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映画が始まった。画面に映し出されたのは、フリル付きの白い服に、白い傘を差した少女…。 法衣やチャイナ服を身にまとった彼女を見慣れている我々にとって、それはあまりにも鮮烈な映像だった。 『老少五個半』。それはキョンシーブームの余韻も残る1989年に制作され、我が国では日の目を見る事なく時代の狭間へと消えていった、テンテン唯一の現代劇。13年の歳月を経た今、我々はついにあの『新十二生肖』以上の幻と言われた本作に辿り着いた。だがその道のりは決して平坦なものではなかった。 |
やけに梅雨冷えのするある日の早朝、私は一本の電話で起こされた。まだ夜も明けきらない、電話をかけて来るにはあまりにも非常識な時間帯である。枕元の携帯を取って通話ボタンを押すと、聞こえて来たのは聞き慣れた声だった。HKSARさんはその卓越した中国語力を活かし、2年以上前からネット上のテンテン、キョンシーシーンで何度もスクープを掴んで来た。当時は仕事の関係上香港に在住していたが、現在はすでに帰任し、都内で会う機会も多くなった。彼がこんな時間に電話して来るとは、ただごとではない。私は半分寝ぼけながらも、それだけは瞬時に判断できた。果たして淡々と話し始めた彼の口調とは裏腹に、その内容は私の眠気を瞬時に吹き飛ばすに十分なものだった。
「老少五個半が関東で見つかった…」
テンテン主演映画『新十二生肖』が発掘されたのは記憶に新しい。それまで『燃えよテンテン戦え!十二支の大冒険』という邦題だけは明らかにされていたが、誰も目にした事がなかった幻の作品。決め手となったのは台湾のテンテンファンであるAaronくんからの情報提供により、原題が『新十二生肖』と明らかになった事で、その情報を元に私はアメリカでの発掘に成功した(詳細特集)。これにより、まだ見ぬテンテン主演作品は『老少五個半』ただ一本だけとなり、テンテンシーンに残された最後にして最大の謎となったのである。
順を追って説明しよう。テンテンのデビューCDである『ベートーベンだねRock'n'Roll』の歌詞カードの下の部分に、テンテンの最新作品として、『燃えよテンテン戦え!十二支の大冒険』と、もう一つ『見えますか、心の絆』なるタイトルが記されている。『燃えよテンテン〜』については当時(1990年頃)からその存在は知っていたのだが、この『見えますか、心の絆』については何の情報もなく、完全に謎のベールに包まれていた。
私がこのHPを開設して数ヶ月が経った頃、読者の方が情報提供のメールをくださった。昔テンテンが来日してイベントを行った際に、会場で『テンテン主演!自閉症の少女5と1/2』という映画関連のグッズを買ったとの内容だった。なるほど、タイトルはまったく違うがこれがあの『見えますか、心の絆』と同一である事は直感した。しかし依然として謎のベールに包まれている事には何の変わりもない。タイトルからしてキョンシーなどのアクション作品とは関係なさそうだし、『幽幻的写真回憶録』のLEONさんと都内で会合を持った際も、何度も話題に上ったが、結局は二人で首を傾げるだけに終わった。
イベント風景の珍しい写真。90年に撮られたもの |
右隅の女の子の手元を拡大。映画のグッズだ |
『老少五個半』が関東にあった。HKSARさんは辛うじて平静さを保っているようだった。ここ1年半はネット上で主だった活動はしていない彼だが、水面下ではずっとこの映画の発掘に全力を注いで来た。言葉の壁を乗り越え、独自の情報網を構築している彼が調べ上げたところによると、関東のとある台湾関連の資料館に、『老少五個半』が16mmフィルムの状態で保存されており、貸し出しも行っているという。時間は午前4時を回ったところ。新聞配達が朝刊を届ける音が聞こえた。
