オークの最後の一匹の腹に深々と刺さっていた長剣をずるりと引き抜いて戦士は息をつく。
山間の裏街道は昔は街と街を繋ぐには良い距離短縮の道ではあったのだが、数年前の崖崩れの後整備をされずただの獣道へと還りかけていた。今となっては誰も使わなくなっているその場所に、大量のオークと人の死骸が転がっていた。
「で……? 出て来いよ」
散乱している荷物の陰に向かって声をかけた戦士に、暫しの間の後ごそごそと布を被った夜祭の幽霊が這い出してくる。
「ほ、他の人は……?」
「全滅。墓を作る時間もないから俺立ち去るけど、残るか?」
仮想世界の住民は二種類。ゲヘナに準備された怪物とNPC、それとプレイヤーの演じるPC。システムの負荷になる為か肉や素材などを剥ぎ取るだけの時間を経た怪物とNPCは自然消滅をするが、PCはそれより長い時間を掛けて朽ち果てていく。死んだPCのアイテムを回収する為に即座に新PCを作成して回収しようとする者もいれば友人PCを弔うプレイをする者もいる…いや多い。だが戦士はわざわざ時間を掛ける手間を選ばなかった。
「……。連れていって」
旅の仲間を弔わない選択を選んだ幽霊に、戦士は軽く眉をあげる。人生のやり直し的なプレイではなかなか出来ない選択なのだが、と思う戦士にずるずると裾を引き摺りながら歩み出た幽霊が被っていた布を落とす。長い褐色の髪に赤い露出過多の衣装。金色の宝飾品を身に纏っている姿は血生臭い場には不似合いだった。――これならば確かにPCに情を移さないかもしれない。そしてこれがPCを弔わない意味が判らない。
「パメラか」
太陽の巫女。口の悪いNPC。ただの踊り子とは異なる存在に、戦士は肩を竦めた。
「いい馬に乗っているのね」
惨劇の山から馬で半日。小さな宿についた戦士にそのままついてきたパメラは当然の様に飲み食いをし、そしてベッドに転がった。湯を用意してくれる宿は街に限り小さな宿では桶一杯の水を出してくれれば上々である。それが判っているから到着前に川で身体を洗っておいた戦士は椅子に腰かけて刀を磨く。
「……」
「無口。この世界だと皆結構話したり自己主張あるのにね。暗殺者でも腹黒政治家でも酒場のマスターでも結構あたしと出会うと喜んでくれるのに殆ど無視ってある意味新鮮」
ころんとベッドの上で転がる踊り子に戦士は肩を竦める。
「踊り子、嫌い?」
ベッドの上でずいと身を乗り出してきた踊り子を疎ましさを隠さずに一瞥した後、戦士はまた剣を磨き出す。むーと唸った後、不意に踊り子の手に酒瓶と陶器のジョッキが現れる。
「取り敢えず飲も?お礼せずにはいられないって言うか存在意義と言うか幸せを齎さずにはいられないのよねあたしとしては」
器用に指先でぽんと封を外した酒瓶から漂う上質な酒の匂いに、戦士は大きく息を吐いた。
太陽の巫女と言う話は何処に行った。
濃い酒精にとろりと溶けそうな意識に、部屋にいつの間にか漂っている悩ましい甘い匂い。王都の高級娼婦の宿の様な爛れた空気が小さな宿の一室に漂っている。
「でねでね、あたしがあの場所に残ってもどうにもならないのよー」
無尽蔵に酒が湧き出る瓶を抱えてけらけらと笑う踊り子が一方的に話していた。その情報量はかなり豊富で戦士としては有難い。北方の海賊から南の砂漠までありとあらゆる国を旅している存在による情報開示はギルドで聞くよりも警戒心が薄く、そして多岐に亘っている。恐らくこれからの行動に関わってくる情報を引き出していた戦士は、気付けば黙っている踊り子にちらりと視線を向けた。
「ねぇ、何であたしに興味もたないの?男色家?中古嫌い?」
「……」
「でも実はしっかり新品なのよー笑っちゃうでしょ、一人の冒険に連れ添ってる間は経験値積めるのに冒険が終わるとぱーっと飛ばされて処女なのよーだから今回も皆死んであんたに会った時にはリセット済。処女よーお得よー面倒臭いって人も多いけど」
NPCらしい話と明るい口調に戦士はジョッキの酒をぐいと煽る。NPCと言う存在はPCに近い様でいて異なる。笑っている様でいて笑っていない、泣いている様で泣いていない。全てゲヘナに用意された反応をするだけの架空の存在。それは今まで斬りあってきたPC達と比べて色褪せていると感じるのは間違いではない筈である。
「でもね、あたしNPCじゃないのよ」ザザザ…ッと不意に世界にノイズがはしる。自分が、部屋が、目の前の踊り子の泣き笑いが、荒い粒子にブレる。「ずっと グアウ 出 ない人 なの。酷い でしょ 、みん ありがた るけど たし として おぼ る いな の」
