Photo Diary :Sense of Wander  -夢幻放浪記-  03     Topへ戻る                  前へ     次へ

No.36: 20,July 2003    <BANDAI MUSEUM> 松戸
松戸と言えば、ホテルニューオータニの最上階回転式展望台と三つの量販店、駅ビル以外はめぼしい都市型施設はほとんどなく、矢切りの渡し以外、わざわざ観光でこの都市を訪れようとするものもない街であったが、バンダイミュージアムのオープンにより、今ようやく市外からも若者をひきつける魅力を備えるようになっている。実は、このピアザビルというのは、数年前私がマスターの域をきわめたUFOキャッチャーのメッカでもあったのだが、その5F以上のフロアと地下1F、そして3Fの一部をミュージアム関連施設が占めることになったのである。地下一階のシアターと、キャラクターワールド、ガンダムミュージアムは有料だが、それ以外の台場小香港や一丁目商店街あたりにならったと思われるテーマパーク的なスペースは無料で開放されていて待ち合わせ場所など色々の用途に使えそうだ。

http://www.popy-bg.co.jp/museum/press_030506.html

残念ながら、メーカーが作った施設にしては、過去のレア物キャラクターの展示は絶対量が少なく、また展示の仕方もひねりがないため、本当の博物館にはなりきれていない感はある。しかし、機動戦士ガンダム関連の施設は、特に世界をめぐるホワイトベースに合わせたメニューが出るGundam Cafeが楽しそうだ。お台場へ行かずしても、別次元の世界に気軽に入り込めるという意味で、日常的な時間の質を変えてくれそうな気がする。

DSC-MZ3  2003/7/19 16:36

No.35: 19,July 2003    <地名銀座> 数寄屋橋
有楽町周辺は、わずか200m四方の土地に異なる地名のエッジをそろえたような場所である。交差点を越えれば銀座、反対側に出れば内幸町、そしてすぐ隣が日比谷だ。こうした地名にトリックに惑わされると、ほんの目と鼻の先を地下鉄を乗り換えて、移動する羽目になるから要注意だ。
DSC-MZ3  2003/7/16 22:04

No.34: 19,July 2003    <特別な一日> 銀座
私は、超楽天的な人間なので、よほどのことがない限り、世の中のことは何とかなると信じている。何とかならないものは、一身上のことであれ、世の中のことであれ何とかするしかない。今日はそんな特別な一日だったと思う。
DSC-MZ3 2003/7/16 20:57

No.33: 17,July 2003    <雨ニモマケズ・・・> 東京タワー
私はどちらかというと雨の夜は光が回って夜景がきれいに撮れると喜ぶたちだが、それでも東京タワーは、仰角撮影時にレンズが水滴を拾うのだけはどうしようもない。たとえ、防水用のハウジングを使ったとしても駄目である。レンズ前に水滴がたまると効果的を通り越して絵にならなくなる。一眼向けにワイパー付きレンズというのを発売したら、意外に売れるのではと馬鹿なことを考えてしまった私であった。
DC-4800Z 2003/7/13 20:31

No.32: 17,July 2003    <インプリンティング>  田町
田町から東京タワーへ歩く。どうも東京タワーへ向かうときは、雨の日が多い。
田町から赤羽橋へ、そして東麻布へ。歩くたびに赤いタワーが隠れては現れ、隠れては現れるその変化が面白い。遠景であっても、路面が赤く染まるその味もまた格別だ。特に、夜景時の第二展望台より上のプラモ的な質感はたまらない。小学校のころ、作った東京タワーの呪縛より未だ解放されていない私である。
DSC-MZ3  2003/7/13 18:48

No.31: 17,July 2003    <ミニ中版カメラ?> 吾妻橋 
以前はカメラ同士の比較撮影は頻繁に行ったものだが、最近はほとんどまったくやらなくなってしまった。画質云々以前に、1/1.8インチ5M機のシャッター速度が遅すぎてスナップ感覚で比較しようにも、一方のみが失敗に終わったのでは話にもならないからである。夜景撮影の場合、感度をオートにしたくらいでは保険にもならない。だからシャッター速度的、ラチチュード的に撮れそうなシーンを選んで、指名打者的に低感度で起用する。その限りにおいては、ノイズの少ないクリアな画像が得られる。しかし、一機しか持っていない人にとって、唯一のシャッターチャンスをゆだねるにはあまりに脆弱な存在である。画質は35mm一眼レフ以下だが、神経を遣わざるをえないその仕様は半分中版カメラの世界に足を突っ込んでいる。露出補正やシャッター速度によるシーンの撮り分けに習熟したプロならいざ知らず、最初にスペックありきのハイスペックコンパクト機が多くの人を幸せにすることはないだろう。
Optio 550  2003/7/12 20:21 ISO64 F7.8  4sec.