私は布団から飛び起き、インターネットに接続した。メディアが16mmフィルムとなると、ビデオのように簡単には見る事が出来ない。高価な映写機が必要だし、専門的な知識がないとフィルムを回す事も出来ない。なんとか見る方法がないかとインターネットを使って模索したところ、
16mmフィルムを見れる施設は公民館、図書館、社会福祉施設、映画館や劇場など、様々ある。私はそれらの施設の営業開始時間を待って、片っ端から電話をかけまくった。それ以外にも16mmを見る方法を模索し続け、結局この日は休日だった事もあり、一日を情報収集に費やした。
翌日、私とHKSARさんはあらゆるスケジュールをキャンセルし、一路資料館へ向かった。我々にとって『老少五個半』の発掘は何を置いても優先されるべきものだからだ。電車に揺られ、資料館まで辿り着くと、早速1階のカウンターで『老少五個半』のタイトルを告げ、貸し出しを申し入れた。日本語の流暢な台湾人女性が応対してくれた。しばらく待っていると、別のフロアから紺色の大きなケースが運ばれて来た。そこに貼られていたのは、褪せた色が年代を物語ってはいるが、紛れもなく「老少五個半」と印字されたラベルだった。探し続け、ようやく見つけたフィルムを前に、我々はしばらく言葉を失った。
身分証の提示や申請書類への記入などの手続きを進めていると、「誰がフィルムを回すのか?どこで上映するのか?営利目的か?」などの質問を受けた。個人で16mmフィルムを借り入れる例はほとんど無いらしく、また16mmは基本的に映写技師の訓練を受け、資格を持っている者が回す事になっているため、少しけげんな顔をされた。しかし我々は正直に「個人的に鑑賞するもので、まだいくつか候補を挙げている段階だが、専門の業者に映写してもらおうと思っている」と話し、後日映写技師の詳細を連絡する事を約束すると、フィルムケースを抱え資料館を後にした。
初めて持った16mmフィルムの重さ。ズシリと来る。その頑丈なケースを開いてみると、直径約40cm大のフィルムが2本入っていた。ビデオ、VCD、DVDなど多くの映像メディアが氾濫する中、まさか『老少五個半』が16mmフィルムで見つかるとは思いもよらなかった。ケースラベルには、フィルムのシリアルナンバーもしっかり記されている。このへんがビデオソフトなどとは明らかに違う。それにしても重い。16mmフィルムとは、こんなにも大きく、そして重いものだったのか。だがそれほど苦に感じなかったのは、ついに念願の作品を手にした喜びと、早く見てみたいという欲求のほうが強かったからだろう。私とHKSARさんで相談した結果、いくつかある候補の中から都内にある映画会社へフィルムを持ち込む事に決まった。早速電話をかけてアポイントを取ると、すぐにまた重いフィルムを抱えて電車に飛び乗った。小一時間ほど電車に乗っただろうか。最寄り駅からさらに15分ほど歩くと、目的地のビルが見えて来た。
担当者の方としばし相談する。我々が16mmフィルムを見るには、いくつかの方法がある。せっかくフィルムの状態で入手したのだから、ぜひとも一度大きなスクリーンに映写し、ビデオでは感じられないフィルムの質感も味わいたい。だが現段階では費用の問題もあり、フィルム内容をビデオテープに変換する方法を選択した。
