえたり聞こえなかったりする。つまり、どこ
を聴いても(一聴しただけでは)同じに聴こえる音楽だからこうな
る。
そして、初めも終わりもない音楽*なのだから、どこを聴きたいと
いうことも特にないということになる。
*イーノは実際に、レコードやCDのフォーマット以上の長さを持
つマスター音源から切り取ってディスクに収録することを行ってい
る。
ある音楽を始めから終わりまで、ピアニシモも漏らさず真剣に聴き
たいのなら、環境音との融合などしてほしくない。そして従来の音
楽自体が、そう聴かれたいという前提のものだった(これを『音楽
鑑賞』と呼ぶ)。そこへ出てきた新しい音楽のありかたのひとつが
アンビエントであって、それは特にイーノのディスクで顕著な傾向
なのだが、どこを聴いても聴かなくても大した違いはなく、周囲の
音にかぶっても問題ではないという音楽の姿だ。上に述べたパラメー
タが現実に存在する以上、どんな音楽も選択的に聴かれる可能性を
持っている。
アンビエントは、その可能性を肯定して、そんな聴取のありかたを
積極的に提示している。これがアンビエントの持つポテンシャルな
のだろう。控えめな可能性だが。
さて最後に、非常に優れたアンビエント・アルバムは、選択される
ことを本質としていながら、静かな部屋でしっかり「鑑賞」されて
しまうという、贅沢で芸術的なジレンマを残していることも付け加
えておきたい。
どんな音楽も選択的に聴かれるが、アンビエントも一方で、深く聴
かれるという逆転である。
■ 関連記事 「魅力的なアンビエント、という問題」はこちら。
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