Photo Diary :Sense of Wander -夢幻放浪記-   02         Topへ戻る              前へ         次へ 

 No.24: 13,July 2003    <尾崎豊とモンローと・・・> 曳舟

地蔵坂通りの入り口付近には中古のソフト店があり、そこで尾崎豊のビデオクリップを買う。SEVENTEEN'S MAP, GRADUATION・・・60キロそこそこの体でこんな重い何トンものメッセージを抱えたのでは、到底体が持つまい。しかし、今も多くのファンをひきつけてやまない彼の魅力もこのあやうさにこそある。メモリカードの画像をVAIOに落とすため、ガード下の喫茶店で一息入れる。そこは、この街とはいささか不釣合いな映画のスチール写真とポスターで満たされていた。イングリッド・バーグマン、オードリー・ヘップバーン、マリリン・モンロー・・・アンディ・ウォホールのポスターまであった。なぜか、この日は性と死の匂いを帯び始めていた。
DSC-MZ3  2003/7/10 18:43

 No.23: 13,July 2003    <地蔵坂通り> 曳舟

曳舟も地名に魅かれる名前だが、ここから少し歩くと地蔵坂通り商店街がある。名前の由来は、その終点付近にある地蔵堂だが、立派な寺院のある巣鴨とは異なり、小さな祠にすぎない。しかし、今でも十日ごとに行われる縁日でにぎわうこの通りには、戦前の風格ある木造家屋も少なくない。何のことはない。ここも東向島なのである。
Fine Pix A203 2003/7/10 17:00

 No.22: 13,July 2003    <奇妙な空間> 堀切
特に何かがあるというわけでなく、ふと名前に引かれ降りてみた堀切。正面の道路よりも駅舎の方が低い奇妙な空間である。東武線だけでなく、常磐線に乗る人も、京成線に乗る人もこの風景は既視感を覚えることだろう。住居を避けた高速道路が水路の上を走っているのだが、日本橋周辺のように日陰になるほど覆いきれず、半ば閉鎖的で半ば解放的な郊外の景観が金太郎雨のように景観が続いている。それだけのことなのだが、何も水路の上にないよりは退屈でない風景だと私は思う。
Fine Pix A203 2003/7/10 16:04

 No.21: 13,July 2003    <ほおずき市> 
ほおずき市はなぜ浅草寺境内で行われるかというと、「ほうずき」を「法好き」にひっかけた洒落からである。もちろんここでの法は、仏法を指す。しかし、ここを訪れる人のほとんどは仏法を知ることなしに、浅草観音の前で手を合わせる。墓地がむき出しになった寺の境内だが、その表情は他のどの寺の参拝者よりも明るい。
それは浅草という町の持つ計り知れないエネルギーにあるのだろう。仲見世もあれば、七色の個性を持つアーケード街もある。レトロな遊園地もあれば、映画館、寄席、ストリップ劇場、大衆酒場もあり、少し離れたところには吉原というかつての悪場所もある。今日最も存在感のある芸人の一人であるビートたけし(あるいは世界の巨匠北野武)を生んだのもこの街だ。表層の旅を続けながらも、ふと深入りして見たくなる魔力がこの街にはあるのだ。
DSC-MZ3 2003/7/9 19:12

 No.20: 12,July 2003    <光を求め、光を避ける> 入谷

感度アップできる機種なら、どれでもそこそこ夜の姿を写しとることが出来るが、そろって駄目なのが強い光源周りである。プログレッシブスキャンのせいか、MZ3は特にフレアが大きく、周囲の情報そのものを喰ってしまう。夜景というと暗さへの耐性を考える人が多いが、実は明るさへの耐性の方が重要な場合が多いのである。夜店の近接ショットでも、白熱球をダイレクトに写すことは避けたいが、そうも行かないのが現実である。
DSC-MZ3 2003/7/7 19:34

 No.19: 12,July 2003    <空間の変容> 入谷
祭り、そして市の不思議なの点は、見慣れた街が別の街へと一時的に変容してしまうことである。特に広い車道から車が締め出され、そこに夜店が立ち並ぶと本来その町が持っていたはずのポテンシャルが一時的に解放される。明らかに別の空間が現出され、それがひときわ鮮やかになるのが日没以降の時間なのである。
DSC-MZ3 2003/7/7 19:26

  No.18: 9,July 2003    <道は続いている> 言問通り
坂道をあがると、すぐに町名表示は谷中に変わる。見慣れた家屋を左右に見ながら直進すると、いつか見慣れない一角へと入った。おそらく今までは途中で左折し谷中銀座方面へと向かっていたのだろう。周囲の木造家屋も古く、銭湯や寺院の多い元=谷中と思しき一角にたどり着く。通りによっては上野桜木町ともなるエリアである。やがて駅周辺のラブホテルが目に入ってくる。高架はカーブしながら、右手に折れるとそこはもう鶯谷駅だった。
QV-2000UX 2003/7/7 18:58

  No.17: 12,July 2003    <デッドゾーン  U> 根津

根津神社。
季節の花を撮り歩く人にとって何を今さらの場所だが、十年以上にもわたり根津駅からまっすぐ谷中へ、あるいは不忍池に抜けていた私にとって、鹿島神宮にも負けない朱塗りの立派な楼門や拝殿を擁する大規模な神社をこの場所に見つけるとは思いもよらなかった。雨はやまず、あたりは一層暗くなる。いかなMZ-3といえども、この天気は分が悪い。私が拝殿を後にするのと、神職の人が扉を閉ざすのは同時だった。境内を一回りした後、私は赤札堂前の交差点から坂道を上りだしていた。
DSC-MZ3  2003/7/7 18:09

  No.16: 9,July 2003    <デッドゾーン> 根津
下谷の駅があるのは千代田線ではなく日比谷線だった。
それに気づいたのは、千駄木駅を過ぎたあたり。もうホームの反対に列車はなくなる。階段を降りて反対側のホームに出るのも面倒なので、根津で降りてしまう。実は根津は道路向かいの谷中側ばかり歩き、根津神社周辺は私にとって未開の土地だったのだ。今さらの感があるが、なぜこんないい場所を訪れなかったのだろうという思いがする。今や遠い日本人の原風景のようになってしまった、家屋の間の路地空間。遊郭の名残りをとどめる旅館や、木造家屋。そして異教でありながら、なぜかこの空間に妙になじんでしまった木造の根津教会。デッドゾーンの封印が解き放たれ、不思議空間の中に私はいた。繰り返し訪れるうちには、被写体は知性によってさまざまなアングルのもと分類され、一種の情報に変わってしまう。最初のこのめまいに似た感覚を求めて私はこの二重都市=東京/江戸を歩き続けているのだという気がする。
DSC-MZ3  2003/7/7 17:49

  No.15: 9,July 2003    <ラチチュード> 晴海トリトン
それなりに色と解像感があってという条件だが、やはりデジタルカメラはラチチュードである。画素ピッチが4ミクロンを越えれば、こういう輝度差の激しいシーンでも、安心してシャッターを押せる。
DSC-MZ3  2003/7/3 21:17

  No.14: 9,July 2003    <麻布の正体> 元麻布

雨の中、麻布十番を歩き続ける。やがて予期しない風景に出会った。
元来麻布は寺町であったのだ。
DSC-MZ3  2003/7/3 19:40

  No.13: 9,July 2003    <心なしか> 麻布十番
目と鼻の六本木ヒルズの完成で、ひなびた下町的な表層がそぎ落とされてしまった麻布十番。何となく残念である。
DSC-MZ3  2003/7/3 19:16