しかしここでまた大きな問題に直面した。「このフィルムは個人の所有物ですか?他人のフィルムを無断でビデオへ変換すると、所有者の権利を侵害する危険性が高いので、先方の同意書が絶対に必要です」。予想はしていた。自分の物だと嘘をつくのは簡単だが、フィルムにはシリアルナンバーも打たれているのですぐにバレるだろう。なにせ相手はこの道のプロフェッショナルである。我々は借り入れたものだと正直に話し、この日は一旦フィルムを預けて映画会社を後にした。所有者の同意とは言っても、資料館が個人相手にそのような同意をしてくれるかなどまったくの未知数。映画のフィルムを手にしてからも、容赦なく立ちはだかる難関に、我々は頭を抱えた。映画を見たいという沸き上がる熱意はファンなら誰もが持っているだろうし、私もその一念でこれまであらゆる手段を講じ『新十二生肖』の発掘や現地ドラマの入手などに心血を注いで来た。しかし今回は話の次元がまったく違う。権利侵害という社会通念の問題がついて回る以上、そんな感情論など何の役にも立たないどころか、逆に足かせにすらなりかねない。必要なのは正式な同意を得るための然るべき手順とは何か、そしてそれをどのように乗り越えるかを考える事である。どうすれば先方の権益を侵害せず、迷惑をかけず、そして交渉をスムーズかつ有利に行えるか。私とHKSARさんはミーティングを重ね、とことん検討した。権利問題の関連書籍にも目を通した。特に我々は、決定打に欠ける事でいたずらに交渉が長引き、たとえわずかでも信頼を失う事だけは避けたかった。一発勝負しかないと見た我々はあらゆるケースに対応できるよう、同意書の書式、無断複製を行わないという誓約書、変換作業を依頼する映画会社のデータなど、交渉の場で必要となり得る書類をすべて揃えた。
「フィルムを回してもらう業者が決まりましたので、ご報告に参りました」。我々は再度資料館まで足を運び、まずはそう切り出しておいてから本題に入った。
…それからどれぐらいの時間が経っただろうか。門を出た時、我々は朱印が押された同意書を手にしていた。万全の準備をしておいたおかげで、心に余裕を持って交渉に臨む事もでき、最大の難関はなんとかクリアした。我々は取り急ぎ映画会社へ同意書をFAXしたのち、電話にて作業を開始してもらうようお願いした。あとは映画会社の作業が終わるのを待つだけだった。
それから2日経ったある日の昼下がり、仕事場にいた私の携帯が鳴った。映画会社からだ。作業終了の連絡かと思いきや、事はなかなか順調には運んでくれなかった。話によると作業中に機材が故障し、いつ直るかもはっきりしないのだと言う。思いがけず足踏み状態となってしまったが、もうこうなったらじっと待つより他ない。この期間がどれだけ長く感じただろうか。資料館へはHKSARさんが事情を説明し、フィルム貸し出し期間の延長を申し出てくれた。2週間が過ぎた頃、ついに映画会社から作業完了の連絡が届いた。さっそく我々は時間を調整し、翌日受け取りに行く事になった。
次の日の夕方、電車を乗り継ぎ映画会社を訪れると、預けておいた16mmフィルムと、ビデオテープを手渡された。待ちに待っただけに喜びもひとしおである。映画会社の方は作業が長引いてしまった事を我々に詫びると共に「テープの内容を確認しますか?」と聞いてきた。我々はビデオとモニタのある一室に通された。ソファーに腰掛けモニタを凝視する私とHKSARさん。映画が始まった。画面に映し出されたのは、フリル付きの白い服に、白い傘を差した少女だった。
テンテンが演じるのは自閉症の少女イーイー。彼女の持つ白い傘も、この映画のもう一人の主人公と言えるかも知れない。 | |
ジャッキー映画や霊幻道士シリーズにも名を連ね、その多才ぶりを発揮する香港映画界不動の重鎮、午馬(ウー・マ)氏が出演。老人役を熱演している。 | |
この映画では学校でテストを受ける場面や台北の市街地を駆け抜ける場面など、キョンシーシリーズでは絶対に見られないシーンの連発である。 | |
イーイーが自閉症になったのは、両親の教育方針に問題があったようだ。 | |
若者たちと生活を共にしていくうち、イーイーは明るい女の子へと変わって行く。 | |
サングラスをかけたテンテンが見れるのも、この映画ならでは。 | |
キョンシーなどのアクション映画とはひと味違う青春モノ。彼女の現代劇をもっと見てみたかった。 | |
