Photo Diary : Sense of Wander -夢幻放浪記- 04 Topへ戻る 前へ 次へ |
日暮里まで戻り、山手線で品川へ。そして、京急線に乗り換える。窓の外には、旧東海道の裏側が見渡せる。通りから見れば、寺ばかり・・・当然裏へ回れば、墓ばかり。 | |
DSC-MZ3 2003/7/22 17:12 |
東日暮里で脇の路地に入り、常磐線のガードをくぐると、やがて忽然とにぎやかな界隈が現れてきた。荒川仲町通り商店街である。しもふり銀座や、田端銀座、尾久銀座など、初めてそうした密度の高い商店街を見つけたときは正直感動してしまうものだ。そうして、どこまでも続いているように見えるその通りをこれぞ最高の下町商店街と思ってしまう。しかし、この活気ある商店街も100mばかりで、店舗もまばらな三河島駅周辺のコーリアタウンへとフェイドしながら移行してしまう。だが、それはいささか贅沢というものだろう。車の通れない細い通り、魚屋の活気ある掛け声、所狭しと並ぶ八百屋の青果。焼き鳥などの総菜屋の匂い。t店主と買い物客との絶妙のからみ。それらが密集したこの通りはやはり今日多くの町では得がたい宝の島のような輝きを放っている。 | |
Fine Pix A203 2003/7/22 15:17 |
歩きなれた下谷や、根岸を抜け、東日暮里の大通りに出る。日暮里というと玩具や駄菓子の問屋で有名だが、もう一つ布地の一大メッカでもある。今は、どの町でも地域おこしにやっきであり、下町商店街では「好きです、この街。**銀座」というフレーズがはやりだが、この界隈では「布の街、布の道」である。いっそのこと、大江戸シルクロードとでも名づければ面白かったかもしれない。 | |
Fine Pix A203 2003/7/22 14:51 |
朝顔市の記憶も新しい入谷の鬼子母神が存在するのは、実は下谷界隈であり、本当の入谷の中心はこの金美館通りである。片アーケードのある両側の歩道には、飲食店が軒をつらね、木造三階建ての店がランドマーク的存在となっている。金美館はかつてこの通りにあった映画館の名前だが、今は影も形もない。日本のどの街でも語り継がれるニューシネマパラダイス的なエピソードは、下町にも絶えないのである。 | |
Fine Pix A203 2003/7/22 14:14 |
吉原という地名はもはや存在しない。千束*丁目や浅草五丁目といった地名に変更されている。ところどころにいわゆる赤線建築は散在するが、昭和20〜30年代の建築であり、豪華さを感じさせるものはもはやほとんどない。
ところで、この吉原、江戸時代は日本橋人形町界隈にあった。これが元吉原で、その後1671年の火災で焼失。俗に「浅草田圃」と呼ばれたこの場所に移された。何もない場所につくられたこの新吉原は、周囲を堀で囲まれ、長崎の出島のような異界的な存在であったらしい。しかし、その遺跡とおぼしきものは、ローマ時代の遺跡よりも残ってはいない。
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Fine Pix A203 2003/7/22 12:24 |
いろはという言葉は、遊女とかかわりがある場所であることが多い。玉の井の表通りはいろは通りだし、北千住にも千住柳町に至る通りがいろは通りである。遊女の手習いがひらがなのみのいろはであったことに起因すると思われるが、このいろは会商店街も山谷から吉原に至る線上に存在する。大掛かりなアーケード街でありながら、どこか古びた感じがして、浅草界隈のアーケード街とは一線を画する存在である。とりわけ、食材を提供する入り口付近には下町そのものの活気があり、そのすぐ近くには有名な桜肉の店、中江も存在するのである。 | |
Fine Pix A203 2003/7/22 11:55 |
山谷という地名も消えうせて久しい。施設の建物の名称にわずかに残るのみで、道の両側はそれぞれ別の地名に書きかえられている。多くの労務者たちが路上にたむろするあたりで、私はシャッターを切ることができなかった。30年前の劇画への過剰な思い入れは、彼らにとってはた迷惑なものにすぎなかっただろう。バラックの建物をさがしても、コンクリートやモルタル塗りのアパートが見られるのみで、宿泊所の建物もこぎれいなものが多い。わずかに残った年代物の建物をカメラにおさめながら、大通りに出る。ほうずき市の帰りにたどったあの商店街が現れた。ジグソーパズルのピースがまた頭の中で一つつながった。 | |