No.30: 17July 2003    <ノスタルジックな空間> 向島一丁目 
戦前からの焼け残りと思しき木造の家屋のただ中に、風情ある銭湯があり、道路向こうまでその家屋の群れは広がっている。その裏手には牛嶋神社。さらに川沿いには墨田公園が広がっている。しかし、こうした被写体を撮るにふさわしい時間は過ぎていた。隅田川沿いに少し歩くと、対岸には浅草の見慣れた風景が現れた。
DSC-MZ3  2003/7/12 18:33

No.30: 17,July 2003    <川のない橋> 業平橋 
東武線から浅草に着く直前の舟溜りのような風景が気になって、業平橋で降りてみた。しかし、多聞にもれず業平橋とされる橋の下は埋め立てられ緑地化されていた。東武線沿いでも通り道が水面に接する部分はわずか、小梅橋と、源森橋に接したあたりである。だが、ガード下がすぐ水路に直面して、入り込む余地はない。しかし、実はこのあたりに向島一丁目も位置していたのである。
Fine Pix A203  2003/7/12 18:33

No.29: 15,July 2003    <向島> 玉の井
私は直感にしたがって、中間の道を進んだ。それなりに明るい道が続いていたからである。そして地名表示を見るといつか東向島に変わっていた。その行き先には玉の井いろは通りがあった。向島とは、浅草や吉原の向こうの島だったのだと改めて悟った。渡し舟こそ使わなかったが、私のたどった道は、江戸時代の通人がたどった道ではなかったのか?たとえ転生というものがあるとして、私がその時代に生まれ育ったかは知る由もないが、浅草観音の250年分の功徳とは、未来への導きというよりも250年前の江戸時代への導きであったようだ。
DSC-MZ3  2003/7/10 21:20

No.28: 15,July 2003    <Labyrinth Game> 白髭橋

小さいころ、私は迷路遊びが好きだった。紙の迷路も好きだったが、遊園地の迷路も好きだった。しかし、ある忍者漫画で迷路抜けの術を知ってから、その興味はどこかへ行ってしまった。右手を壁面につけ、決してその手を離さなければ必ず迷路は抜けられる。そのときに注意するのは、島となった部分に決して移ってはいけないということである。しかし、これは外壁が出入り口につながっている迷路の話である。現実の町は、実は島の部分がほとんどである。そして、目的地があるとすればその方法は無視してかからなければならない。まっすぐ一本道の両側に続く二つの商店街を抜け、私はいつか白髭橋を渡っていた。道路標識には、千住、亀戸となじみのある二つの界隈の地名があったが、それぞれどれだけ歩けばよいのかわからない。

 

DSC-MZ3  2003/7/10 21:03

 No.28: 15,July 2003    <見返り柳>吉原 
今はガソリンスタンドの前に立つ見返り柳を除いて、時代劇で見る絢爛豪華な吉原の面影は、ほとんど残っていないとはよく言われることだ。文化はすたれ、性欲処理の社会装置のみが生き延びたわけだ。話のネタにひとつ横断撮影でも試みてやろうかと思ったが、客引きの制服組のみが目立つ殺伐な雰囲気に私は断念した。
DSC-MZ3  2003/7/10 20:29

 No.27: 15,July 2003    <いつものように・・・> 千束通り
いつものように、私は地図を持たない小さな旅に出る。おおよその居場所の見当はついていても、ただあたりの地名表示を見ながら、光のある方へ向かうだけである。ひさご通りを抜けて、かっぱ橋通りの裏道を歩くつもりが、実際に歩いていてのはそれと似て非なる千束通りだった。千束?名前は知っていたがこんなところにあったのか?手近な駅など見当たりそうもない地名に我ながら先が思いやられた。通りそのものは、普通の下町商店街なのだが、向こう側に見える路地には無数の夜の明かりがきらめいていた。そのただならぬ雰囲気に、近くに吉原があるのではと直感した。やがて私は風俗街が立ち並ぶ吉原と平行に歩いていることを悟るのだった。
DSC-MZ3  2003/7/10 20:03

  No.26: 15,July 2003    <デフレ不況?> 浅草
にぎやかなのは浅草寺境内周辺であり、花やしき周辺の酒場はどこも人気がほとんどなかった。同じ場所を再び撮り歩くのは気の乗らないものである。当然、すきまを縫うようにさびれた界隈をねり歩く。浅草とは、もう少し気概性のある町だと思ったのだが、酒場の女将の呼び込みの声もどこかしら元気なくさびしげに感じられた。地方の過疎の町の酒場のようにさえ感じられ、一体どこまで持ちこたえられるのだろうかと心配になった。様々な小路まで生きのびてこそ、浅草らしい浅草があるのだ。
DSC-MZ3  2003/7/10 19:37

 No.25: 15,July 2003    <九万二千日> 浅草
必ずしも4万6千日分の功徳が二倍化できると信じたわけではないけれど、再び浅草を訪れる。9万二千日というと約250年に相当する。誰もそんなに生きられはしないのだが、何かが起こるような気がしたからである。その功徳とは一体・・・
DSC-MZ3  2003/7/10 19:21