気が付けば踊り子は戦士の股間に顔を埋めていた。質の悪い蝋燭が燃える音が小さく鳴る中、踊り子が肉槍を美味しそうに舐る。うら若い太陽の巫女に相応しくない練れた舌使いが幹を執拗に這い回り、じゅぷじゅぷと淫猥な音が鳴り響く。
何かを忘れた気がする。だが何なのかを思い出せない。一か月いや一日、そうですらないほんの少し前の事だった気がする。酷く不快な物事だった気がしたが、思い浮かぶものがない。
軽く顔を戻して傘だけを咥えるその口内で鈴口が舌先で捏ね回される。戦士を見上げる踊り子の顔が嫣然と笑うが、蝋燭の灯でその表情は何処か人形か何かの作り物の様に見える…NPCなのだから当然なのかもしれない。それなのに宿に着くまでに感じていた疎ましさが何故かなくなっている。まるでPCの様にそこに存在している気が、した。
踊り子の身体を引き起こし、戦士はベッドの上で組み伏す。現実世界でも未経験だったが知識だけは若干ある…そしてこの世界での意識はパラメータに左右され堪える事も行動も数段マシになっていた。激しく身体を弄りあい唇を貪る戦士の鼻腔に甘ったるい香が押し寄せてくる。べったりと絡み付いてくる油っぽい南の果実の匂い。何年も何十年もこの世界に同じ姿で存在し続けている踊り子の身体に戦士は手を這わせ、乳房を揉みしだく。黙っていれば優美な唇が、膣口に指を潜り込ませた瞬間、悩ましく歌う様に開き、白い歯と赤い舌が蝋燭の灯を反射する、くちょっくちょっと軽い音を立てている蜜壺を優しくほぐす様に指を前後に動かすと甘えているみたいに身体を戦士へと摺り寄せてくる。傷だらけで硬い男の身体に絡み付く、柔らかな身体。じじじっと蝋燭の燃える音の中、壁に身悶える女とそれを受け止め追い立てる男の影が揺れる。
「憶えていて、あたしの事」
忘れ様のない有名NPCが囁きかけてくる。
脚絆を脱いだ男の上に跨り、ゆっくりと腰を下ろしていく踊り子が埋もれていく肉槍にびくりと身を震わせ、そして一気に膣奥まで受け入れた。窮屈な管に填まった様な圧迫感よりも相手の体温の生々しさに呼吸が詰まる。まるで乳児が母親に抱き締められた様な、胎児になった様な、無防備で脆弱な、だが酷く優しい熱量。戦士は踊り子の身体を抱え弄り突き上げながら抽挿を繰り返す。女の奥から生み出されて、今度は女を貫いて犯す。酷く原始的な誕生と生殖を一突き毎に再現する、それは寄せては返す海の波に似ていた。破瓜の鮮血が愛液と精液に交じり宿の安いベッドのシーツに染みをつくる。
一晩限りの女との情交の最中なのだから嘘の一つや二つは言ってやればいいのは判る。だが、これは言ってはいけない気がした。
己の分身を散々舐めしゃぶった口を舌で掻き混ぜながら、戦士は踊り子を荒々しく抱き締める。互いの腰が激しく動き、ぐちゅぐちゅと結合部から泡だった潤滑液が溢れ出る。どうして縋る様な瞳をして踊り子が抱かれているのか、知らないまま戦士は激しく抱き締め、そして精を放つ。
「お願い、忘れないで」
何度もそう哀願されたが、何故か、気休めの言葉が出て来ない。
翌朝目が覚めると既に踊り子の姿はなかった。二人並んで横になっていたベッドの麦わらは確かに女の形の窪みを残していたが、そこに温もりはない。
「そうか…飛ばされたか」
ぽつりと呟いた後、戦士は自分の言葉に首を傾げた。何がどう飛ぶのか。そもそも飛ぶとは何かが判らない。
偶然NPCと出会い一夜楽しんだ、それだけの記憶があるが何処かしっくりこない。
蝋燭はとうに燃え尽き、朝日の差し込む部屋は戦士の日常としては起床としては遅い。安普請な宿の階下から漂ってくるスープの匂いは野菜の切れ端と肉の欠片だけの粗末な具を連想させるものだったが、そのありきたりな庶民暮らしが不思議と今朝は胸に沁みる。
これから表街道には出ず只管裏道を進んで三日、遊撃部隊の進軍経路の確認はまだ途中だった。今の所多少は問題があるが平和慣れした王国への強襲には使えるだろう。――そうなれば、あと半月も待たず戦が始まり、そして王国は滅びる。昨日の連中は全員死んでいたのは正直助かった…もし存命ならば自分がとどめを刺しておかねばならない所だった。
随分と血に汚れている自分に嗤いながら、戦士はシーツの上の冷えた窪みを撫でる。
何故だろう、NPCの泣き顔が脳裏を離れない。
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126『弟の視線』
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