Fine Pix A203 2003/7/22 11:22 |
南千住より南に歩いてみた。同じ下町でもほのぼのした雰囲気の漂う三の輪付近とは異なり、どこかしら乾いた空気の漂うエリア。そう、その先には「あしたのジョー」の舞台にもなったあの場所があるのだ。しかし、劇画のワンシーンのような橋も川ももはやそこにはなかった。わずかに交差点周辺の地べたに座り込み、コンビニで買った食事をとっている男の姿がわずかに面影を伝えるのみであった。 |
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Fine Pix A203 2003/7/22 11:11 |
バンダイミュージアムのスタートはどうやら快調そうである。夏休みということもあって、休日ともなれば多くの親子連れが訪れ、ごった返す。ぱっとしなかった雑居ビルをこの街一の呼び物にしたアイディアは大したものである。通常テーマパークは広大な敷地と、大掛かりな大規模な可動遊戯施設を必要とするものだが、それらなしにこのことを可能としたのは、キャラクター、特にガンダムという魔力によるものだろう。
しかし、平日訪れてみると前途多難であることが見て取れる。まず、スタッフの数が多すぎる。休日はほど良い数でも、閑散とした平日にはやたらと目立ってしまう。また、おもちゃメーカーということもあって、まだテーマパークの作りこみには甘さが目立つ。5Fの一角は完全に遊んでいる。テナントに関する知恵が不足しているのだ。人件費と家賃に対する熟成したノウハウなしには、好奇心からの訪問客が一通り消化された後に、採算を取りながらリピーターを呼び続けることは難しいだろう。 |
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DSC-MZ3 2003/7/21 13:55 |
大江戸線は、間違っても深夜の交通機関としてふさわしくないことは、この時初めて知った。わざわざ隅田川の下を二度くぐり上野に戻ってくるこの迂回路線は、あくまで観光向き列車である。しかも、私が乗った列車は上野御徒町ではなく新御徒町止まりだった。降りて初めて知ったが、地上出口からJR御徒町の駅まで580mと標識にあった。速足でたどり着いた御徒町駅はすでにシャッターが降り、乗車の気配がなかった。学生時代から一度も終電に乗り遅れたことのなかったのに、ついに上野駅で夜を越すことになるのだろうか?
轟音を立てガード上を走る電車に導かれるように、私は上野駅まで半ばあきらめ気分で歩き続けた。だが、さすがに上野駅は最強である。それでも終電には間一髪間に合ったのである。家に戻り画像処理をするころ、激しい雨が降った。冷や汗ものの一日だった。
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QV-2000UX 2003/7/21 0:45 |
六本木ヒルズ周辺は、深夜だというのに明るく、そして人の流れも途切れることがない。その様から私は時間を1時間ばかり勘違いして19mmでの夜景撮影に没頭していた。麻布十番に抜けたころに時計を見ると、11時44分だった。 | |
Cool Pix 5000 +WC-E68 2003/7/20 23:26 |
実はこの日は日曜日ということもあって、日の明るいうちから表参道の裏道を歩いていたのだが、結局は一往復することになった。そこで大人しく地下鉄に乗ればよかったのだが、巨大なガラス細工そのもののプラダビルの神々しい光に誘われて、つい根津美術館方面へと坂道を降りてゆくことになった。西麻に出るはずだったが、青山墓地を横切るうちにしだいに六本木ヒルズが大きくなってきた。歩道橋から下に降りると、そこは乃木坂だった。 |
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Cool Pix 5000 2003/7/20 21:58 |
水道橋、南船橋、十条、そして原宿、このところどこへ行ってもチョコクロである。チョコクロとはサンマルク・カフェの定番メニューのチョコクロワッサンのことだが、リーズナブルな価格とほどよい大きさが一杯のコーヒーで流し込み、長距離ウォーキングの間の糖分補給にはちょうどよいのである。 |
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Fine Pix A203 2003/7/20 19:36 |