淀調 PRIDE & PREJUDICE ケルビーノは扉を開ける 


はい、今日は PRIDE & PREJUDICEでしたね。
これはテレビなんですね。BBCのテレビドラマいうたらプロデユーサー泣かせですね。
なにが苦労かいうたら、たとえばラヴ・シーンですね。
ケン・ラッセルが「チャタレイ夫人の恋人」やりました。
小屋の中、森の中で延々MAKING LOVEいたしまして、原作通りとはいえBBCもよく頑張ったなあ
思いましたら新聞に抗議の嵐来ましたね。
まあ、子どもが起きてる時間に何事か、立ったままするとは何事か、傍にいる猟犬に失礼だ
言うて、新聞もまた、そんな投書を載せるんですね。
90年代になっても英国はそんな国でした。

その英国ならではの「PRIDE&PREJUDICE」、何度かテレビ化されましたが皆カスでした。
どうしてか言うたらローレンス・オリヴィエの呪いがかかってるんですね。
誰かがダアシイ演ろうとするとお父っつあんが後ろから「息子よ」言うんですね。
そうすると、もう、みんな動けなくなるのね。
そうでなくてもオースチンやからね、
猫背になったらあかん口開いたらあかんその薄笑いは馬鹿に見える言われて苦しいのに、
そのうえ「サー」にまで睨まれたら息も出来ん。
役者も監督も金縛り状態で金の鯱鉾が動いてるいうのが今までの「PRIDE&PREJUDICE」でしたね。

この巨大な風車に立ち向かったのがコリン・ファース、
あとで「DON QUIXOTE」演りましたから、どっか気性にそういうとこがあるんですね。
しかし監督が「SANCHO」の気性でおったら負け戦ですね。
絶対勝ちます言うてご主人馬に乗せて、自分はあちこち罠掛けてまわって涼しい顔してる。
「SANCHO」いうより「グロミット」の心意気ですね。
そして、まあ、みなさん、この監督が、オースチンですから、言うて皆んなをだまして
どれだけ見事な罠を仕掛けたか。
あんまり言うたらなに偉そうにいうて嫌がられますけど、ひとついいですか?

このドラマのひとつの山いうたら、まあお好みですけど
ペムバリイのお屋敷でエリザベスが歌うたうとこですね。
宿屋でダアシイの妹が「ピアノ弾いて下さいねえ」と頼むのね。エリザベスが
「そんなにおっしゃるんだったら」言うたらもうピアノが鳴って歌が出てくる。
イタリア語で歌詞の意味なんかわからんでも、ああモーツアルトやな、思うの。
ちょっとかじった人なら、あれは「フィガロの結婚」いうオペラでお小姓のケルビーノが歌う
「恋とはどんなものかしら」や、この場面にぴったりや、趣味良いなあ言いますね。

英国人は「音楽の趣味」にうるさいですね。
「眺めのいい部屋」いう映画あったでしょう、
ヘレナ・ボナム=カーターはベートーヴェン好きやのに婚約者のお母さんは
「趣味悪い」言うでしょう。ブラームスかなんか弾いたら「趣味良くなったわ」って。
ベートーヴェンは昔から「野蛮なムーア人」言われてたのね。
トルストイに「クロイツエル・ソナタ」いう小説あるでしょう、奥さんがヴァイオリン・ソナタ
聴いてるうち隠してる気持ち、男の人に対する欲望がだんだんだんだん炙り出されてくるいう、
音楽の持つ怖い力を描いた小説でした。
それくらいベートーヴェンは危険だ。けれどもモーツアルトは安全だオールマイテイだ、
言う気持ちが皆んなの中にありますね。

まあ、きれいなきれいな音楽、ダアシイがうっとりして聞き惚れてるのも当然だわねえ、思うの。
ぼくにしたら、まあ、監督とんでもないことしたなあ、英国人はこれやから怖いなあ思うのね。

はい、ここで一旦休憩入れましょうね。
しつこくて申し訳ないけど、あともういっぺん「Pride&Prejudice」喋らせて下さいね。
(3月8日(水)13時37分43秒 )

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淀調 PRIDE & PREJUDICE ケルビーノは扉を開ける(続) 