髪型や衣装も変化に富んでいる。テンテンとはまるで違うイーイーという少女を演じきり、役者としての幅も見せつけた。 |
民國77年(1988年)台湾電影年鑑より |
(文責:ダーク三世)
一人の少女がいた。白い傘を差していた。その表情に笑顔はなかった。 老人が退院し、また大勢で囲む食卓。イーイーはすいとんを懸命に掻き込み、みんなの和やかで平穏な笑いを誘った。バンドの新しいオーディションを申し込む際、彼女はピアノの担当として正式にメンバーに加わることとなった。新しいバンドの結成である。バンド名はイーイーの考えた「ファイブ・アンド・ア・ハーフ」(五と二分の一)に決まった。元のメンバーと老人で5人、そして自分が二分の一であることを指している。一方この頃、イーイーの両親はまたもや必死に彼女の捜索に明け暮れるハメとなっていた。 自信満々で応募したオーディションのオリジナル曲が全て落選していた。メンバーは限界を感じながらやりきれない気持ちを爆発させた。しかしある日偶然ラジオから聞こえて来たのは彼らの曲だった。レコード会社が盗作したものだった。身も心もズタズタにされたメンバーだが、紆余曲折を経ながらも何とか結束し、バンドのコンテストに出場して優勝すると誓い合った。 その一方で警察によるイーイーの捜索も進んでいたため、やはりイーイーは親元へ帰すべきではないかと老人と若者たちも再度検討した。しかし彼女の意思は固く、家へ帰る事を拒否し、コンテストで歌いたいと強く望んだ。老人が出頭している間に彼女はメンバーと一緒に他の場所へ身を隠したが、捜査の手はすでに老人の家まで及んでいた。突然連絡がつかなくなった事を心配した彼らは、老人の家へ様子を伺いに戻って来た。イーイーは老人の背後に両親と警察がいるのを目にすると、周囲の制止を振り切り必死に走って逃げた。逃げる途中、彼女は足をすべらせ橋から湖に落ちてしまう。助けようと無我夢中で飛び込んだ老人も、発作を起こしてしまった。2人は若者たちによって助け出されたが、老人は意識不明の重体、イーイーは警察に保護された。 イーイーに対し執拗な取り調べをする警察と相変わらずの母親だったが、身をなげうって救出に飛び込んでいった老人の姿と、すでに自分を取り戻していたイーイーに、両親の誤解が解けるのは時間の問題だった。意識が戻った老人の病室に、イーイーと共に見舞いに訪れた両親は、これまでの非礼を謝罪すると同時に、彼女の希望通りメンバーの一員としてコンテストへ出場させてほしいと頭を下げた。「きっと優勝するから!」そう約束して病室を飛び出し、会場へと向かったメンバーたち。トップクラスのバンドが全国から集結したコンテスト、その戦いはハイレベルなものとなっていた。そんな中でファイブ・アンド・ア・ハーフはオリジナル曲『未來的自己』(未来の自分)を堂々と歌い上げ、見事グランプリに輝いた。優勝カップと、レコード会社との3年契約を手にした彼らがアンコールに応えて『年輕是我們的名字』(若さは僕らの呼び名)を熱唱。その最中、老人も看護婦に車椅子を押されステージのすぐ下へとやって来た。老人は栄光を勝ち取った若者たちの晴れ晴れしく自信に満ちた姿に目を細め、演奏を最後まで見届けると、静かに息を引き取った。 老人の墓は景色の良い郊外に立てられた。墓前に花をたむけるイーイーと若者たち。「さあもう遅いから帰りましょう」。イーイーの母に促され、メンバーたちは名残惜しそうにその場を後にする。その時、にわかに強い雨が降り出した。希望を胸に、人生の再スタートを切ったイーイーに対する、老人の素直な嬉し涙であろうか。イーイーは振り返り、再び墓へ歩み寄ると、手にしていたあの白い傘を広げ、老人の墓石の上にそっと差してやった。誰よりも優しかったあの老人が、風邪を引かないように…。(劇終) |
(02.8.1)