淀調 フレデリックに花束を 

はい、淀調です。

日本にいるとヘンデル、言うてもあんまりピンと来ないんですね。学校ではバッハが「音

楽の父」、ヘンデルは「音楽の母」て習いますけど、神社の狛犬やお寺の仁王像じゃある

まいし、どこが父でどこが母か少しもわからん。レコード店や楽譜屋の本棚見てもバッ

ハは必ず1段占めてるけどヘンデルなんか1冊あればいいほうで、皆さんが知ってる曲

言うたら調子の良い鍛冶屋、水上の音楽、花火の音楽、そしてメサイア、てところでしょ

うか。

しかし、英国でヘンデル、言うたらこれはもう別格なのね。ヘンデルは王侯貴族の音楽、

宗教改革で国王の首が飛ぶ騒乱の時代を何とか乗り越えた新しい王朝の時代の幕開け

を告げる人物、あのヘンデルが大陸の音楽を持ってやってきた、ヘンデルがいる、いう

ので大陸は英国に注目し著名な音楽家達もロンドン目指してやってくる、国王の嫌がる

ことなら何でもやる皇太子は国王の後援するヘンデルに楯突いて「貴族オペラ」に

梃入れする、各々が看板スターを物色するものだから歌い手達への報酬はうなぎ昇り、

それまでの遅れを取り戻す勢いでバロック・オペラが花開くんですね。

そこで「カストラート」、虚実ごちゃ混ぜにしてコルビオ監督は何でこの作品を作っ

たか、それはひとえにファリネッリにヘンデルの「リナルド」を歌わせる為ですね。

これはね、観る人が観たら一遍でわかるプラチナ・チケット、ファリネッリは毀誉褒

貶数多いカストラートの中でただひとり誰からも、特に並外れて自己顕示欲の強い共

演者達からも(!)悪く言われたことの無い美貌才能人徳すべて兼ね備えたカストラ

ート、当時の文献にも去勢のおかげで皆ぶくぶく太っているカストラートだが彼だけは

ほっそり優美な姿とか何とか書かれてます。ヘンデル・オペラの対抗馬としてヴェネ

チアからやってきた彼の人気は観客のひとり(もちろん貴族の夫人)が「神はひとり

、ファリネッリもひとり」と叫ぶほど、貴族オペラに国王夫妻までもが列席し、ヘンデル

の劇場はがらがらになる、そんな大成功を収めながらファリネッリはたった数ヶ月で

さっさとロンドンを離れてしまう。もちろんそんな行きがかり上、ファリネッリが

ヘンデルのオペラを歌うことなどあり得ない。しかしロンドン滞在中ファリネッリは

ヘンデルの音楽を聴かなかったのか?オラトリオでもオルガン・コンチェルトでも、

もし聴いたなら?ファリネッリが真実聴く耳を持っていたらどうだったか?そしてま

た、ヘンデルは?唯一無比と称えられたその声に接してヘンデルはどう思ったか?

その答えが「カストラート」のいたるところに散りばめられてるんですね。誰もいない

劇場でひとりオルガンを弾くヘンデル、それを二階の物陰に隠れて聞き惚れるファリ

ネッリ、長年自分の曲を作ってきた兄リッカルドの凡庸な才能を罵倒するファリネッ

リ、貴族オペラで歌うファリネッリ、その歌声を入り口の前に停めた馬車の中でじっ

と聞き入るヘンデル、その新作オペラを無断で手に入れて貴族オペラで歌おうと

するファリネッリ、そしていよいよ鳥の羽帽子も満艦飾の衣装もなしで「リナル

ド」の幕が開く。野次と怒号の中にファリネッリが歌うヘンデルのアリア、これが

本当にこの時代に書かれたのか、思うほどの繊細なリートさながら、だんだんだ

んだん貴族達が黙り込み聞き惚れていくその様子、しかしヘンデルはファリネッリを

許さないのね。自分から想像力を奪った、二週間でオペラを書き飛ばす羽目に追い込

んだ張本人、と言って罵倒するの。違うのね、オペラを書こうとするとファリネッリ

の歌声が聞こえてくる、ファリネッリの声にはこの旋律、和声進行はここで副次ドミナ

ントをこう入れて、ここはナポリの6度で、とすべてファリネッリの声に合ったアリ

アしか考えられなくなってくる、それが想像力を奪われた、と歌い手を呪詛する本当の

意味なんですね。

ヘンデルの独立心の強さは有名で、王侯貴族の庇護を受けながら決定的に深い仲

になるのを避けてきてます。英国にとどまったのもここの王室が王宮内に専用劇

場を持てないくらい大陸と比べて権力的に今ひとつだったからなんですね。音楽

もしかり、音楽が主で歌い手は従との信念で歌手を探し、我が儘一杯なプリマドンナ

は色仕掛けで篭絡する、ヘンデルは若い頃は目が大きい美男だったんです。その彼

が、オペラ命と思てるヘンデルが自分の音楽と他人の声の間で懊悩する、コルビオ

監督、嘘八百の大風呂敷を広げながらこのオペラを作ることの怖さしんどさをよく

まあ書いてくれたなあ、思いますね。

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