はい、さっきの続きです。今度は一気に行きましょうね。
「恋とはどんなものかしら」あんた、恋したことあるでしょう、見てください、わたしの胸のうち
を、わたしは経験無いからわからないんです、言いますね。酷ですねえ、エリザベスにこんな歌う
たわれてダアシイ獄門磔の刑ですね。喜んだり悲しんだり、燃え上がったり凍り付いたり、これみ
んなダアシイの胸の内そのままなんですね。イタリア人ならここで押し倒すところですがBBC御用
達のオースチンでは無理ですねえ。


どうしてエリザベスはこんなことするのか。彼女は立場無いんですね。ウイッカムに騙されたのは
自分が悪い、でもダアシイは倣岸不遜な男で自分の姉さんの幸福を邪魔してる悪い奴だ。ところ
がペムバリイに来て見るとダアシイは別人みたい。あんた、違うじゃないの、言われてそれでエリ
ザベスは反撃に出るんですね。ケルビーノ歌いながらダアシイを嬲ってるんですね。まあ、すっかり
人が変わってしまってどうしましたの?まだわたしのこと好きですか?言うてるんですね。


でもエリザベスもやっぱりお嬢ちゃんなんですね。ケルビーノ選んだのはいいけれどこの歌は難し
いんです。すぐ余裕無くして歌うのと弾くのとに懸命になるんですね。 そうすると音楽の力、モー
ツアルトの魔法が効いて来るんです。ただ、効き方はベートーヴェンとはずいぶん違います。


ケルビーノはスブレットの役、裾を泥だらけにしながら何マイルも歩いて来たり、ワフワフいうて
る猟犬と徒競走するエリザベスはドレスこそ着てますけど、スブレットですね。逢いみてののちの
心にくらぶればいう歌がありますけど、まだ物思わない女の子なんですね。それが、見てくだい、
これが恋でしょうか、歌ううちに心の扉が開いてくるんですね。ジョージアナと一緒にダアシイを
見るエリザベスの表情その目付き、構えてないほんまもんの気持ちが出てますね。そしてビングリ
イの妹とごちゃごちゃあって戻ってきて、ここでもう一度ダアシイの方をじっと見るんですね。こ
の時のエリザベスはもうケルビーノじゃない、スザンナになってるんですね。あんたの大切な妹は
このわたしが守って見せますいう心意気が溢れてるんですね。まあ、女は怖い、嬲ったり訴えたり
持ち上げたり、それでいて本人は無意識なのね。だからダアシイは辛い、苦しい、お前のほんまの
気持ちはこうやろう、と言うことも出来ん。体中をモーツアルトが駆け回って夜も眠れん。


だからダアシイは朝早く馬に乗って行くんですね。貧民窟まで行くんですね。まあチープサイド?
と笑われたガーディナー氏でも捜せなかった処にペンバリイの御領主様が降りて行くんですね。こ
こでお客さんは竜退治に降りてくる大天使ミカエル思い出すね。ミカエルは英国の守護神ね、翼の
羽ばたき連想したりしてうっとりするところ、だからあんまり余計な音楽入れんとどんどん行くでしょう。 
だけどこれもちゃんと伏線あるのね。ダアシイの入浴シーンあるでしょう、顔洗うところあるでし
ょう。この時代は水道無いの、スラム街の路地がどんな状態かこれでわかる。そこへダアシイがや
ってくる、降りて来るいう感じがするのは、もう前にいっぺんこんなシーンを見てるからなのね。
それはどこか、まあ皆さん濡れたシャツばかり見てたから無理ないわね。 


あの池の中、汚かったでしょう、濁ってたでしょう、池の底に何か生えてる、うわあ言うて皆さん
驚くね目をそむけるね、それが監督の狙いなのね。暑いから泳ぎます。
それなら、きれいにクロールするところでも撮ればいいね。


濁った水の中に潜っていくダアシイ、これが見てる人の頭の片隅にあるからスラム街のダアシイが胸に迫ってくる。
それもダアシイが歌舞伎役者だったらくどすぎて出来ない。
コリン・ファースだから、じわじわじわじわ効いてくるのね。


まあ、こんな見方してたら命縮めるもと。綺麗やなア素敵やなア言うて見るのが一番。
それでもひとつのクルーを引っ張っていろんなものがずるずる付いてきた時は監督に力あるときね。
今回もケルビーノ見つけたときはこんな大蛇が釣れるとは思わなかったね。
はい、やっと終わりになりましたね。お付き合い下すって有難う御座いました。3月8日(水)19時52分12秒)

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淀調 落穂拾い 


はい、ごめんください。
あのね、ぼく「しゃべりん」やからね、投稿すると長いのね。この前もね、
さあ一気に行きましょういうて打ち始めたら止まらないのね。はあ、終わった
言うて送ったら入らないの、分量多すぎて。それでバッサリ削ったうちのひとつが
スブレットのところで、ご迷惑掛けました。ここで少し、足させてもらいます。

日本でスブレット言うたら、皆さんソプラノのスブレットのことや思うのね。
それは間違ってないし、ぼくも日立デジタル平凡社のオンライン百科引いてみたけど、
スブレットはソプラノの項にしか入ってませんでした。ただ、スブレットはオペラだけでなしに、
お芝居の上での役のことも言うのね。キャラクターはおささん言うてるとおり、活発で頭の回転が
はやい小間使いなんかの役、こうゆう役を得意とした女優さんが男装のズボン役もやりたがった
のね。そこから転じて、スブレット言う言葉にはおてんば娘、小生意気な娘いう意味もできたの。

少し話題がそれますけど、フィガロの結婚は原作ボーマルシェでしょう、このときすでにケルビーノは
名前違うけど役柄出来てて、この繊細な役柄を演じられる男は存在しない、女性にやらせる
こと、とボーマルシェ自身書いてるのね。ダ・ポンテとモーツアルトはそれを引き継いで、フィガロ
でもケルビーノに忙しく立ち回らせてる。お客さんはその動き見て、ああ、スブレットがズボン役
やってるな、思うの。ところがモーツアルト、この役にメゾ・ソプラノ振ったのね。メゾにはこの
曲高音部が難しいから大変、だけれどもモーツアルトはケルビーノをただのスブレットにしたく
なかった。そして、始めのほうにきれいなきれいなアリアを二つも入れた。ここのところをよく
考えない演出家が多すぎる。ケルビーノをどう扱うか、キルケゴールは「音楽があまりに重すぎる」
言うたんやからね。

でも、これはオースチンには直接は関係ない話。ぼく、ケルビーノの音楽に関心してるもんで、
それで引きずられた思います。エリザベスはおてんば娘で、位で止めておけばよかったね。
誤解させてしもて、あい済みませんでした。

でも、みなさん、あのペンバリイの場面は、モーツアルトで違和感消してるけど、なんか変やなア
と思いませんか。あれね、オースチンも原作も知らん人が、あそこからはじめて見たら、どう思う?
ああ、エリザベスとダアシイは恋仲で、もう婚約も決まってて、家族に紹介してるんや、
言われても信じるよ、ほんと。 原作に無い盛り上がり方、それをモーツアルトの陶然たる
雰囲気で見事につないでるでしょう。ダアシイは手ひどくふられた女に歌うたわせて、
陶酔してて、それでも見てるほうには違和感ないでしょう。エリザベスがかつてキライキライ、
あんたと結婚するくらいなら乞食と結婚したほうがまし(に等しいことだ!)言うた相手を
何度も見つめるでしょう、あんな好い表情は無い、女のなんとも知れん柔らかさが出てて。
でもなんとなく説得されて見てしまう。そこから残りの物語を一気に引きずっていく。これぞ、
監督の腕、原作の破綻を感じさせないね。
そこんところ、みなさんに聞いてみたいね。
とくにオースチン・ファンの方、意見聞かせて頂戴ね。
ぼくはこのドラマみるまでオースチン呼んだこと無かったからね。
オースチンのどこがいいのか、
「PRIDE&PREJUDICE」の原作に感じる破綻をあなたはどう思うか。

またまた長くなって、大家のいるいるサンには場所とってご迷惑掛けてますけど、
また、おめにかかりましょう。(3月12日(日)16時36分35秒 )

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